古代史の真実は奇妙な事実から
イメージ先行の古代人復元図
旧石器人の頭蓋骨が石垣島から発見された。
これだけなら、こんなに話題になっていない。
話題になった理由は、その旧石器人の顔が予想を覆し、縄文人風の顔ではなかったからである。
詳しい記事は各HPに記載されているので参照して頂きたい。
正体見えない旧石器人。沖縄・石垣に手がかり"]正体見えない旧石器人。沖縄・石垣に手がかり
この事は、縄文人の起源を解明出来るかも知れない大事件である。
今回の発見による旧石器人の復元図 今回私が最も驚いたのは、港川人1号の復元模型が、イメージ先行で造られていたということだ。
同じ沖縄で発見された港川人。まるで今の日本人そっくりだ。
縄文人に似せて造られた模型
詳細 港川人の復元模型。
国立科学博物館の展示。模型制作時は港川人は縄文人の祖先と思われていたため、日本人に似せて模型が作成されたが、後年、最新機器を使った人骨再調査によりこの模型とは異なり、オーストラリア先住民やニューギニアの集団に近い復元図が発表された。
「日本人に似せて模型が作成された」ではすまされない。
こんな事は勘弁して欲しい。
この段はすべて引用 私も弥生人が稲作を持ってきて縄文人を追いやったという話しは、昔から信用していなかった。
その理由はいくらでもある。
大体、古代に文化の進んだ弥生人が朝鮮半島にいるわけがない。
水稲種は日本から朝鮮半島に伝播したという説が有力なのだ。
朝鮮の事を悪くいうつもりは全くないが、朝鮮半島の古代はいまだに不明なのだ。
中国の史書によると、3世紀頃には朝鮮半島北部や東北部沿岸には夫余諸族、南部には韓族が住み、西北部は漢や魏などの郡が置かれて移民の漢族も住んでいた。ウィキペディア
やっと3世紀頃の話しである。
日本の縄文時代が最近大幅に見直されている。
石器時代に日本に渡ってきた人達は、東の果てで融合し成熟を始めたのは事実。
日本より東に行けないからである。
つまりアジアの東の縁には、各地域の文化のエッセンスが集積していくのである。
これが、縄文という文化である。
端っこだから、文化が発達していないのではなく、端っこだから濃い文化が発生したのだ。
ということは、日本から大陸に向けて文化が発信されていったと考えるほうが自然だ。
ちなみに昔教科書で習った4大文明だが、現在では完全に否定されている。
この4大文明の話しはヨーロッパではまったく受けいられていない。
血液型性格判断のようなもので、これもまた日本と台湾くらいで流行っているだけである。
もっとたくさん優れた文明が20くらい合ったというのが現在の定説である。
http://matome.naver.jp/odai/2135927803966836901
日本人は弥生人の進化形という嘘
ゲノムの抽出は現代人からのものであるが、「縄文人(倭人)の系統と弥生系渡来人(シナ・朝鮮人)の系統が共存する」とまで言及するのであれば、その抽出標本は縄文時代と弥生時代の人骨からでなければ、二重構造説や人種置換説の根拠とはなりえない。
日本には最初、源日本人(縄文人)が住んでいて、稲作を持ってきた大陸系(弥生人)が駆逐していったという話しは、すでに定番になっているようだが、その根拠は乏しすぎ信用できない。
つまり、稲作を持ってきた大陸系(弥生人)の話しには根拠がないと言うことだ。
「弥生人=渡来人」説の大嘘
http://hensuiryuu-taijyutu.seesaa.net/article/157402768.html?seesaa_related=related_article
その①・・・「弥生人=渡来人」説の否定(病理学の見地から検証)
その②・・・縄文人と弥生人の骨格の比較から「弥生人=渡来人」とする嘘。
その③・・・考古学遺蹟から見る「弥生人=渡来人」説の嘘
その④・・・遺伝子から見た「弥生人=渡来人」の嘘。
近年の考古学における発掘調査から判明している事実からは、縄文人=弥生人=倭人=日本人とする見方が正しい。
縄文人と弥生人は同じ人 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2250.html 小名木善行 ねずさんの ひとりごと
偽造(変造)写真を使っていた、縄文人と弥生人
この写真は衝撃的だった。
縄文と弥生という考え方に、日本人のルーツは大陸系であるという考えが今まで植え付けられていたのに気がついた瞬間でもあった。
歴史の解釈は人それぞれであるので、言いたい放題でも良いと思う。
私は学術的な素養がなく思いつきがほとんどだから、私の説が正しいとは思わない。
ただ、今までの学説を鵜呑みに出来ないと言うことを思い知っているだけである。
コペルニクスと地動説みたいな事は、いくらでもあると本気で信じている。
私の敬愛する探偵シャーロック・ホームズの言葉。
原文:When you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth. 訳:
「不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる」
サー・アーサー・コナン・ドイル著