アメリカ戦略情報局長ウィリアム・マックガヴァンは心理的効果を主張し、日本の子供は火事に対する恐怖を刷り込まれているので焼夷弾はパニックと結びつきやすいので、地域爆撃を全面支持し、「地獄を引き起こせ。国中の日本人に参ったと言わせろ」と提案した。

アメリカ陸軍航空軍司令官ヘンリー・アーノルド大将はこの追加報告書を採択した。

ヘンリー・アーノルド大将

 

日本の子供を恐怖に叩き込み、日本の家を焼く為に開発された爆弾

焼夷弾とは、爆弾の中に焼夷剤が入っていて、燃焼することで対象物を火災に追い込む爆弾である。

日本の空爆で使われたのは木造の日本家屋を効率よく焼き払うため、第二次世界大戦時に米軍が開発したM69焼夷弾だ。

これだけでも脅威なのだが、親爆弾の中に38発のM69焼夷弾が入っており、投下後上空700m程度で爆発し、M69焼夷弾をばらまく悪魔のような爆弾である。

なかなか降伏しない日本に対して、アメリカの悪意はどんどんエスカレートしていった。そして、日本中を火の海にして焼き払う大規模な無差別爆撃計画をスタートさせたのだ。

B29

長崎への爆撃
1945年8月1日
来襲機の種別および機数 B24 24機、B25 26機
主な被災地域
大浦町、稲田町、台場町、寿町、銭座町、岩川町、坂本町、山里町、城山町、竹ノ久保町、稲佐町、飽ノ浦町
被害の状況
軍需工場を中心に112トンの爆弾を投下した。第一目標となった三菱長崎造船所をはじめ、三菱製鋼所、長崎医科大学などの施設に大きな被害を出した。
死傷者数384人 うち死者169人 うち負傷者 215人

 

佐世保大空襲(させぼだいくうしゅう)
1945.6月28日から翌日29日(佐世保市街地を中心に約1時間半の爆撃)
来襲機の種別および機数 B29
焼失家屋戸数1万2千余戸
死傷者数1,200余人 うち死者1,200余人 うち負傷者300余人

 

大村空襲
1944年(昭和19年)10月25日
来襲機の種別および機数 B29約数十機
主な被災地域 第21海軍航空廠及び周辺地域
森園町、協和町一帯にあった第21海軍航空廠を目標に、250キロ弾などが約二時間にわたって投下され、航空廠は一部を除き全焼し壊滅状態となった。航空廠からそれた爆弾で松並や西小路の一般家屋も被弾した。
死傷者数約500人 うち死者約200~300人 うち負傷者約180人以上

 

諫早市 国民学校を狙った爆撃
1944年7月8日
来襲機の種別および機数 B29(機数不明)
主な被災地域 久山町
被害の状況
真津山国民学校及び田地に殺傷用小型爆弾投下
うち死者不明 うち負傷者 不明

(これ以外にも多くの空襲を受けている)
長崎県の空襲被害データ – 都道府県別 被害データ – 空襲の記録 – 未来に …
https://wararchive.yahoo.co.jp/airraid/pref/?id=42

 

そして、1945年8月9日午前11時02分。B29が2機長崎上空に現れ、松山町上空に原子爆弾が投下された。

焼失家屋戸数11,574戸
死傷者数148793人 うち死者73884人 うち負傷者74909人

 

アメリカの高校生は、日本を懲らしめるには原爆は必要だったと思っているという。

 

2007年(平成19年)に久間章生(南島原市出身の長崎の政治家、元防衛大臣)が「原爆投下は仕方が無かった」と発言。

久間 章生氏

本島(元長崎市長)は非難を浴びた久間を「当然の認識で僕も同感」と述べた。

本島等氏

 

産経新聞は、本島等元長崎市長の発言にみられるような原爆は仕方なかったという考えの原点は、『安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから』という原爆死没者慰霊碑の碑文(広島)にあるとして、「素直に読めば、原爆投下は、日本人に責任があるということになる。」「これをありがたがる人たちに、久間の発言を非難する資格はない」と断じた。

傷つけられた慰霊碑(2005年8月)

 

死んでいった子供たちは、何も悪いことはしていない・・・

 

原爆記念像