島原の写真素材 アートワークスフリーフォト
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長崎市内の人が島原というと、島原半島の島原市を指す場合が多い。

現在島原半島には、4つの市が存在している。

諫早市東部(旧・森山町)、島原市、雲仙市、南島原市である。

今回のお勧めは島原市内である。

島原城

島原城

市内には島原城があり、その周りには武家屋敷があり観光地化されている。

島原武家屋敷

島原武家屋敷

島原といえば「有馬(ありま)の殿様」がよく知られているが、有馬家が活躍していたのは豊臣政権時代で、江戸時代になると松倉 重政という武将がとって代わる。

その松倉氏が島原城を築城した。

 

松倉重政木像(島原城史料館蔵)

松倉重政木像(島原城史料館蔵)

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この松倉氏、見栄っ張りだったようで禄高4万3千石なのに10万石の大名の城に匹敵する分不相応な規模の城を作った。

さらに、その見栄のために領民の限界を超える税を取り立てた。

その結果、貧しさゆえにキリスト教が信仰され、島原の乱を引き起こす原因になったといわれている。

また、将軍徳川家光にキリシタン対策の甘さを指摘されると発奮し、徹底的な弾圧を開始した。

顔に「吉利支丹」という文字の焼き鏝を押す。
指を切り落とす。
雲仙地獄で熱湯を使ったキリシタンの拷問・処刑を行う。

1669年アムステルダムで発行されたモンタヌスの「日本誌」に掲載された「雲仙地獄の殉教」図

1669年アムステルダムで発行されたモンタヌスの「日本誌」に掲載された「雲仙地獄の殉教」図

さらには、将軍の歓心を買うため、キリシタンの根拠地であるルソンの攻略を幕府に申し出る。

幕府も乗り気になったが、松倉氏はその遠征費用を捻出するため領民に多大なる費用を課している。

結局、出発直前で急死するのだが、あまりの悪政を見かねた幕府による毒殺ともいわれている。

なんにしてもひどい殿様だったようだ。

作家の司馬遼太郎は著書『街道をゆく 17 島原・天草の諸道』の中で、「日本史の中で松倉重政という人物ほど忌むべき存在はすくない」と記している。

引用資料 ウィキペディア

そんな島原城だが、現在は穏やかで静かな街となっている。

名物は姫松屋の具雑煮だ。

あと一つ、忘れていけないのは、平成3年の雲仙普賢岳の噴火の際に起きた火砕流である。

今でもその爪あとが保存されている。

雲仙仁田峠から見た普賢岳

雲仙仁田峠から見た普賢岳

島原半島には、雲仙岳があり温泉地としても有名だ。

雲仙地獄

雲仙地獄

長崎市から2時間ほどでいけるリゾート。

長崎市内の観光に飽きたら、ひとっ走りしてみてはどうですか。