お稲荷さんと秦氏

よく見るお稲荷さんだが、その内容はよく知らない。

稲荷神社の総本社は伏見稲荷大社(京都市伏見区)とされている。元々は京都一帯の豪族・秦氏の氏神で、現存する旧社家は大西家である。ウィキペディア

伏見稲荷大社

秦氏の氏神とある。

秦氏の事はいろいろ調べているが、ここでも出てきた。
 
氏神という事は秦氏共同体の神様ということだ。

伏見稲荷大社の創建は和銅年間(708年-715年)とある。

伏見稲荷大社の祭神
宇迦之御魂大神 (うかのみたまのおおかみ)
佐田彦大神 (さたひこのおおかみ)
大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)
田中大神(たなかのおおかみ)
四大神 (しのおおかみ)

こう挙げられても、あんまりよく知らない神様ばっかだと思った。

宇迦之御魂大神は穀物の神。佐田彦大神は猿田彦神(サルタヒコ)の別名で、昔は猿田彦神と明記されていて「三千世界の地主神とは是れなり」と書かれている。
 
大宮能売大神は宮殿の平安を守る女神。田中大神は五穀豊穣の神で京都の伏見稲荷大社の配祀。
 
四大神は宇気母智(うけもちの)神、和久産霊(わくむすびの)神、豊受(とゆけの)大神、托枳尼真天(ダキニシンテン)の四柱の女神だそうである。

僕の知らない神様ばかりである。

猿田彦神はよく天孫降臨神話に登場してくる神様だけど、三千世界の地主神とは知らなかった。

しかしアマテラスやスサノウ、イザナギイザナミ、大国主など、日本神話のスター級の神様はいないのだ。(僕が知らないだけかもしれないが・・・)
それなのに全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社になっている。

その理由を下記のPDFの論文からみつけることが出来た。

稲荷信仰から見える江戸
http://www.soc.titech.ac.jp/publication/Theses2008/master/06M43309.pdf

その結果、稲荷の主要効験として挙げることのできる「火除」と「病気治癒」の二つは全く性格が異なり、「火除」については形式的に、「病気治癒」については真剣に祈願している信仰のようすが浮かび上がってきた。

なるほど

よくテレビの時代劇を見ているとお稲荷さんの赤い鳥居がよく画面に現れる。

それほどお稲荷様は”流行って”いた。

身代わり天神

(長崎丸山 身代わり天神 撮影アートワークス)

流行っていた理由が「性病の恐怖と治療」というのも面白い。

庶民にしてみれば、現世利益が感じられる身近な神社は愛着があるのだろう。

そして、もし御利益が感じられれば本社に赤い鳥居を奉納することができる事が広まり、あの千本鳥居のような、風景が誕生したのである。

千本鳥居

まるで、アイドルのAKB48のコンセプトのように、身近に接することが出来るアイドルだったのかも知れない。

江戸時代に爆発的に流行った伏見稲荷大社は、708年-715年という大昔から存在していた。

なので単なる流行だけではなく神社として実力があった神様ということを忘れてはいけない。

社殿が出来るまで、秦氏の祖先霊が「イナリ」だったわけである。

「イナリ」の縁起として山城国風土記の記述にこうある。
イナリは秦中家忌寸などの遠い祖先の秦氏族「伊侶具」は、稲作で裕福だった。ところが餅を使って的として矢を射ったところ、餅が白鳥に代わって飛び立ち、この山に降りて稲が成ったのでこれを社名とした。後になって子孫はその過ちを悔いて社の木を抜き家に植えて祭った。いまでは、木を植えて根付けば福が来て、根付かなければ福が来ないという。

秦氏について、もともと山城国紀伊郡深草近辺に在住していたともある。

秦氏族の「伊侶具」が「イナリ」のおおもとを作ったらしい。

この伊侶具(いろぐ)は、名前が日本風ではないような気がする。

長い間日本にいるのだから、日本風の名前になっていそうだけど、なっていない。

(これは僕の無知のせいのようだ。その当時は伊侶具は普通の名前だったも知れない。伊侶具は賀茂県主久治良(くじら)の子という説もあるし、宇礼志(うれし)、与呂志(よろし)、多祁留(たける)などもあるという)

また、平城京跡出土の木簡に記述されている秦氏の名前は、

秦老人、秦忍山、秦大丸、秦勝小国、秦部得丸、秦部(犬)養、秦部得万呂。

すべて備前国(備州びしゅう)岡山県東南部の人達だ。

名前にすべて秦がついている。

まるで、誇らしげに秦氏族を誇示しているようにも見える。

稲荷神社の「稲荷社神主家大西(秦)氏系図」には、秦伊呂具が賀茂建角身命24世賀茂県主の末子とある。

賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は日本神話に登場する神さまで、山城(今の京都府南部)の賀茂氏(賀茂県主)の始祖である。

