三柱鳥居の謎

 Konoshima-jinja haisho.JPG 詳細 木嶋坐天照御魂神社 拝所

(木嶋坐天照御魂神社 拝所)  

秦氏のことを調べていたら、木嶋(このしま)神社の三柱鳥居の写真を目にした。

珍しくなにやら秘密じみていて頭に残っていたので調べてみる。

三柱鳥居

外見は写真の通りである。 池の中に於かれていて真ん中には石が積んでいた。

北斎漫画にも描かれているくらいで、江戸時代でも有名だったのだろう。

葛飾北斎画:『北斎漫画』『三柱鳥居』

(葛飾北斎画:『北斎漫画』『三柱鳥居』)

木嶋神社は蚕の社とも呼ばれ古くから祈雨の神として信仰された神社とある。

場所は京都府京都市右京区太秦森ケ東町

そう「太秦(うずまさ)」である。

主祭神は天之御中主神、大国魂神、穂々出見命、鵜茅葺不合命、瓊々杵尊

社名は「木嶋坐天照御魂神社」とあり「天照御魂神(あまてるみむすびのかみ)」を祭っているが、天照大神(皇祖神)ではないといわれている。

創建は不詳だが推定すると大宝元年(701年)以前ともいわれている。  

凄く古い神社である。

京都  太秦

嵯峨野・太秦周辺は渡来系氏族の秦氏が開拓した地で、広隆寺・松尾大社・蛇塚古墳などの関係寺社・史跡が知られることから、木嶋社もまた秦氏ゆかりの神社といわれる。

ただし秦氏の渡来以前にも、木嶋社付近では和泉式部町遺跡などの弥生時代頃からの集住を表す遺跡の存在が知られている。ウィキペディア

つまり、渡来系氏族秦氏の本拠地とされているが、それ以前にも人々が住んでいたので、遺跡や言い伝えなどがすべて秦氏ではないといいたいのであろう。  

秦氏

秦氏は『日本書紀』において、応神14年(283年)、天皇に仕えた弓月君を祖とし、百済より百二十県の人を率いて帰化したと記されている。(別名は融通王)を祖とする。

弓月君は現在「ゆうずきのきみ」とも読んでいるが、弓月の朝鮮語の音訓が百済の和訓である「くだら」と同音である。

という事は百済の君という事か。

弓月の弓と月の字に、特別な意味はないと思う。

本来漢字には意味があるので、現代の私たちは字の意味に引きづられて考えてしまう。

弓月君と融通王は同じ読みをする。

http://ikuno.lolipop.jp/piramido/pa-hyogo/hy03-01.htm

秦氏に関しては、他の人の研究も多く、私も調べているのでここでは割愛する。

時間探偵 http://artworks-inter.net/ebook/?p=1224

謎の多い氏族であるのは間違いない。  

三柱鳥居も秦氏独特のものとも思われる。

この神社以外にも三柱鳥居は存在する。  

三囲神社(東京都墨田区向島)には、石造りの三柱鳥居があり鳥居に囲まれるように井戸が設けられている。

三井家の守護神として崇められていることもあり、鳥居には「三角石鳥居。三井邸より移す。

原形は京都・太秦 木島神社にある」と書かれている。

三囲神社の三柱鳥居

(三囲神社の三柱鳥居)  

大和町 (岐阜県)にある三柱鳥居は、標高1000メートルほどの場所にあるが、鳥居がある場所に神社はない。

岐阜県大和町の三柱鳥居

奈良県桜井市の三柱鳥居 新しく作られている新造品。

三柱鳥居の不思議さから、色んな意味をつけて作られている。 http://www7a.biglobe.ne.jp/~mkun/nazo/mihasira0.htm  

大寧軒_三柱鳥居

南禅寺大寧軒(だいねいけん)の三柱鳥居 大寧軒の三柱鳥居は、木島神社の三柱鳥居を模したとみられている。

http://www.kyotofukoh.jp/report972.html  

和多都美神社三柱鳥居

対馬の和多都美神社

(http://4travel.jp/travelogue/10733356 より引用させて頂きました)  

私の住んでいる長崎市の諏訪神社に蛭子社があり、そこにも三柱鳥居があったと記録にある。

各地に三柱鳥居は存在する。  

鳥居は神社につきもので、社殿とセットであるべきである。

そして人と神の結界である事は、一般的に通用する説である。

これは間違いないだろう。

私も自説があるのでそちらも参考にして頂きたい。

時間探偵・鳥居は神を封じ込める結界

鳥居は神を封じ込める結界
 長崎市内 身代わり天神 撮影アートワークス          神社には鳥居がある。大きい鳥居やお稲荷さんの赤い鳥居。種類も多彩である。こ...

