公平(こうへい)は、公に平らなこと、すなわち一定の集団において、偏らないということ。 
 
平等とは差別がなくみな一様に等しいことである。
 
最近この話題に触れ、少し考えてみた。
 
その話題とは、日本人は公平は大切にするが、平等はどうでもいいと思っているという事である。
 
最近の話題で男女平等の話がある。
 
相撲の土俵で女性が緊急事態に女性が土俵に上がったのを、相撲側が放送で咎めたというやつである。
 
あれは議論するほどでもなく、相撲協会側の人の勘違いであり、浅い理解でアナウンスしただけで、男女平等を問題視するものではない。
 
しかし、この問題を日本の男女平等にすり替え問題視する人たちがいた。
 
そこで、平等とは何かということを考えたいと思う。
 

平等の概念

リベラルの人は平等をよく問題視する。
 
それなら日本は平等をどう考えていたのだろうか。
 
古代から近代まで、人間の社会には平等の概念がなかったと思う。
 
平等は、自由主義と民主制という概念の根底にある考え方である。

ancient-greek-philosophy

 
民主主義は英語ではデモクラシ-というが、古くは古代ギリシャ時代からある。
 
古代ギリシャの民主主義は、少数派支配に対する多数派支配という考え方から出発している。
 
しかし、その後「デモクラシー」という言葉は衆愚政治の代名詞となる。
 
衆愚政治とは適切なリーダーシップが欠けていたり、判断力が乏しい人間に参政権が与えられている状況をいう。
 
権力者とリーダーは違うが、いつしか同室の匂いを持つようになるものだ。
 
それは、ポピュリズム(大衆に迎合して人気をあおる政治姿勢)にも通じる。
 
例えば共産主義はすべての権力を排除しようとするが、そのリーダーは巨大な権力を持つようになる。
 
現実の社会ではそういう逆説が満ち溢れていることは周知の事実であることも述べておく。
 
主義のはなしはここまでとするが、日本の歴史の中には平等はあったのだろうか。
 
 