そして賀茂建角身命は神武天皇の絵によく出てくるあの「八咫烏」に変身した神様だ。

神武天皇

「三足の八咫烏」は中国前漢時代から三足烏が書物に登場するし、王の墓からの出土品にも描かれている大陸系の神の鳥である。

秦氏はただの渡来人ではない。大和建国の強力な人材だったのだ。

秦氏は「八咫烏」の祖先である。

s-img_1

稲荷の話しに

秦氏族「伊侶具」は、稲作で裕福だった。ところが餅を使って的として矢を射ったところ、餅が白鳥に変って飛び立ち、この山に降りて稲が成ったのでこれを社名とした。

とある。

「餅が白鳥に変って飛び立ち」の白鳥は「八咫烏」のことだろうか。

カラスといってもただのカラスではない。白くなれるかも知れない。

また、話しの「餅」は白いので、成り行きで「白鳥に変って」なのかも知れない。

まあ無理矢理こじつける事はないが、鳥が出てくる事は間違いない。

稲荷
秦氏は八咫烏なんだが、稲荷は狐様である。

これに関しては色んなかたがその訳を書いているが、要するに勘違いということだ。

色んな説があるが、稲荷の神と同体と考えられる御饌津(みけつ)神が誤って三狐神と書かれ、やがて狐は稲荷神の使い、あるいは眷属に収まった。ウィキペディア

という事だ。

いろいろ調べてきたが、なぜ稲荷さんが古くから信仰を集めてきたかという疑問への

僕なりの結論を言うと

秦氏一族の実力が秦氏の氏神の信頼度を増したと思う。

だから秦氏が信じる神様に、あやかろうとした人達が持ち上げて凄い神様にした。

神様の信仰が先にあるのではなく、秦氏一族のブランドが信仰へつながったとみる。

しかし、ここで重大な疑問がわき起こってきた。

秦氏意外にも優秀な渡来人が古代たくさん出現する。

しかし、渡来人が多すぎやしないだろうか。

大和には他にも優秀な一族が沢山いたはずである。

ところが優秀な人材は、大和系以外の渡来人となっている。

ヤマト王権に仕えた渡来人としては、秦氏、東漢氏、西文氏(かわちのふみうじ) が代表的であり、他に渡来人系の人物として鞍部村主司馬達等(止)(大唐漢人、継体朝・敏達朝)、鞍部多須奈(用明朝)、鞍作止利仏師(推古朝)、高向玄理(高向氏)、南淵請安(南淵漢人)、旻(日文、新漢人)、鑑真などがいる。朝鮮半島ではなく中国大陸にルーツを持つ人物が多い。ウィキペディア

これは事実なのだろうか?

古事記や日本書紀の記述に丸呑みしているだけなのではないか。

秦氏の活躍や氏神などをみれは、大和朝廷の歴史と違う。いや、はっきり別物だという感想を持った。

大和朝廷が日本の王であり、日本書紀は大和に都合の良いことしか書いていないのは事実である。

大和朝廷より古くからいた実力のある一族はすべて渡来系にしたのではないか。

日本に大和朝廷より歴史があり実力のある氏族がいては都合が悪いはずである。

しかし、現実に優秀な人材はいる。

無理矢理大和朝廷に関係づけるより、渡来系といったほうが都合が良いはずだ。

もちろん渡来系の人達はいたと思うが、こんなに多くなかったのではないだろうか。

「『日本書紀』において、応神14年(283年)、天皇に仕えた弓月君を祖とし、百済より百二十県の人を率いて帰化したと記されている。」

とかいている。

日本書紀の完成は720年である。

それなのに500年前の記録が書いているのはおかしいし、正確であるというほうが無理がある。

さらに古い時代の天皇の寿命が異常に長いことから、『日本書紀』の年次は古くから疑問視されてきたとある。

日本書紀や古事記が嘘だらけというつもりはさらさら無い。

神話や伝承は大切な資料である。

しかし、283年の秦氏の話しが事実なのは疑いが残る。

 
 
もしかしたら、秦氏族は日本古来の一族で、大和のほうが渡来系ではないだろうか。
 

そんな疑問が残る、秦氏の稲荷だ。

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コメント

  1. 白蛇 より:

    秦氏は帰化人で、日本の殆どの神社は秦氏が作った。古神道も秦氏の信仰であると言える一面がある。とある本に書いてありました。極端な言い方をすれば、帰化人が日本人に神道を教えた?と私は解釈しました。差別的な言い方になるかもしれませんが、日本古来から根付いている神々に対する信仰心は朝鮮人から受け継いだ?真実が知りたいです。

  2. artworks より:

    コメントありがとうございます。帰化人に関してはいろんな見解が有り、私も文献をあさっています。ただ朝鮮人という概念はかなり後になってからで、古代朝鮮半島は倭国を始め大陸系のいろんな種族が入れ替わり住んでいたというのが真実のようです。神道の成立も不明で、現在は対馬にある信仰がスタートで、朝鮮と神道は関係ないと私は思います。