鳥居は門である。

基本的には通り抜けられるものだが三柱鳥居はその機能がない。

特別な結界だと思われる。

よく、三柱鳥居の謎解きを読むと、キリスト教だとかユダヤとかの説が多く、その奇妙さが怖さも相まって尋常ではない雰囲気があるからだろう。  

別の角度から考えてみる。

不思議な鳥居は、私たちがよく知っているお稲荷様にもある。

あの極端に数の多い真っ赤な鳥居は、伝統的な鳥居の形式から外れているとおもう。

千本鳥居

(伏見稲荷大社)

これもまた京都一帯の豪族・秦氏の氏神である。

木嶋神社内にも稲荷社がある。  

やはり、秦氏一族の独特のとらえ方が、こんな鳥居を生み出したのだろう。  

秦氏一族にはやはり何かがある。  

木嶋(このしま)神社の三柱鳥居は池の中にある。

その中央には今は石が積み上げられているが、本来何があったかさだかではない。

木嶋(このしま)神社の祭神に関して、ウィキペディアでも但し書きがある。

天照大神と天照御魂は別の神様

社名が「木嶋坐天照御魂神社」とあり、木嶋にいる天照御魂がご本尊だと明記している。  

これは、木嶋坐天照御魂はアニミズムと呼ばれる太陽信仰の神を祭る場所で、皇室の最高神である「天照大神」とは別物であるとはっきり書いてあるのと同じ事だ。

読み方も「天照御魂神(あまてるみむすびのかみ)」であって「アマテラス」ではない。  

そして古くから祈雨の神として信仰された神社とある。

特別に雨に関係している神様が入るわけではないが、元糺(もとただし)の池、元糺の森と呼ぶのはここで神事が行なわれていたからである。

今でも下鴨神社、木嶋神社ともに夏の土用丑の日に糺の森の中の池に手足を浸して禊をする神事(相嘗祭、祈雨祭)が行われている。

昔は神事などに従う前、ここで全身を水で清めたとの事であろう。

つまり、この池には穢れをはらう力があるということである。

元糺(もとただし)という名も不気味である。  

何をどう、元にただすのが?!

木嶋神社の元糺(もとただし)の池で禊ぎをすれば、汚れが祓われ、元に戻るという事だが 元とは何だろうか。  

そして元糺の池に、今回の三柱鳥居がある。

木嶋(このしま)神社の事を調べても、由緒ある神社だという事はわかるが、三柱鳥居が有る理由にはたどり着けなかった。

他の場所にある三柱鳥居を調べなおして見た。  

やはり古さと格式からいっても対馬の和多都美神社があやしい。

海に臨む鳥居

和多都美神社は長崎県対馬市豊玉町に有る神社で、海彦山彦の伝説が残り、竜宮城といわれている神社である。  

和多都美は「渡海宮(わたつみのみや)」といっていた。 対馬は文字通り大陸と大和の海路の最重要拠点であり、さまざまな伝説や重要な遺跡が多い。

和多都美(わたつみ)の「わた」は秦(はた)に通じるといわれる。

わた‐つ‐み【海=神】 《「つ」は「の」の意の格助詞。「わだつみ」「わたづみ」とも》

1 海を支配する神。海神。わたがみ。わたのかみ。 「―の持てる白玉見まく欲り千度そ告?(の)?りし潜?(かづ)?きする海人?(あま)?は」〈万・一三〇二〉 2 《1がいる場所の意から》海。

