八坂神社とほおづき市

八坂神社

夏7月下旬には、鍛冶屋町の八坂神社では「ぎおんまつり」と称して、ほうづき市が開かれる。

また茅(ち)の輪くぐりが設置されている。茅(ち)の輪とはチガヤ(カヤ)を束ねてつくった大きな輪の事である。

この茅(ち)の輪くぐりはお諏訪さんも、7月にやっているようで、最近の神社は色んなイベントを行い、集客に努めているようだ。

茅(ち)の輪くぐり

茅の輪くぐりは日本神話に由来がある。

備後国風土記(びんごのくにふどき)』逸文に書かれている。北海におられた武塔(むとう)の神が南方に行かれたとき夜になり蘇民将来(そみんしょうらい)の家に宿を請われた。兄弟2人いたが弟は富んでいたのに断り、兄は貧しいが喜んで宿を貸した。それで武塔の神は、茅の輪をつくって腰に下げれば災いを免れることを兄に教えたという。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

備後国というのは今の広島県にあたり、武塔(むとう)の神は自分からスサノウと名乗ったと古書には書いている。

結局スサノウは蘇民将来(そみんしょうらい)という人の家に行き、貧しい兄に宿を貸してもらったのでお礼に茅の輪の霊験を教えたという話である。

なんだか、取ってつけたような話だがこの話が元になって、茅(ち)の輪くぐりが始まったとされる。

八坂神社の由緒

八坂神社の由緒には、今篭町に1本の老木があり、その木陰に小さな祠をつくりそこを「天王社」と呼んでいた。

「ぎおんさん」として親しまれる 八坂神社
https://inunohi.com/anzan-kigan/kyusyu/nagasaki/yasaka-jinja/

天王社とは牛頭天王・スサノオを祭神とする祇園信仰の神社である。

諏訪神社と同じように、対キリスト教の為に小さな「天王社」の祠の由来をベースにして、祇園社の神社を建てたことが始まりである。

長崎市内の繁華街はすべて埋立地なので、長崎市内の神社は殆どが1600年以降に建てられている新しい神社である。だからいろんな由緒を語っているが、対キリスト教のプロパガンダの象徴建造物である。だからといって、信仰心が薄いわけではないことを付け加えておく。

また、祭神は牛頭天王・スサノオと書かれているが、牛頭天王は仏教、スサノオは神道である。日本は明治時代に神仏分離が行われたので、祇園神社から八坂神社と改名されている。

そんな理由があるので、今は「ぎおん社八坂神社」という名称が付けられている。

長崎の神社仏閣の殆どが、キリスト教の影響を払拭させたいという国策で建てられているものが多い。長崎のおくんちが極端に派手で出し物が毎年変わるのは、イベント型の神社であることの証でもある。

それがまた長崎らしいのだが……。

ほおづきの陰の姿

ほおづき

私が八坂神社に行った時間は暑い真昼で、ほおづきは並べられてなかったが、ほおづき市というのは、なんとなく夏の風情があり、ほおづき独特の色合いが、浴衣姿の女性と相まって雰囲気を盛り上げるのは確かである。

しかしほおづき市と神社は特別な関係はない。

東京の愛宕神社が発祥であることと、ほおづきが鑑賞以外にも薬用に使える植物であることが、なんとなく神社の縁日にふさわしいかなと思えるくらいである。

しかし、ほおづきの効用を知ると深読みしたくなる。

ほおづきを漢字で書くと「酸漿(さんしょう)」「鬼灯」「鬼燈」と書く。「鬼灯」「鬼燈」はホウズキの姿を見れば、死者の提灯と呼びたくなる気持ちもわかる。

もう一つの酸漿(さんしょう)だが、ほおづきは生薬として使われ、地下茎および根は酸漿根(さんしょうこん)と呼ばれている。

この酸漿根は平安時代より鎮静剤として利用されているが、江戸時代には堕胎剤として利用されていたという。

もしかして、ほおづき市のほおづきを堕胎剤として買った人々がいるのではないかという疑惑が生じる。

これは他にも例が有る。

伊勢神宮に参詣する伊勢参りの話である。

伊勢参りは庶民に流行し大人数の人たちが伊勢神宮に旅立った。そしてその旅の土産に有名な伊勢白粉を買って帰っている。

この伊勢白粉は化粧品なんだが原料に水銀を使っている。顔に塗るには適さず,むしろ,しみやそばかすを取って白くする内服用の薬として利用したものと思われる。

軽粉はノミ,シラミ駆除や駆梅剤(梅毒の薬)としても使われ,一部では堕胎薬ともされていたといわれる。
世界大百科事典内の伊勢白粉の言及

つまり、梅毒の薬や堕胎薬として使われていた事も事実なのだ。

神社の縁日やお伊勢参りなど、多く人が集まるのだが、その陰で堕胎薬としてほおづきを買っていく女性もいただろう。

遊郭

長崎には複数の遊郭が有る。そこで働く女性たちの悲しい事情があったかもしれない。

神や仏への信仰は、こういう部分にも僅かな光明を当ていたかもしれないなと思うのである。

 

ただ、これは私の深読みである。

当たっていないほうがいい想像でもある。

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