文字を持たない国 古代日本とインカ
邪馬台国について不思議なのは、かなり文化度が高く、言語体系も確立していた国家なのに、文字を持っていないという事だった。
しかし、邪馬台国は、卑弥呼1代でも50年くらい平穏だった。
これはすごい事だと思う。
今の日本は1年おきに総理大臣が替わるのだ。
卑弥呼政権は、まさに長期政権と言ってもいいだろう。
そんな国が、文字を持っていなかったのだ。
邪馬台国というと卑弥呼がワンセットになってしまうので、倭国という事にする。
いままで、強大な中国、矮小な倭国。そんな図式が頭に刷り込まれていたようだ。
倭国は海洋国である。
中国大陸の事は知り尽くしていたと言ってもいいんだと思う。
倭人という範囲で捉えれば、大陸にも拠点があったという文献も多い。
倭国はもっとスケールの大きな国で、過去の中国の書物に書かれているとおり、理想郷に近いものがあったのかも知れない。
これは、たんに空想ではなく、事実のようだ。
文献にある邪馬台国時代だが、ご存じの通り文献が何も残っていない。
中国側の文献が、唯一の手がかりというのが、その証拠である。
倭国が「本気」で文字を使い始めたのは、奈良時代の頃。
万葉仮名と呼ばれる、日本語を表記するために漢字の音を借用して用いられた文字が最初だとおもう。
「本気」でと書いたのは、これまでも文字を使おうと思えば使える文化度があったのにという意味だ。
一度使い始めると、日本は様々なアレンジを施す。
平安時代には万葉仮名から平仮名・片仮名を生み出す。
現代でも外来語を取り入れ、どんどん変化していくのは、日本人のDNAかも知れない。
元に戻るが、なぜ倭国は文字を持たなかったのか。
『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」に記述があり、後漢の光武帝が建武中元2年(57年)に奴国からの朝賀使へ(冊封のしるしとして)賜った印がこれに相当するとされる。(漢委奴国王印 - Wikipedia)
アジアでナンバーワンの漢字の国とやり取りをし、金印までもらっちゃう国が、文字を持たなかったのである。
これほどのミステリーはないと思う。
結論は、意図的に文字を持たなかったのである。
そんな国が他にもあった。
インカ帝国である。
(インカ帝国 - Wikipedia) インカ文明と呼ばれることもある。
その場合は、巨大な石の建築と精密な石の加工などの技術、土器や織物などの遺物、生業、インカ道を含めたすぐれた統治システムなどの面を評価しての呼称である。
(省略) インカ帝国は、被征服民族については比較的自由に自治を認めていたため、一種の連邦国家のような体をなしていた。
どうだろう。邪馬台国と似ていないだろうか。
ご存じの通り、インカ帝国は内戦とスペインによる征服で、あっけなく滅んでいった。
(インカ帝国 - Wikipedia)
インカはかつては文字を持っていたが、迷信的理由により廃止したという説がある。
文字の代わりとして、キープと呼ばれる結び縄による数字表記が存在し、これで暦法や納税などの記録を行った。
近年になって、このキープが言語情報を含んでいる事が研究によって明らかにされている。
魏志倭人伝にも、邪馬台国の政治の仕組みが書かれていたり、税金を徴収し、市場が各地で開かれていたと記録されている。
更に、女は慎み深く嫉妬しない。盗みは無く、訴訟も少ない。法を犯した場合、軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにする。宗族には尊卑の序列があり、上の者の言い付けはよく守られる。
これほど、統制のきいた国はないだろう。
そして、インカと同じ理由で、文字の使用を抑制していたのではないだろうか。
倭国の理由
古墳時代以前の古代の日本では、鹿の肩甲骨を焼いて、そのひびの入り方で占う「太占(フトマニ)」が行われていたとある。
たぶん、卑弥呼もやってたのだろう。
最古の漢字は、中国、殷において占いの一種である卜(ぼく)の結果を書き込むための使用されたのが、文字の始まりという。
中国と倭国は同じことをしていたのだ。
そして、中国では、卜(ぼく)から文字ができた。
だとすれば、日本でも同じ事をやった可能性がある。
だけど、文字として発展しなかった。いや発展させなかったと想像する。
文字の弊害
それは、中国で使われている文字がいい事づくめではなかったからである。
卑弥呼は、邪馬台国を存続させるために、魏との交渉を行っている。
景初2年(238年)以降、帯方郡を通じ数度にわたって魏に使者を送り、皇帝から親魏倭王に任じられたりもした。
だから、中国の事情はよく分かっている。
この時代の中国は、魏 呉 蜀の三国時代である。
中国は戦乱の時代だった。
その原因は、文字という情報で、人々が敵と味方に分かれていたのだ。
現代も同じで、情報が氾濫すると、国内が一気に混乱状態になってしまう。
卑弥呼は、その事を感じ取ったのではないだろうか。
また、邪馬台国は連合国だが、国のつながりは、卑弥呼というカリスマによって、まとまっている。
倭国で、漢字を広めてしまえば、国と国とが連絡を取り合い、争いが起こるかもしれないし、中国大陸と通じて、反乱を起こす国が出てくるかもしれない。
その事を卑弥呼は一番恐れたのではないか。
つまり、政治的な理由で、漢字を広めなかったと思える。
さらに、日本のオリジナルの文字も、同じ理由で構築しなかったのではないだろうか。
そして、もう一つの理由が、信仰のせいだと推測する。
言霊の国
「言霊の国」というフレーズがある。有名な作家にも著書がある。
これは、古代からそうだったと思える。
そして、いい言葉より、悪い言葉の霊力を恐れたのだと思う。
言葉には運命を支配する力がある。
言葉に霊の力があるのではなく、人の心がそうさせるのだ。
天才的霊感力のある卑弥呼である。そんな倭人の心を強く感じたのだろう。
倭人は記録にあるように、穏やかで、従順である。
そして災害の国なので、自然の神々を恐れ敬っている。
卑弥呼自身も、そんな倭人たちの中にいるからこそ、女王として存続できるのである。
文字は、そんな卑弥呼たちの存在を脅かす、霊力のあるものなのだ。
だから、文字を恐れたのだと推測できる。
ただ、暮らしていくには、伝達方法が必要である。
その為に、インカと同じようなキープに代わるものがあった。
それが、ワラ算である。
(ワラ算 日本) 藁算の用語解説 - 藁に結び目を作って数量などを表す方法。
結縄(けつじょう)の一種で、沖縄では藺(い)やガジュマルの根などを用いて20世紀初頭まで行われた。
倭人のDNAに刻まれた、もののあり方。
文字は書かれたときから、それを残す力がある。
なぜ残す必要があるのだろうか。
いい事もあるが、悪い事もある。
天秤にかけると「いらないんじゃないか」
卑弥呼も倭人もそれに賛同していたと考えてもいいだろう。
いま、21世紀。コンピューター時代である。
コンピューターの言語は数字だ。
それも0と1しかない2進数の数字である。
こんな単純な方法で人類は未来を開こうとしている。
言葉は大切だけど、文字は大切なのだろうか。
生きる上で必要なものは何かを「卑弥呼」は知っていたのかもしれない。
2020/3/18 加筆