大海。 「―の豊旗雲に入日さし今夜?(こよひ)?の月夜さやけかりこそ」〈万・一五〉 出典:デジタル大辞泉

ワタツミ・ワダツミ(海神・綿津見)とは日本神話の海の神のこと、転じて海・海原そのものを指す場合もある。 「ワタ」は海の古語という。

和田、波田などは海系統の名字といわれている。  

この和多都美神社の何が凄いかというと、対馬にあるということである。

対馬は古事記の国産みに「対馬洲」「対馬島」として出てくる。

さらに、あの『魏志』倭人伝にしっかり出てくる。

その『魏志』倭人伝の描写によると、

対馬は、居る処は絶島で、土地は山が険しく、深林が多く、道は獣の径(みち)のようであり、千余戸の家はあるものの、良田がないので海産物を採集して自活し、船による南北の交易によって生活していたと記されている。

また、他の倭の諸国同様に、「卑狗」(ヒコ)と呼ばれる大官と「卑奴母離」(ヒナモリ)と呼ばれる副官による統治がなされていたとする。

第18代新羅王実聖尼師今の治世7年(408年)に、倭人が新羅を襲撃するため対馬島内に軍営を設置していたことが記されている。

このように、対馬はヤマト王権による朝鮮半島出兵の中継地としての役割を担っていたことが知られる。

このように対馬は朝鮮と倭国の重要拠点であり、千余戸の家がある国だったのだ。  

対馬神道

対馬には卜部神道の源流をなすのが対馬神道があり29座もの式内社があった。

対馬神道の原点ともいえる『天道縁起』には、ウツロ船に乗って感精した女が天童を生んだという独特の天童信仰があり、遠く北陸・出羽にも影響をあたえた。

この天道縁起は、高句麗王朝の始祖・朱蒙の生誕伝説と同じベースを持っている。

古朝鮮の歴史は、何も資料がないので不明なのだが、朝鮮半島はこの影響を受けているといえる。  

天道伝説は日本の神道といわれている古事記の高天原の話と違うのだ。

「木嶋神社」の木嶋坐天照御魂もまた、古事記の高天原の天照とは違う「太陽神」つまり「天童」が神として信仰されていたということになる。  

古事記の「高天原、天孫降臨」のほうが後から出来たのである。

邪馬台国の卑弥呼も日巫女といわれているが、この「日」はアマテラスではなく、対馬神道の天童の可能性が、かなり高いといえる。

対馬神道の処女懐胎の逸話は、キリストのマリアの話しが有名だが、世界中に存在する。

アイヌの伝承に出る、はるか彼方の島メノコ・コタンの住民は全員女性で、東の風を受けて孕むという。

『西遊記』(第五十三回)には、妊娠する水を飲んで懐胎する西梁女人国で、三蔵法師と猪八戒が水を飲み孕んでしまう話がある。 中国の伝承には、入浴して孕む、井戸を見て孕む、ある川の水を飲んで孕む、南風を受けて孕むというものがある。

仏教の説話には摩耶夫人は六本の牙を持つ白い象が胎内に入る夢を見て釈迦を懐妊した、とされる。

つまり、処女懐胎はキリストの話だけの話しではないということをいっておく。    

和多都美神社の三柱鳥居は二つ有る。

ひとつは参道の脇にある海水の入り込む潮溜まりに阿曇磯良(あづみのいそら)の岩を囲む形である。

潮が満ちると水中の上に立つ形になる。

和多都美神社三柱鳥居

(阿曇磯良(あづみのいそら)の岩を囲む形)

もうひとつは、海神の豊玉彦命の墓を囲む形で三柱鳥居は立っている。

和多都美神社

彦左の正眼! より引用させて頂きました。 http://hero1945.livedoor.biz/tag/%E4%B8%89%E6%9F%B1%E9%B3%A5%E5%B1%85

