韓国が捨てたもの

韓国が捨てたものは、漢字と仏教である。


 

朝鮮半島は日本のすぐそばにあり、朝鮮半島に住んでいた民族は日本に大きな影響を与えてくれた。

朝鮮半島には倭人も含めて、広大なアジア大陸の多様な民族が、様々な国を作り興亡を繰り返していた。

現在は韓国となっており、何かにつけて日本と絡んでいる。

いろんなことを書く前に、まず韓国のことを知りたいと思い調べてみることにした。

 

朝鮮半島の歴史は複雑で一口で言えないが、朝鮮半島の韓国は、中国、日本とは違うものがある。

それはハングル文字である。

ハングル文字の構成

ハングル文字の構成

 

このハングル文字について調べてみた。

ハングルは、朝鮮語を表記するための表音文字である。1446年に李氏朝鮮第4代国王の世宗が「訓民正音」の名で公布した。 ウィキペディア

1392年に高麗の武将「李成桂太祖」(女真族ともいわれる)が恭譲王を廃して、自ら高麗王に即位したことで成立した。

高麗王になった李成桂は明に使節を送り、権知高麗国事としての地位を認められたが、明の創始者であり初代皇帝の洪武帝から国号を変更するよう命じられたのだ。

そして李成桂は、重臣達と共に国号変更を計画し、「朝鮮」「和寧」の二つの候補を準備し、洪武帝に選んでもらったとある。

李成桂

李成桂

洪武帝は、むかし前漢の武帝にほろぼされた王朝(衛氏朝鮮)の名前であり、平壌付近の古名である「朝鮮」を選んだ。

これが李氏朝鮮の始まりである。

 

 

これでわかる事がある。

 

李氏朝鮮は中国の明と君臣関係の関係にあったという事。

朝鮮という名がつく王朝は、檀君朝鮮(伝説)、箕子朝鮮(伝説)、衛氏朝鮮(伝説)があったが、朝鮮という国名は中国から決めてもらったということ。

この二つである。

 

中国の明は強力であり、君臣関係に甘んじているのはしょうがないかもしれない。

しかし、現在の韓国が主張している朝鮮民族の一貫性ということに関していえば、古代の朝鮮と名前が付く檀君朝鮮(伝説)、箕子朝鮮(伝説)、衛氏朝鮮(伝説)と李氏朝鮮の関係性は、客観的にみると関係が希薄であることがわかる。

 

朝鮮という名前は、現在の平壌という地域の名前である。

朝鮮という民族の名前ではないということが分かった。

明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは太宗の治世の1401年であった。

 

冊封とは中国と君臣関係を結ばさせられることである。

中国の王朝が明から清に変わった17世紀以降も、引き続き李氏朝鮮は中国王朝の冊封体制下にあった。

世宗

世宗

その李氏朝鮮の第4代国王の世宗は、その後の韓国を大きく変える政策を次々に打ち出している。

その一つがハングルの公布である。

 

1446年に李氏朝鮮第4代国王の世宗が「訓民正音」の名で公布した。

李氏朝鮮ができて45年後の話しである。

朝鮮国はでは15世紀半ばまで、自民族の言語である朝鮮語を表記する固有の文字を持たず、知識層は漢字を使用していた。

 

なぜ、1446年という時代に李氏朝鮮王が漢字に決別しようと思ったのか、疑問が残る。

 

漢字は君主である中国明の言葉である。

君主である明の指示や連絡は漢字で書かれている。

明らかに反抗である。

 

世宗(セジョン)は朝鮮王朝における最高の聖君と評価されている。

宮中に学問研究所として集賢殿を設置したり、1425年には朝鮮通宝を鋳造し、貨幣経済の浸透を試みた。さらに1436年に貢法詳定所を設置して朝鮮の田税制度を定めた。

かなり、先進的な君主である。

そんな先進的な世宗(セジョン)の決断の原因は、君主である明に原因があると推理する。

その時代の明は英宗正統帝の時代である。

英宗は1435年、父帝の崩御により9歳で皇帝に即位する。

有能な官僚の輔政による安定した朝政であったが、成人した頃には彼らが死去したり隠退したりしたため、自らの家庭教師であった宦官・王振の専横を許すことになった。

政治に対する理念に乏しく権勢と蓄財に邁進する性格であった。この王振の専横により朝政は弛緩し、国内では社会不安が高まって思任発や鄧茂七らの反乱が勃発し、明国内の混乱に乗じ北方のオイラトはしばしば長城を越えて明へ侵入した。

