鵬ヶ崎とは稲佐公園や稲佐小学校の有る高台の事をいう。現在もその形はわかる。

稲佐橋から見た鵬ヶ崎

淵神社側から見た鵬ヶ崎

結構切り立った崖のようだ。

 

過去の鵬ヶ崎の想像図

  この場所は鵬ヶ崎焼という焼き物が有名で、いろんなホームページにも載っている。 ただ、それだけである。

鵬ヶ崎焼 鵬ヶ崎焼は、1823年(文政6年)、長崎代官・高木作右衛門の一族でもある蒲池子明 (秀吉)によって浦上村稲佐郷鵬ヶ崎(現・長崎市稲佐町)で開窯、1852年(嘉永5年)までの僅か30年間しか創業しなかった、まさに「幻」の長崎の雅陶。土には、長崎に入港する唐船の積荷うめ壷の欠片等を粉にして用いたといわれ、黒味をおびた硬質で厚手の焼き物。子明は儒学の教養もあり、風雅を愛したので、雅陶としての性格が強く、営業を主体とした窯ではなかったようである。 鵬ヶ崎窯: 長崎んことばかたらんば http://nagasaki-r.seesaa.net/article/104328932.html 稲佐焼ともいい、1848年(嘉永元)長崎銀屋町の大蒲池子明(秀吉)の創始。明治維新前後に廃窯となりました。 (『日本陶磁器史論』『日本近世窯業史』『日本陶甕史』『陶器講座』二)

 

特別な謎もないのだが、その岬の名前が少し引っかかる。 鵬とは中国に伝わる伝説の大きな鳥の事をいう。相撲の大鵬が有名で、かなりおしゃれな名前である。 稲佐の沿岸には「大鳥町」と言う場所がある。現在の三菱電機の裏手の崖を大鳥崎と言ったようである。

鳥の名前は、岬の先が2つに分かれていて鳥の翼を思われる外見から付いたのだろう。 鵬ヶ崎も同じように、大きな鳥に見えるということだろう。

六十余州名所図会 肥前長崎稲佐山

正面の岬が鵬ヶ崎。確かに2つに別れ鳥の翼に見えないことはない。 しかしおしゃれで雄大な名前である。

この場所には、やはり趣味で作られていた鵬ヶ崎焼もあり、おしゃれな場所としていたフシが有る。

江戸時代、政府直轄の天領で財政も豊か。鵬ヶ崎と言う名前一つとっても文人や粋人も多く長崎の江戸時代が忍ばれる。 江戸時代は長崎の春と言える時期だったのだ。 長崎の稲佐はその海岸線の起伏の激しさから、観光風景の対象になっていたと思われる。

つまり、財政の豊かな長崎にとって、身近で手頃な観光地となっていたのだろう 鵬ヶ崎には稲佐公園がある。古写真に稲佐公園の写真が残っている。やはりおしゃれな場所だったのである。

稲佐公園

 

現在の稲佐公園

このあたりの芸能人といえば、あの福山雅治さんだ。 彼が出た小学校が稲佐小学校だ。

稲佐小学校