一般の鳥居は神社の前に立っている。

鳥居は結界となり、神と人を仕切るものである。

神殿と鳥居はワンセットになっていなければならないはずである。  

ところが三柱鳥居は、神殿が無い。

三角形の中央に、石、又は岩が置いている。 まさに守っている形になっている。

三柱鳥居といい、海に続いている神社といい、独特の神道がこの場所に存在している。  

対馬全体を検証したい。  

アマテラスより古い天照乃神社

阿麻テ留(アマテル)神社 対馬には美津島町に小さな『阿麻テ留(アマテル)神社』 がある。

この神社の御祭神は「日神命」、「天照御魂命」である。

あの木嶋神社の祭神も「天照御魂命」である。

「大小神社帳」では、「照日権現神社」、古くは「天照乃神社(アマテルノジンジャ)」とある。

「明細帳」に「阿麻テ留神社」とある。  

だから、最初は天照乃神社だったのである。

対馬の歴史を考えれば、古事記の「天照(アマテラス)」より古い。

倭国の太陽神は対馬の天照乃神社だったのだ。

しかし、対馬の天照乃神社の言い伝えは、

阿麻テ留神社の場所が、対馬下県主たる日神命(天照魂命)が住まわれた土地であると云う。

日神命(天照魂命)は高御魂尊の末裔で、皇孫降臨の時に、お供奉った神である。

古い本紀に曰く、天日神は対馬県主等の祖云々とある。 http://hero1945.livedoor.biz/tag/アマテル神社

にあるように、天孫族が出てこない。

天道信仰と「おそろしどころ」

対馬では独自の天道信仰がある。

太陽の光が女性の陰部に差し込んで孕み、子供を産むという太陽感精神話が伝えられ、母神と子神として祀るようになったという。

母神を山麓に子神を山上に祀り、天神たる太陽を拝むことが多く、山は天道山として禁忌の聖地とされる。

子神は天童や天童法師とも言われる。

天道信仰の聖地、天神多久頭魂神社(てんじんたくずだまじんじゃ)は、杜の無い磐座(いわくら)の祭壇があるのみである。

そしてその天道伝説を実証するのが、八丁角にあるご神体である。

ユーチューブにその道のりを記録しているビデオがある。

見てみると、確かに常軌を逸している。

対馬 八丁角(郭) ながさき島ステーション 八丁角 https://www.youtube.com/watch?v=devVmu6cCcs ムービーのスクリーンショット

対馬 八丁角(郭)

手入れ無しの山道と、天神様のように間隔のせまい鳥居が続くのが不気味である。

さらに、深い山奥にある積み上げられたらピラミッドのようなご神体。

八丁角とは、八丁四方という意味で、この墓を中心とする方八丁=約1キロメートル四方の区域は「卒土の内(そとのうち)」と呼ばれ、「おそろしどころ」と言われて、かつては絶対侵入不可の土地であった。 http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/0194366581dbf3fb2e2f43d376280ae0

八丁角

浅藻の「おそろし処」、八丁角 ( その他人文科学 ) – つれづれなるまま – より引用させて頂きました。 http://blogs.yahoo.co.jp/sakimori_no_shima/9815862.html

朝鮮通信使の一員として日本を訪れた人の記録がある。

「南北に高山あり。みな天神となづく。南は子神と称し、北は母神と称す。

俗、神を尊び、家家、素撰をもってこれを祭る。

山の草木、禽獣は人あえて犯すもの無し。

罪人、神堂に走入すれば、すなわちこれあえて追捕せず」 天神は天道、北の母神は佐護の天道山、南の子神は豆酸(つつ)の卒土山に比定されている。

「ソト」は神をまつる治外法権の場所であると同時に、「ソトを立てるの義、浮しゅに似るあり」とあって、仏塔に似たものを意味するらしく、浅藻の八丁角の累石壇が連想される。

【地名の由来】単純に津々(港)が豆酘の字に変わったという説もあれば、海人のシンボルである蛇を表す筒に由来するという説もある。

ちなみに住吉大社の祭神は筒男三神。

http://tsmzen.com/mura/tutu.html

そして、その鳥居だが、どう見ても一般の鳥居ではない。

昔からこうなのか、壊れてしまっているのか不明だが2本足ではない。

もしかすると、三本柱の鳥居もこの形式を汲んでいるのかもしれない。  

蛇足 対馬卜部の祭神である太祝詞神(天児屋根の別名)太祝詞神社(ふとのりとじんじゃ)というのがある。

京都の秦氏の本拠地、太秦の字でうづまさとよませている由来のひとつに 雄略天皇の御世、 渡来系の豪族秦氏(秦酒公)が、絹を「うず高く積んだ」ことから、「禹豆満佐=うずまさ」の号を与えられ、これに「太秦」の漢字表記を当てたという説 がある。

