封書を整理していたら見慣れない切手があったので、調べてみたら杉本ゆりさんという人だった。

杉本ゆり

 

調べてみたら江戸時代後期のキリシタンで、長崎県浦上村の助産婦で,元治2年大浦天主堂でプチジャン神父に「ワレラノムネ アナタトオナジ」と最初に話しかけ,隠れキリスト信徒と名のりでた人だそうだ。

今回の世界遺産決定に対しての郵便局の素早い反応である。

その素早さに感心してしまった。

それはいいのだが、今回の「潜伏キリシタン遺産」について1つだけ気になる点がある。

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が国内での登録は22件目となる世界遺産に選ばれたが“最後のかくれキリシタン”が暮らす島「生月島(いきつきしま)」が入っていない。

潜伏信仰を守り続けた人たちが最も多くの信徒が残っているのが、長崎県西北端、東シナ海に浮かぶ「生月島(いきつきしま)」という。

世界が認めた「長崎・天草」の不都合な真実
世界遺産登録から「生月島」が外された理由
https://toyokeizai.net/articles/-/227982


その理由は隠れキリシタンなんだけど、生月は潜伏しているうちにキリスト教とは離れてしまい、違う宗教のようなキリスト教に変貌していたのだ。

戦後直後の1949年にも、バチカンは教皇の親書を携えたオーストラリア人の枢機卿を特使として差し向けたが、生月島の信徒たちは「転宗できかねる」と拒んだ。近代のカトリックに従えば、生活に根付いた先祖伝来の信仰のかたちを変えざるをえなくなるからである。

その点をイコモスは問題視したと思う。

世界はほぼキリスト教の国である。そして数少ないキリスト教でない国の1つは日本だ。

何が問題かと言うと信仰ということを考えた時に、キリスト教であろうがなかろうが信仰には変わりないと言うことだ。

私は世界遺産に外れた生月の方が、その信仰という点に関して遺産にすべきものではないかなと思っている。

日本人の感覚から言えば、元はキリスト教なのだから問題ないと言うふうに思うのだが、キリスト教の人たちはキリストの外観が変質してしまえばそれはただの異教としか見えないのだろう。

そこが違うのだ。

日本の行政も日本のキリスト教の信者の人たちも、イコモスの決定に対して、生月の隠れキリシタンの人々を仲間外れすることなく、1つの日本の宗教資産として大切にして欲しいと思うのだ。