長崎市のホームページに掲載されている文章である。

長崎市 開港445年
4月27日は長崎港の開港記念日です。長崎商工会議所が、長崎学の基礎を築いた古賀十二郎先生らに委任して検討した結果、ポルトガル貿易船が入ってきた元亀2年(1571年)を長崎開港の年と認め、開港記念日を4月27日とすることに決定しました。昭和5年のことです。
長崎市のHPより
http://www.city.nagasaki.lg.jp/syokai/710000/715000/p028254.html

色んな所に書いている文章だが、これは問題がある。

「検討した結果、ポルトガル貿易船が入ってきた元亀2年(1571年)を長崎開港の年と認め」と書いているが、事実と違うのだけどみんなで決めた記念日だよって書いている。

なんだか「サラダ記念日」のノリである。

しかも、それを決めたのが昭和5年(1934年)という大昔だということだ。

この年に何があったかというと、ドイツのヒットラーが総統になったり、満州国が日本主導で政治をスタートさせたという年である。

もう変えたほうがいいと私自身は思う。

長崎史の実像―外山幹夫遺稿集

長崎が開港された年1571年ではないという意見は、外山幹夫氏という方が言っているものだ。外山幹夫氏は2013年4月に逝去した方で、長崎史の専門家である。

長崎の歴史を書いている本はいろいろあるが、この外山先生の本が一番信用が置けるとおもう。

長崎史の実像

 

まず開港という言葉の定義だが、「外国との貿易のために港を開放すること」と辞書に書いている。

1571年はポルトガル貿易船が長崎に入ってきた日である。これは事実である。

長崎歴史文化博物館 南蛮屏風(左隻)

これを長崎市は開港と言っているのだ。

しかしこの日を開港というのはおかしい。

何がおかしいかというと、それ以前にも外国の船は長崎にたくさん入って来ているからだ。

中国・朝鮮は外国ではない?

その外国とは中国である。

まず長崎が1571年以前に誰も人がいなかったかのような書き方をしている解説本は間違っている。

「開港以前の長崎は寒村だった」と書いている長崎市PR文をよく見るが、君たちは1571年以降の長崎を見てきたのかと言いたくなる。

長崎市の島原町や大村町などの六カ町の跡を発掘したところ、三角縁四獣鏡や中国製の青磁、白磁なども出土している。

また中国のジャンク船が開港以前に長崎に来ていたことが予測されている。

1571年ポルトガル船が長崎の港に入ってきた時、中国ジャンク船も同伴している。これは道案内をしていたと思われる。

それ以外にも江戸時代の書物に1558年中国船が長崎に入港しているという記述があるし、別の書物「長崎夜話草」には1562年に戸町に中国船が入港しているという記録が残っている。

となれば朝鮮の船も長崎に来ていたと思ってもいいだろう。

政治的配慮か国民感情を忖度

長崎は中国大陸との関係が深い。

五島列島は倭寇の本拠地だったし、幕府が鎖国政策をとるはるか以前から民間貿易は行われていたのだ。

この事実をどう捉えるかだ。

中国ジャンク船

確かに、オランダ船は白人が乗っていてでかい。その驚きは日本人と見た目は変わらず、それほど大きくもない中国のジャンク船と比べようかもしれないが、開港という歴史的事実とは別物である。

それと昭和5年に決めたとあるが、この時代、日清戦争、満州事変、支那事変が起こっている。

なので中国をはっきり言えば嫌っていた日本の時勢である。

しかし何度でも言うが、歴史的事実ははっきり書くべきである。これを疎かにすると、都合のいい歴史が勝手に作られてしまうからである。


別に中国の肩を持つわけでもない。長崎に来たポルトガル船だって、キリスト教を餌に、日本を植民地化しようという下心があったわけである。


だから、ポルトガル貿易船が入ってきた元亀2年(1571年)を長崎開港の年とは言わず、ポルトガル船来港記念日とすればいいだけの話である。


「まあまあ、そう固い事は言わないでよ。ポルトガル船が長崎に来た年を開港記念日にしてしまえば、なんかドラマチックだし、観光のPRにもいいしね。」

こんな態度が嫌いなのである。

腹が立つナー。まったく。他の歴史家の人達は何も言わないのも腹が立つし、学校でこの事を教えない事にも腹が立つ。

知れば知るほど、腹の立つことが増えてくる長崎なのである。