長崎市内で路面電車を運行する長崎電気軌道(同市)は8月1日、35年ぶりに電停の名称を変更。「築町」を「新地中華街」にするなど全39カ所中13カ所を対象とした。1915(大正4)年の運行開始以来、最大規模の電停名変更。

「正覚寺下」が「崇福寺」になるのに伴い、1号、4号系統の行く先表示も切り替えた。「めがね橋」(旧賑橋)や「原爆資料館」(旧浜口町)など名所を取り入れ、観光客の利便性を向上させた。

長崎新聞
https://this.kiji.is/397043819620992097?c=174761113988793844


まあ、電車にはお世話になっているし、現状の名称の不具合を解消するついでとして、観光のため名前を一気に変えたというのは、しょうがないかなと思っている。

確かに賑橋が「めがね橋」、浜口町が「原爆資料館」なんかは観光客にとってわかりやすくなったなーと思う。

ただ、「正覚寺下」が「崇福寺」になるのは非常に残念である。なぜなら「正覚寺」は日本へキリスト教伝来後、長崎で暴徒化するキリスト教徒に対抗する仏寺の拠点となったお寺という長崎独特の歴史が存在するからである。

正覚寺の僧・道智は、キリスト教徒と宗教論争をしたりしたので恨まれており、1607年にはキリスト教徒より「天火」という放火制裁により正覚寺は全焼している。

興味のある方は私の小説を読んでください。
小説 穢された十字架(海 潤航)
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885333025/episodes/1177354054885333037

 

今回の電停名変更で、正覚寺の名前が忘れられていくようで残念だ。私は長崎が好きだが、観光地向けのきれい事の歴史だけが独り歩きするのはどうかと思う。

長崎電気軌道の人にしてみれば、正覚寺より崇福寺のほうが、観光客にはわかりやすいと判断しただけで多分他意はないだろうが、正覚寺は江戸時代初期に長崎正常化の最初の拠点だったという歴史的重要度があるのだ。

その事も長崎の歴史として、長崎市は観光客の人たちに説明するくらいの度量の広さを示してほしいものである。

臭いものにフタというのが一番最悪なのである。

1975年の浜の町 撮影アートワークス