そうかもしれないが、「太」は「太祝詞神」の「太」や太陽の「太」をとったのかもしれないなと想像で思う。

和多都美神社の二つ有る三柱鳥居はどちらも真ん中に石がつまれている。

これは、八丁角と同じである。

そして木島神社の三柱鳥居も同じなのだ。

三柱鳥居は他の場所では見られない。

となれば、秦氏は対馬出身の一族ということになる。

又は和多都美神社を信仰している人間が指導者だったのだろう。      

鳥居は一直線に海に向かっているというか、海から陸に向かって並んでいる。

鳥居の方向は、朝鮮半島から陸に上がってきて、その延長線には阿曇磯良の志賀海神社がある。

地図

その当時朝鮮半島にはどの民族が住んでいたのか不明であるが、史実からいえば漢朝によって設置された楽浪郡の支配下にあったと思われる。

漢朝によって設置された楽浪郡が西暦313年まで存在したとあるので、百済、新羅が国として体裁を整えるのは4世紀以降といわれている。

楽浪郡 漢朝によって設置され、紀元前108年から西暦313年まで存在した、朝鮮半島北部の郡(地方行政機構、植民地との見方も存在する)。

三柱鳥居は、特別霊的なものではない。

大切なものを敬う、恐れる、といった単純な発想からきている。

現在の神道より発想が自由なのだ。

神道は偶像崇拝ではない。本来は社殿すらない。  

日本の神道の根源の象徴でもある八丁角 「おそろし処」と呼ばれ、禁忌(きんき、タブー)の聖地。

神道は偶像を崇拝しないかわりに信仰の対象である自然の岩や山を敬い、 鳥居をたてて、人が勝手に手を入れない禁忌を示す鳥居をもうけている。

だから鳥居は結界である。  

三角鳥居は「おそろしどころ」

三角鳥居はそんな神道の基本姿勢とは一線を引く。

対象が井戸であったり、岩であったりする。

三角鳥居は閉じた世界の象徴である。

絶対触れてはいけない、象徴の存在を表現している。

つまり「おそろしどころ」なのだ。

そして、それは対馬の神社全体でおこなっていたわけではない。

和多都美神社だけである。

こんな話しがある。  

三角寺 愛媛県四国中央市金田町三角寺75にある高野山真言宗の寺院。

空海(弘法大師)が来訪した際、本尊である十一面観世音と不動明王を刻み、三角形の護摩壇を築き21日間降伏の秘法を施したとされる。ウィキペディア

三角形の鳥居というだけで、キリスト教の三位一体や宇宙原理などを持ち出す人も多いが、人間が生きていく上で、形というのは常に周りにあるものだ。

四角や丸は安定感があり、色んなものによく使われている。

しかし三角形は尖っていて、閉ざされているし攻撃的な危険な臭いがする。

三角形は、円以外の様々な形の最小形である。

この手の話しになるとよく出てくる五芒星、六芒星も三角形の集合体である。

西洋魔術にもピラミッドにも出てくる形だ。

特定の宗教や考え方ではなく洋の東西を問わず三角形はある種の力を持っていると人間は考える。  

その中での三角鳥居である。

和多都美神社を本拠地にしていた一族は対馬内でも、特殊だったのだろう。

いや、対馬の古代神道の流れをくみながらも、新しく台頭してきた大和一族に大きな魅力を感じていた一族だと思われる。

それが秦氏だったのだ。

2世紀 – 7世紀頃において、日本から主に朝鮮半島に移住した倭人(倭族・大和民族)であっても、日本に亡命・帰還した際は渡来人と呼称されている。

今の日本のおおもとを培ってきた、中国や世界の技術を肌で感じ取った大陸系倭人一族は、倭国で統一運動を推進している日本に帰国したといえる。  

秦氏の三本柱鳥居は、精神的な母体、和多都美神社を忘れないための遺跡であり、天道信仰の封印の場所でもあった。  

だから木嶋坐天照御魂神社と名付けたのだ。

海神神社の目の前の地には木坂海神神社がある。

さらに、木嶋の名前は、大和朝廷のある木の国、つまり日本の中にある対馬(嶋)の事を示している。  

対馬にあった、日本の古代神道は人を寄せ付けない神道であった。

和多都美神社は、海の中にも鳥居を立てたり、三角鳥居を作ったり、鳥居の数が多かったりと、神道を人のために生かしていく方向性を持った、ニューウェーブの集団であった事は間違いない。

