島原の広域農道を島原方面に行くと有明町あたりで左手に小さな標識が立っている。小さな看板なのでそれを見逃さず細い道を車で下っていくと、工事現場のように金網で囲った古墳がある。それが平山古墳である。

金網の扉を開けて、木々のくもの巣を避けて奥に入っていくと、平山古墳がある。汚い案内板にはこう書いている。

平山古墳の案内板

平山古墳


案内板

平山古墳は島原市内に残存する唯一の古墳で、墳丘は道路等で削平を受け部分的にしか残されていませんが円墳と考えられ、内部は横穴式石室の構造となっています。

 遺物が出土したという記録はありませんが、石室の構造から6世紀後半(古墳時代後期)に築造されたものと推定されます。

 埋葬部の平面は約2m四方の正方形で、床面から高さ1mくらいまで巨石を用いて囲んでいます。その上に40~50cm大の石を持ち送って積み、その上を1枚の大きな平石で塞いで天井石としています。島原市有明町湯江乙420-1

島原市教育委員会 社会教育課
http://www.city.shimabara.lg.jp/rekishi/page2677.html


横穴式石室

このタイプは、4世紀後半から北部九州で造られ、それが九州全域に拡がり、東の方へ伝わったものという。

長崎の案内板には、この手の遺跡に関して「朝鮮半島の影響」とよく書かれているが、現在では南朝鮮半島には縄文人の遺跡や前方後円墳まで発掘されているので、朝鮮半島南部は倭国の範囲という見解が主流になっている。

もういい加減書き直してほしいものである。

古墳は古代の人のお墓である。この遺跡は古墳時代の後期という事になっている。前期では竪穴式石室というタイプが主流だった。前期では、竪穴式石室というタイプが主流だった。上から下に向かって穴を掘って棺と副葬品を埋め、そのあと遺体を収める石棺を作った。

これに対して後期では、横穴式石室という古墳の横から穴を掘っていって埋めるもので、フタは大きな石を使う。

竪穴式にくらべ横穴式は、後から扉を開け、家族や関係者を追加で葬ることが出来るようになっている。その後、墓は古墳ではなく神殿などに移行していく。

さてこの古墳が重要かというとそうでもない。埋葬品などが無いせいもあるが、よくある古墳なのだ。

島原

しかし、有明海に面している地域に一つの大きな勢力があったという証拠にはなる。

この地には旧石器時代から縄文時代の遺物が大量に発見されている。出土量は全国でもトップクラスとある。

このあたりは大陸の匂いがする。その事を題材にした私説があり書いている。

「対馬奪還」 作戦失敗!! 高来の大事件
http://artworks-inter.net/ebook/?p=1049

書いているとだんだん高揚してくる。

そうなるのは私だけであろうか。