現在、英宗正統帝の評価は暗愚であるという評価がされている。

 

つまり、明の体制がしっかりしてないとみて、李氏朝鮮第4代国王の世宗(セジョン)は中国に抵抗を試みたといえないだろうか。

1446年に李氏朝鮮第4代国王の世宗(セジョン)が「訓民正音」の名で公布したのも、その意思の表れといえる。

「庶民」の為、難しい漢文よりハングルを広げようとする意図だったらしい。

しかし、このハングルの評価は、朝鮮でもいまいちだった。

1504年(日本では室町幕府の時代)、燕山君の暴政を誹謗するハングルの張り紙が各地で発見され、燕山君はハングルの教育や学習を禁止し、ハングルの書籍を焼却、ハングルを使用する者を弾圧した。

民間ではハングルは生き延びていったが、正式な朝鮮言語という地位はなくなってしまったのだ。

その後大韓帝国(1897-1910)が出来、日本軍の侵攻により日本統治が1910年に始まる。

日本軍

日本統治による朝鮮人の初等教育を普及するに当たり、この埋もれていたハングルを掘り起こして朝鮮の教科書に採用する。

1933年、朝鮮語綴字法統一案が出され、これが韓国でのハングル正書法(1988年)のもととなった。

これがハングルの歴史である。

 

 

起源はいろいろ説があるがモンゴルのパスパ文字が起源と言われている。

チベット人八思巴(パスパ)が作った音節文字

チベット人八思巴(パスパ)が作った音節文字

 

ハングルはアルファベットと同じ表音文字である。

アルファベットやひらがななどと同じで、朝鮮も日本と同じように、漢字とハングルを併用して使用していたが、その後漢字の使用を差し止めてしまった。

結果的に、漢字を捨てたという事だ。

世宗(セジョン)はそのほかにも仏教の統制・弾圧、朝鮮朱子学への極端な傾倒等がある。

朝鮮の思想に関して大きな影響を与えたのが朝鮮朱子学の推進である。

新儒教”朱子学”

新儒教”朱子学”

中国は儒教(じゅきょう)の国である。

孔子を始祖とする思考・信仰の体系である。紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上にわたって強い影響力を持つ。

儒教は、仁義の道を実践し上下秩序の大切さを説き、力による支配を批判し徳治主義を主張したものである。

その儒教を再構成したものが朱子学。

朱子学はいろいろ推移を経て、科挙で唯一採用された朱子学を学ぶことが中国社会を生きる上での必要かつ十分条件として位置づけられるようになり、国家教学という地位を築くまでにもなった。

 

儒教や朱子学が悪いということではない。

日本でも、武士社会で広まった学問である。

朝鮮は、仏教を排除し朱子学以外の学問を受付けなくなったことに大きな問題がある。

そうなると、更に考え方が一つの方向しか出来なくなってくるのだ。

 

 

世宗(セジョン)のさまざまな決断が、朝鮮の方向を大きく変えた様に思う。

日本と違うところは、韓国には仏教と漢字が無くなったのだ。

中国は共産主義となり、仏教などの宗教を認めてはいない。

これが、日本と大陸の大きく違う点である。

仏教と漢字は中国から伝わったものだが、日本はこの文化を日本風に取り込んでしまった。

その柔軟性は、日本独特である。

最近韓国でも、漢字復活の兆しがある。

中国も極度のモラル低下により儒教の再認識が顕著に表れ始めている。

 

おなじアジア人で遺伝子も近いのに、環境によってその性格は大きく異なっている。

何が正しいかわからないが、「氏より育ち」の諺とおりだろう。

 

人が違うのは、血統ではなく環境だということを再認識させられた。

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