尾曲がり猫の謎

僕の実家は、長崎の旭町という港の街だ。

手繰り船と呼ばれる小ぶりの鉄船が岸壁に鈴なりに停泊し、魚を水揚げしていた。

旭町

旭町1990年代 撮影アートワークス

昭和30年から60年くらいまで、この町は漁港として栄えていて、水揚げがおこなわれていた時間は魚の臭いが町全体に漂うほどであった。

岸壁を歩くと、その臭いに誘われた猫たちがあちこちに忍び足で歩いている。

猫だから忍び足はしょうがない。

猫

長崎の猫 撮影アートワークス

そんな風景を覚えている。

その猫たちだが、長崎の猫のしっぽは曲がっているという話しは何度も聞いていた。

本当だろうか。

尾曲がり猫

http://pet.benesse.ne.jp/love/happiness_vol3.html
長崎にはこの尾曲がり猫が多く、なんと8割近くにも上るのだとか。

抜粋

「曲がりしっぽ」「短尾」「お団子しっぽ」の3種類にわけられる

尾曲がり猫の割合は75%で、その構成比は

曲がりしっぽが30%、
短尾は27%、
お団子しっぽは18%

江戸時代の長崎はオランダ貿易の拠点。オランダ船は船内のネズミを駆除するために、猫も一緒に乗せていたんです。これは当時の海上保険(ロイド)の加入条件でもあったようですね。おそらく、そのときに乗っていた猫が長崎に着いて船を降り、そのまま繁殖したのではないでしょうか。

猫

日本「長崎ねこ」学会
http://plaza.rakuten.co.jp/nagasakineko/

なるほど

尾曲がり猫の原産地は東南アジアという事らしい。

西日本新聞にも記事が載っていた。

西日本新聞
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/236560

長崎県の猫の「尾曲がり率」は全国トップの79・0%という調査もある

この尾曲がり猫を調査したのが京都大の野沢謙名誉教授。全国の1万2千匹を対象に1990年に行った調査では、尾曲がり率は長崎県に続き鹿児島県(73・9%)、宮崎県(62・7%)、熊本県(62・5%)と九州4県が上位を独占。太平洋側の都市にも比較的多いことも分かった。

1848年ごろに描かれた歌川国芳の浮世絵「猫飼好五十三疋(みょうかいこうごじゅうさんびき)」には、数多くの尾曲がり猫が登場してくる。学会の西島茂行会長(69)は「尾が曲がった猫はもともとは外来種で、江戸時代に日本に渡来して繁殖したのではないか」と推測する。

猫飼好五十三疋

 

尾曲がり猫は劣性遺伝

もう少し詳しく踏み込んだページを見つけた。

子猫の部屋
http://www.konekono-heya.com/karada/tail.html
猫のしっぽはその形状によって様々ですが、以下では一般的な分類を示します。しっぽが極端に短いマンクスの遺伝子は、子猫の致死率や脊椎の奇形とも関連しているため、安易な繁殖はご法度です。

尾曲がり猫におけるしっぽのカーブを作っているのは、骨の中に挟まれる「半椎体」(はんついたい)と呼ばれるクサビのような骨です。この骨の形状は劣性遺伝(れっせいいでん)によって子猫に伝わることが分かっています。

半椎体による尾曲がり猫は、江戸時代には普通に見られたものの、明治に入ってから徐々に少なくなっていったそうです。この背景には恐らく、「しっぽの曲がった猫同士が交配しない限り、しっぽの曲がった子猫が確実に生まれることはない」という劣性遺伝の特性が関係しているのでしょう。

つまり、尾曲がりは劣性遺伝であり、ネズミ駆除の目的で貿易船にのせられ長崎に連れてこられた猫たちだったということである。

尾曲がり猫は劣性遺伝なので、尾曲がり猫同士が交配しないと尾曲がり猫は誕生しない。

長崎という閉ざされた地域では、劣性遺伝の交配が続いていたから、尾曲がり猫が増えたということである。

 

しかし、東南アジアから来た猫たちは、なぜしっぽが曲がっていたのかという疑問が残る。

劣性遺伝ということで、数多く繁殖しているはずがないはずだ。

ということは、わざわざ貿易船に尾曲がり猫を乗せ続けたという事になる。

今回はこの謎に挑む。

 

ネズミの害から守るためのネコが中国から輸入

長崎もそうだが日本全国でいえば、短尾のネコは世界的には比較的珍しく、日本猫の特徴の1つとなっている。

猫は日本にはいなくて大陸やよその国から連れられてきて、日本に定着した。

奈良時代頃に、経典などをネズミの害から守るためのネコが中国から輸入された。

平安時代になるとペットにする人も増えてきたらしい。『枕草子』や『源氏物語』・『更級日記』・『明月記』に猫が登場し、宇多天皇が父の光孝天皇より譲られた黒猫を飼っていたという記述がある。

