二十六聖人

二十六聖人

駅前から5分ほどで行ける場所である。

お勧めの観光地ではないが、長崎を知る上で大切な場所だと思う。

子供が行っても楽しくないが、大人の人にはお勧めする。

この祈念碑の後ろに記念館がある。

大きくはないが、貴重な資料が展示されている。

日本二十六聖人記念館
http://www.nagasaki-tabinet.com/guide/60788/
日本における聖フランシスコ・ザビエルの渡来から明治時代までのキリスト教の歴史を紹介

有料 一般500円、中・高校生300円、小学生150円※団体割引あり

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日本二十六聖人記念館

日本で初めて信仰を理由に処刑された人達

日本二十六聖人(にほんにじゅうろくせいじん)は、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者。この出来事を「二十六聖人の殉教」という。26人は後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになった。ウィキペディア

二十六聖人

二十六聖人

宗教でこれほどの事件が起こるのは、日本では希だと思う。

私は日本で行なわれた初めての宗教戦争という視点で一文を書いたことがある。

長崎宗教戦争
http://artworks-inter.net/pc/2016/01/17/post-61/
新長崎伝説 長崎のミニコミ月刊誌「ながさきプレス」連載の短編

いろいろ読んでもキリシタン弾圧の残酷な面が強調されている解説が目立つ。

確かにそれは間違いない。

 

キリシタン大名やキリシタン(信者)によって寺社が焼き払われてしまったり僧侶が迫害されてしまった事実。

ポルトガル商人によって日本人が奴隷として海外に売られている事例。

これらのことが発覚して秀吉は禁教令を発令した。

しかし、キリスト教の人を見つけてすぐ殺すというのではない。

基本的には、転教を強制する方針だった。

その後、イエズス会の後に来日したフランシスコ会の活発な宣教活動が禁教令に対して挑発的とみられ磔(はりつけ)となる。

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ゴルゴタの丘

26人が通常の刑場でなく、長崎の西坂の丘の上で処刑されることが決まると、一行はそこへ連行された(一行は、キリストが処刑されたゴルゴタの丘に似ているという理由から、西坂の丘を処刑の場として望んだという)。

4000人の信者が結集

処刑当日の2月5日、長崎市内では混乱を避けるために外出禁止令が出されていたにも関わらず、4000人を超える群衆が西坂の丘に集まってきていた。パウロ三木は死を目前にして、十字架の上から群衆に向かって自らの信仰の正しさを語った。群衆が見守る中、一行が槍で両脇を刺し貫かれて絶命したのは午前10時頃であった。

思想や信じることが違うだけで、人が殺されていた時代があったという事を感じていただきたい。

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*写真はすべてアートワークス撮影