邪馬台国の場合

卑弥呼

 
邪馬台国の様子は中国の書物にあるだけなので、それだけで判断したい。
 
男子はみな顔や体に入墨を施している。人々は朱や丹を体に塗っている。入墨は国ごとに左右、大小などが異なり、階級によって差が有る。ウィキペディア
 
 
この記述では、当然身分制度があると思われる。ただこれだけでは、ただの職能によって棲み分けしているとも言える。
 
集会での振る舞いには、父子・男女の区別がない。人々は酒が好きである。ウィキペディア
 
 
ここには、自由平等の考え方がある。
 
宗族には尊卑の序列があり、上の者の言い付けはよく守られる。ウィキペディア
 
 
宗族とは父系同族集団の事をいう。つまり家族を単位とする集団があったのだろう。この場合、父親や年配のものがリーダーだと考えるが、血族なので権力者ではない。
 
こういう記述を読めば、古代の卑弥呼時代はとても自由な社会のように思える。
 
当然リーダーの卑弥呼は権力を持っていたと思われるが、武力政治ではなかった。
 
それは、卑弥呼が登場するまで各国が乱れていて争いが絶えなかったようで、その結果卑弥呼が登場している事による。
 
卑弥呼はシャーマンである。卑弥呼が超能力を持っていたとは考えられないので、一つの考え方で統治していたと考えるのが普通だろう。
 
その考え方は、歴史書では鬼道と書かれている。
 
この鬼道が何かは不明とされているが、中国大陸の人が鬼道と解釈していて記述したのだ。
 
中国大陸では「鬼」とは霊魂の事を言い、つまりは祖先の事と考えたほうが良いのではないだろうか。
 
武力で各国が争っている時、武力にまさる「思想」、ここでは「鬼道」をもって、各国の争いを収めたのだ。
 
これは、とても画期的なことではないだろうか。
 
武力より思想で統治し、それが半世紀のあいだ続いていたという。その後男の王が立ったが失敗に終わり、卑弥呼の娘の壹與(トヨ)が卑弥呼の後を引き継ぎ統治をしたとある。
 
壹與(トヨ)は13歳で女王になっている。初代の卑弥呼はシャーマンとしての能力で統治に成功した。しかし壹與(トヨ)は13歳である。
 
シャーマンの実力に関しては不明だが、この時点から女王の血統という考え方が入ったのではないかと考えられる。
 
神とつながるには年齢は関係なく、能力次第である。その能力は血統によって受け継がれていくものだったのだ。
 

卑弥呼族の支配での平等

血統による王族の支配は平等という概念を持っているのだろうか。
 
ここで言う王族とはリーダーの意味である。
 
平等の概念は、全て同じという意味ではない。
 
法の下の平等など、自由意識や権利意識は、なにか大きな概念の下で生まれてくる。
 
人類の場合、それは神の存在だろう。
 
神という超絶な存在の前にたてば、人間はすべて同じ程の存在で、ただの生き物という立場に変わってしまうからである。
 
まあ、これは倭国だけの話ではない。
 
武力で統治された集団が大きくなっていくに連れ、武力以外の王の存在の正当性を示すことで、より良く統治できることに気づいたとも言える。
 
となれば、統治され国として存在した時点で平等の概念はあると言えるだろう。
 
最初は武力の前の平等で出来上がった国も、大きくなるに連れて神の前の平等と変化していくのだろう。
 

公平

公平(こうへい)は、公に平らなこと、すなわち一定の集団において、偏らないということである。 
 
平等と公平は似ているがやはり違う。
 
その定義は様々で、説明する文章によって雰囲気が変わってくる。
 
私が思う平等と公平の違いは、平等は神などという大きな概念の前で使われるもので、公平は人間社会で使われるものだと考えている。
 
憲法には、法の下での平等をうたっている。
 
ここに平等の概念が明確に示されている。
 
男女平等も法律のもとで示されなければならない。
 
また相撲の話だが、相撲協会、又は相撲のもとで平等は絶対的なものではないことがわかる。
 
ただの因習だったりしきたりだったのだ。
 
もう一つ、教育という概念の前では、平等でなければならないが、学校という個別の組織の前では平等の概念は通用しない。ここでは公平が最優先されるのだ。
 
男子校、女子校などが存在する理由である。
 

天皇

日本の場合、天皇という立場がある種の概念として確立している。
 
これは、日本国が持っている最大の特筆すべき方法だった。
 
天皇イコール神ではないが、天皇と神が血筋で繋がっている事が、大切だったのである。
 
だからこそ、天皇は政治に不介入で概念として存在し続けたのである。
 
天皇の前では、日本国民は臣下として平等であるが、国としては公平なことに重きをおいたのである。
 
だからこそ、日本国は公平な国だったのである。
 

士農工商があっても公平なのか

この士農工商という言葉は中国の漢書から引用された言葉で、身分制度の言葉ではなく、あらゆる職業の民という意味の言葉だ。
 

四民平等

 
最近の研究では、江戸時代に士農工商という身分制度はなかったとされている。その結果教科書からも削除されている。
 
戦国時代まで、農民は戦いがあると武装して戦いに参加している。という事は、士と農の区別は曖昧だったのだ。
 
豊臣秀吉の刀狩などで、武士と農民が分離された。江戸時代は武士の身分が強化されたが、中期以降商人の立場が優位になったりもしている。
 
日本の封建時代という時代でも、平等の概念は生き続けていると思われる。
 
それは、女性の立場である。外国と比べて日本の女性は自由闊達である。身分の固定している武士以外では男性と遜色が無いほど、社会参加している。
 
江戸時代に来た、キリスト教の伝道師たちは、日本の女性の立場に対して自由な存在だと驚嘆している記録があるくらいである。
 
これは平等ということではなく、社会が女性に対して公平だったからだ。
 
身分制度が有り、家長制度がある社会で現代のような平等さはありえない。
 
ただ、長男次男といった年齢差や、男女といった性別に対して、公平さで対応していった。
 
その結果、優遇された長男には、長男の責任を当然のように課したのだ。
 
仕事の世界で弱者だった女性に対しての公平さは、その家の家計を任せ、婚姻の自由さもまた認めたのだ。
 
このシステムは現在まで続いている。
 

平等という言葉の魔力

差別と区別も同じ様に、似ているが概念の違う言葉である。
 
差別も大きな概念に対して言える言葉で、区別は現実的な社会での方策である。
 
男女差別という言葉は、個性や年齢等を考慮しない人権や法律の前で使うことであり、区別とは社会の中で分けたほうがいい場合に使う。
 
男女のトイレが一般的に別々なのは、区別したほうがトラブルがなくなるからである。
 
 
以上のことを踏まえた上で、平等と公平という言葉を使い分けなければならない。
 

共産

 
共産主義では平等という概念を振りかざして社会を作ろうとする。
 
しかし、その弊害はあまりにも大きい。
 
間違った平等概念は民主主義を破壊してしまう。それほど平等という言葉には、悪魔的な魅力のある言葉なのだ。
 
平等という言葉の持つ魔力に打ち勝つには、常に公平さとは何かということを考え続けなければならない。