「まぼろしの邪馬台国」と共に歩む
邪馬台国は島原半島北部に在り

これは、私の説ではなく宮崎康平氏の「まぼろしの邪馬台国」の結論である。 そして私も同感である。 長崎で古代史に興味を持ったのが、今から30余年ほど昔である。 その間、いろいろ調べまわったが、やはり「邪馬台国は島原半島北部 […]

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「まぼろしの邪馬台国」と共に歩む
一をなぜ"ひ"と言うのか

私が一番感心した、宮崎さんの発想がこれである。 日本の数字の語源は不明である。 いち、に、さん、し と現代では数える。 これは、漢語由来の読み方である。 もう一つある。 ひ、ふ、み、よ である。 これは和語系列である。 […]

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「まぼろしの邪馬台国」と共に歩む
考古学界に反旗。稲作は縄文時代から(2)

「まぼろしの邪馬台国」と共に歩む(2) ばかげた米の南朝鮮渡来説 「まぼろしの邪馬台国」では、「ばかげた米の南朝鮮渡来説」というタイトルで稲作のことが書かれている。 このタイトルは、宮崎康平氏が熱帯性のバナナ栽培事業の経 […]

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「まぼろしの邪馬台国」と共に歩む
「まぼろしの邪馬台国」と共に歩む (1)

先日、諌早の郷土史を借りるため図書館に行ったら、「まぼろしの邪馬台国」の本が本棚にあった。 宮崎康平氏の本で、1967年(昭和42年)講談社から出版され、現在も販売されている。 第一回吉川英治文化賞をとり、邪馬台国ブーム […]

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