長い間、猫は貴重なペットで、紐でつないで飼っていたとある。

次第に増えていく猫だが、しっぽの長い猫は嫌われていた。

あのくねくねと動くしっぽが蛇みたいだからというのと、しっぽの長い猫は猫又という妖怪を連想されるので、短いしっぽの猫が好まれていた。

しかし、しっぽの長い猫のほうが運動神経が良いはずである。

 

いろいろ調べてみるとこんな記録があった。

養蚕地方ではネズミ捕りに長けたネコは、馬の5倍の値が付くほどであったと伝えられ(『甲子夜話』)、寛政年間に濃尾と勢州で鼠害が猛威を奮った際にも、ネコが大変に高値になったとの記録が残っている(水野為長『よしの冊子』)。

西日本に住む猫はしっぽが短い

猫のしっぽに関して、尾は東へ行くほど細長く、関西では短く、西へ行くと折れ曲がっているらしいという話しがある。

尾は東へ行くほど細長く」というのは、しっぽの長い猫は運動神経がいい。つまりねずみ取りがうまい猫たちである。

日本の養蚕業の主産地として、南東北、北関東、甲信地方などであり、可愛さよりも猫の能力が優先されて、長い尾の猫が多いのではないか。

猫

「関西では短く」は日本の商業地では商人達がおおく、ペット用に猫を飼っていた。

前述したしっぽの長い猫は嫌われていたので、短いしっぽの猫が増えたのではないか。

そう推測できる。

しかし、尻尾が曲がっているのと、短いのは根本的に違う話だ。

DSCF16412

捕まえやすい猫

貿易のため猫を船に乗せなくてはいけないという契約のため、オランダ船は東南アジアで猫を捕まえて乗せていた。

本来、しっぽの長い猫がネズミを多く捕るのだが、すばしっこいためそう簡単に人間に捕まらない。

出島

出島

契約で猫さえ乗せていれば良いので、東南アジアの人は捕まえやすい猫を集めていたのではないか。

その結果、長いしっぽを持つすばしっこい猫より、しっぽの曲がった猫やしっぽの短い猫が集まったのではないかと推測する。

尾の役割は、感情を表すほか、走行時や跳躍・着地の際に体のバランスを取る役割がある。イエネコについては尾がなくても行動にほとんど支障はないと考えられている。ウィキペディア

もちろん、しっぽが曲がっていても猫は猫で、人間から見ればすばしっこいのだが、猫同士を比較した場合、どうしても差が出るのだろう。

東南アジアの人々が貿易の船に乗せる猫を集める時、尾の長い猫はすばしっこく過ぎて、なかなか捕まらない。

なので、捕獲作戦で捕まるのは、尾曲がり猫が多かったということになったのだろう。

つまり長崎の猫は、東南アジアの人々が、捕まえやすかった尻尾の曲がった猫たちだったという事だ。

奇形腫

もう一つ貿易船での食べ物のせいだとも考えられる。

ネコに与えてはいけない食べ物に、イカ、タコ、エビ、カニ、貝等の一部の魚介類がある。

イカなどに含まれる酵素であるチアミナーゼ(サイアミナーゼ)はビタミンB1を破壊するため、長期にわたって摂取した場合、背骨の変形を引き起こすなどし、寿命も短縮される。

猫が「イカを食べると腰を抜かす」という話の元になっている科学的な証拠である。

だが、イカ・タコなどはネコにとっての必須栄養素であるタウリンを豊富に含むため、ネコには好まれ、イカ入りのキャットフードも存在するくらいである。

また、猫の好きな魚だが、基本的にビタミンB1が含まれていないため、肉を与えず魚だけで育てた場合も、寿命が短縮する。

ここで推測できるのは、貿易船などに乗せられた猫は、長期間、肉などの食料が不足して魚介類ばかりの餌が続くと、栄養のバランスが崩れる。

そのせいで、奇形になってしまう猫もいただろう。

そして、その奇形した猫が出産すれば、骨の異常を発現していった可能性は拭いきれない。

まあ、病気が遺伝子に異常を引き起こす事は少ないと思うが、全くゼロとも言えないのだ。

お曲がり猫

結論とすれば、長崎は江戸時代唯一の貿易港だったので、船に乗せられた猫たちが沢山いて、その中の一部がお曲がり猫だったという事だ。

 

これが僕の「長崎尾曲り猫」の謎解きである。


2019.5「長崎の尾曲がり猫はのんびり屋」というタイトルを「尾曲がり猫の謎」に改題しました。

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