この写真を比べて欲しい。

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彦左の正眼! より引用させて頂きました。 神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 番外編(三柱鳥居と天照御魂神社の謎)

http://hero1945.livedoor.biz/tag/%E4%B8%89%E6%9F%B1%E9%B3%A5%E5%B1%85

ワタツミ神社

京都を感じる日々★古今往来Part1・・・京都非観光名所案内 蚕の社(木嶋坐天照御魂神社・木島神社)より引用させて頂きました。 http://blogs.yahoo.co.jp/hiropi1600/47022860.html

和多都美神社と木嶋坐天照御魂神社の社殿はよく似ている。  

さらに木嶋坐天照御魂神社には次の5柱が祭神となっている。

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

大国魂神(おおくにたまのかみ)

穂々出見命(ほほでみのみこと)

鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)

瓊々杵尊(ににぎのみこと)

 

鵜草葺不合命

この中の鵜茅葺不合命だが、彦火火出見尊(山幸彦)と、海神の娘である豊玉姫の子である。

これだけでも和多都美神社と関係があると公表していることになるのだが、 鵜茅葺不合は、鵜(う)の羽で屋根をふこうとしたところ,ふきおわらないうちに生まれたことから来るとある。

つまり、屋根がない神様ということになる。

屋根がない神様とは、対馬の天道信仰、八丁角(郭)のご神体は社殿がない。

つまり、屋根を持っていない神様である。

そして三本柱鳥居にも社殿がない

鳥居だけで、守られているご先祖様にも屋根がない。  

自分たちの元を糺す場所

三角鳥居は、故郷の和多都美神社をしのぶ祈りの形だったのだろう。  

そして元糺の池

この「元糺の池」は、故郷の対馬の和多都美神社なのだ。

秦氏は、この地を対馬天道という自分たちのルーツの場所とした。

「元糺の池」は、自分たちをルーツにただす場所として残したのだ。

元糺とは自分たちの元をただす意味である。

自分たちの元(ルーツ)とは、大和が信仰している天照ではない天道信仰をもつ一族という意味である。

そして、その池にある三角鳥居は、絶対不可侵の「おそろしどころ」として存在しているのだ。

これが三角鳥居の正体である。

(2017.2 加筆)

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コメント

  1. 倉庫のゆり より:

    「秦氏」「三柱鳥居」については、長年、読み漁っていますが、貴氏の慧眼に感服致しました。
    貴氏の投げ掛けておられた点について、気付いた事をご参考までに述べたいと思います。
    「元糺ノ池」「元糺ノ森」についてですが、漢字字解、ミトラ神と関連させて、推測したいと思います。
    『字統』白川静著には、「糺」=「糾」ただす、あざなう、キュウ
    =縄を三合する、とあります。象形は、「縄、よりあわせる形」=蛇、ロープで降下する形に見えます。キュウキュウと縄ずれ音がしますね。
    『ミトラス教』フェルマースレン著、表紙には、「ファネス(時間の神)と習合したミトラス神」2世紀、が使われています。
    ミトラ=巳寅=頭上に寅(UFO)、体に三合(四合)巳(縄)を巻き付けている。「UFO船内の柱(錫杖)に掴まり、手に三ツ又の鍬(いかづち)を持って地上に降り立とうとしている」かのようにも見えます。
    ミトラ神は、太秦 広隆寺の「牛祭り」に牛に後ろ向きに乗っています。
    つまり、「元糺ノ池、森」とは、元々は、「天空浮舟から神が縄を体を三重に巻き付けて糺池、糺森に降り立った」んじゃないか、ということです。
    「縄を真っ直ぐに垂らす」=糾す、正す、とういうことではないでしょうか。
    補足ですが、「秦」に「禾」ではなく、「示」を使ってる字があります。
    「示」=祖霊=天が三垂をもって示す、とあり、光が真っ直ぐに降りてくる象形にも見えます。

  2. artworks より:

    コメントありがとうございます。続けて検証を重ねていきたいと思います。