山伏VSキリスト教徒  長崎おくんち異聞

長崎市には「長崎のくんち」というまつりがある。

長崎市の諏訪神社の祭礼で、毎年10月7日から9日までの3日間催される。

国の重要無形民俗文化財となっており「じゃ踊り」が有名である。

長崎くんち じゃ踊り

長崎くんち じゃ踊り

フリーフォト長崎くんちより 撮影アートワークス

http://freephoto.artworks-inter.net/2015kunchi/

 

「くんち」の名称は、お祭りが旧暦の重陽の節句(菊の節句)にあたる9月9日に行なわれるからだ。

9日は九州では「くんち」という。

「くんち」は秋祭りで各地で開催されている。大きいくんちは、博多おくんち、唐津くんちなどがある。

長崎くんちは、他の地域のまつりとは違う。

他の「くんち」は、神社の縁起が元で行なわれるのだが長崎くんちは神社の縁起で行なわれたのではない。

キリスト教を追い詰めるために行なわれた、国のイベントなのだ。

 

長崎はご存じの通り、鎖国時代唯一の貿易港だった。

フランシスコザビエル、キリシタン大名のキーワードはご存じの通りで、キリスト教は長崎に根づき繁栄をした。

豊臣秀吉は南蛮貿易の実利の大きさに、禁教をしたが宣教師の追放を目的としたもので、キリスト教徒はそれほど厳しく取り締まらなかった。

結果、関ヶ原の戦い以降でも毎年1万人余がキリスト教の洗礼を受けていたという。

禁教の理由は、「宣教師はスペインが領土征服のための尖兵」という理由である。

日本人は宗教には寛大で、キリスト教徒を強く弾圧するまでには様々な国の理由があったのだ。

1612年に出された「慶長の禁教令」が本格的な禁教である。この禁教令によって長崎と京都にあった教会は破壊され、翌1614年11月(慶長19年9月)には修道会士や主だったキリスト教徒がマカオやマニラに国外追放された。

しかし、一度キリスト教になった者達は逆に信仰心を高まらせる。

 

そんな時代の話しである。

諏訪神社
寛永2年(1625年)、長崎奉行・長谷川権六や長崎代官・末次平蔵の支援によって松浦一族で唐津の修験者であった初代宮司青木賢清(かたきよ)が、円山(現在は松の森天満宮の鎮座地)に三社を再興し、長崎の産土神とした。正保4年(1641年)に幕府より現在地に社地を寄進され、慶安4年(1651年)に遷座した。

鎮西大社諏訪神社

鎮西大社諏訪神社

長崎奉行は諏訪神事を長崎市民の神事と認定し、諏訪神は長崎の鎮守となり、長崎市民は皆その氏子となった。この認定の背景には、キリシタン宗門一掃のねらいがあったと言われている。ウィキペディア

 

戦国時代以降、長崎はキリスト教の聖地となっている。

ザビエル

ザビエル

幕府が禁教を行ない厳しく監視しても、一度根付いた宗教心は逆に燃え上がるものだ。

長崎のほとんどの神社仏閣は、焼き討ち破壊にあっている。

このあたりの事情は「長崎宗教戦争」という記事を昔書いたので参考にして欲しい。
http://artworks-inter.net/pc/2016/01/17/post-61/

 

このような状況の街で、長崎奉行や長崎代官は唐津の修験者であった初代宮司青木賢清を引っ張ってきて、神社を作らせた。

修験者

修験者

長崎の神主は、キリスト教徒の攻撃に恐れおののいている。

武闘派の山伏を神主に任命するしかなかったのだろう。

 

青木賢清はキリシタンから「天狗」つまり「悪魔」とののしられていた。社殿の建設にあたりキリシタン教徒の妨害がひどかったが、人夫(建設従事者)を大村から招くなど苦心の末、一宇(一棟)の小社を建立した。ウィキペディア

高尾山薬王院 大天狗

高尾山薬王院 大天狗

修験道は古神道と仏教の信仰とを融合させる「神仏習合」である。

修験道は密教との関わりが深く、山伏は山で修行を重ねる屈強の兵士でもある。

キリスト教徒からみれは、天狗の伝説のある山伏はまさに「悪魔」である。

悪魔像「バフォメット」

悪魔像「バフォメット」

「天使と悪魔」の戦いと受け取ったと思える。

天然の要塞のような諏訪ノ森をバックに、諏訪神社は対キリスト教対策として次々と手を打っていく。

それがおくんちである。

おくんちの持つ「きらびやかさ」や「高飛車な感じ」は、これに由来しているのだろう。

 

 

 

おくんちの奉納踊りは、多種多彩である。

1799年(寛政11年)- 諏訪神社と関係のないコッコデショ(堺の太鼓山)が登場したり

1809年(文化6年)には大相撲興行が行われたりしている。

また1865年(慶応元年) 諏訪神事踊りで舞妓を裸体にすることを禁止する、なんていう令が下されたりもしている。

 

推測の域は出ないが、長崎は山に絡んだ神社が多い。諏訪神社の始まりが修験道をベースにしたのが関係しているかも知れない。

長崎の山王(さんのう)神社(坂本町)祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)。比叡山に宿る山の神、地主の神である。

 

役行者(えんのぎょうしゃ)神社(東町)はずばり修験道の創始者の神社。

 

鹿島神社(小江町) 九州には珍しい武道の神。古事記には地上を支配する大国主命(おおくにぬしのみこと)と対峙した際、長く立派な十柄剣という剣の上にあぐらをかいて威嚇し、交渉を進め、地上統治権を譲り受けるという功績をあげた話しがある。

 

熊野神社(野母町)。紀伊の国(和歌山県)の熊野が本拠地。修験道の修行の場、熊野三山がある。近くの山に行者山がある。

 

岩屋神社は長崎における山岳信仰の聖地。

 

おくんち 本踊り

おくんち 本踊り

日本の中でも、奇異な歴史を持つ長崎。

この街のまつりは、繁栄しながらまだまだ続いていくだろう。

コメントを残す