前方後円墳 台形の謎(2) 完結
前方後円墳の台形部分の謎を追っている。
前方後円墳の原型と言われている奈良県橿原市の瀬田遺跡も台形がついている。
長方形ではなく、なぜ台形なのか。
このままでは進展がないのでいろんな角度から調べてみることにした。
歴史的背景
この部分は諸説入り交じっているので断定は難しいが、原型と言われている瀬田遺跡が出来た年代から調べてみる。
弥生時代末期2世紀中ごろ~後半という調査結果がある。
場所は大和盆地東南部であり、最古級の前方後円墳・箸墓古墳(桜井市、3世紀半ば)があるところである。
ネットの報道はあの台形部分を陸橋と書いている。
確かに台形の部分は外側との端の役目をしているようだ。
更に周溝は陸橋という部分で切れている。
しかし、この陸橋部分もなぜか台形である。
橋なら長方形でいいはずである。
墓部分はなぜ丸いのか。
このタイトルは紛らわしいが、前方後円墳の場合、墓と呼ばれている部分が丸だということだ。
四角でもいいと思う。
古代人の個人の埋葬は支石墓や石や木の棺だ。
集合墓地は墳丘墓といい丘のような形にしている(墳丘墓と古墳はいろいろな理由で分けているらしい)
墓を権威の象徴とするには、世界的には神殿など方形の形をとっている。
四角い形の古墳も多い。
しかしの前方後円墳は丸と方形の形で、初期型と言われる瀬田遺跡古墳は基本的に丸である。
丸くする理由は諸説あるが、どこからも同じように見えると言うことも理由と思う。
また四角い墓は他部族がおこなっていて、丸にしたのかもしれないし、一番自然なので丸なのかもしれない。
前方後円墳は円墳である。
反論の声がたくさん聞こえてきそうである。
方形部分がついているので丸ではなく鍵穴型にみえる。
しかし、鍵穴型にする理由がないのだ。
鍵穴型は矢印にも見える。
もし、鍵穴型にするのであれば、その作られた方向に意味が必要である。
しかし、その鍵穴型矢印は何の意味もないのだ。
「前方後円墳の方向は適当」という事実である。
http://artworks-inter.net/ebook/?p=1206
人を神にするシステム アニメと前方後円墳
前方後円墳に方向があるという考えは、方形の存在が向きを出しているからである。
しかし、方向が一定していないということは、宗教などの影響が全くなかったことを意味する。
古墳にはその地域の豪族の長が眠っている。
それは間違いない。
墓というのなら宗教的な方角が存在しなくてはならない。
例えばピラミッドのように東西南北の方向を示しているとか、北極星が見えるなど方位が重要だと考えていたのだが、前方後円墳にはそのようなものは一切ない。
私は大きな勘違いをしているのではないかと思った。
あの鍵穴型に宗教的な意味や神秘的な理由を探していたのだ。
しかし、これは間違いで、鍵穴型は副産物として出来上がったと考えたほうが理屈に合う。
丸い古墳を作るのが目的だけど鍵穴型になってしまったというのが正解だ。
弥生時代、古墳時代には、墓というものに宗教的定義はなかったのではないだろうか。
自然宗教はあったと思うが、中国の道教の影響である方角や死者の国の方向は、まだ日本人には浸透していなかったのだ。
宗教なき墓碑
そう考えるといろんなものを考え直す必要がある。
まず前方後円墳が作られた場所である。
宗教的理由がないのなら、円墳を作るのはどこでもいいということになる。
どこに作ればいいかというと、みんなの目に触れるところではないか。
つまり平野で交通量の多いところである。
各豪族は自分の縄張りからよく見える場所に小高い丘を作った。
それは、象徴でもありさらに監視塔の役目を果たすためだろう。
だから、纏向遺跡周辺には中心部に古墳が密集している。
時代が変ってその地域の縄張りを手に入れた豪族は、新たに自分たちの丘を作ったのだ。
そして、その丘が自分たちのものであると証明するために、首長の墓を作った。
つまり、丘が先で、墓は後だったという事になる。
堀の成り立ち
わざわざ平野に古墳を作るには、盛り土をする土が必要だ。
その土を得るために、円墳の回りを掘ったという事である。
つまり、堀は結界ではなく、土を掘った跡という事である。
さらに、その堀に溜まった水は農業(灌漑)用水を確保するための水となる。
なぜ、奈良県には「ため池」が多いの?
県の農地面積の3分の2を占める大和平野地域は、年間降水量が少なく、加えて大きな川や湖もないことから、用水不足に悩まされてきました。そのため、昔から多くのため池が造られ、昭和28年度には、全国で5番目に多く、13,798か所のため池がありました(平成21年度現在は約5,800か所)。
周溝は墓と現世の堺を示す結界だと思っていたが、そんな神秘的な理由ではなかったのだ。
この古墳が墓ではなく、水田開拓のための残土を盛り土にしたという説は、他にもある。
縄文と古代文明を探求しよう!
http://web.joumon.jp.net/blog/小名木善行 ねずさんの ひとりごと
http://nezu621.blog7.fc2.com/
私は、単なる盛り土ではなく、やはり軍事に利用したのではないかとおもう。
その時代はまだ勢力争いがなくなっているわけではない。
ひとつは見張り台として、もう一つは兵器庫だったのではないかと思っている。
武器庫
前方後円墳には、副葬品と呼ばれているものがある。
だからこそ宗教的意味合いが今まで考えられていた。
古墳時代の初期段階では宝器的なものがが多い。
初期の古墳自体がそれほど大きくなく、兵器庫にする大きさがなかったなのではないか。
しかし、中期には鉄製の武器・武具・農工具の多量な埋納が見られ、後期には特に注目されるのが馬具である。
それらは埋葬品と言われているが、現実の戦闘の際、古墳は砦となりえる。
その際の武器庫として使用可能だったと思われる。
結論 台形になった理由
しかしまだ方形の部分が台形だという理由が見つかっていない。
古い形の前方後円墳は前方部は低く撥(ばち)形をしており、後円部は新古にかかわらず大きく高く造られている。
前方後円墳は簡単に登れないような急斜面で囲まれているといってもよい。ウィキペディア
台形という形に成るための、宗教的要素を加味しないでなる必然とはなにか?
考え方は一つしかない。
作り方である。
人工的な丸い丘を作るには、まず丸のほうを作るか、方形のほうを作るかである。
造成するとしたら、作業スペースが必要になってくるはずだ。
丸いほうには石棺も運び込まなくてはならないし、その道も必要だ。
丸い丘を作るのが目的なので、丸い部分に接する部分は細い方がいい。
作業場と丸い丘を細い道でつなぐとすれば、方形の部分が台形になってしまうのは必然だと思
う。
1.まず、古墳をつくる為の作業場を確保する。
2.丸くするために回りを掘り、その土は盛り土に使う。
方形の部分を残すのは、石棺や道具を運び込むためである。
3.目的は円墳である。
なるべく丸くするために方形の部分と円形の部分を掘り進める。
図形制作アートワークス
今までの説のように宗教的な意味合いがあれば、この台形の部分は必要ないのだが、
宗教的意味合いはなく、多目的な造成物である。
水田地帯なので、灌漑用ため池にもなるし、その地域の見張り用やシンボルにもなる。
石棺をおさめているので宗教にも使えるし、いざとなったら砦にもなる。
水害の時は、避難場所にもなるだろう。
その結果、台形の部分を残したのだ。
今までの古墳の概念を打ち破った、前方後円墳のスタートである。
こんな柔軟で多目的な考えをもつ大和族だからこそ、全国制覇を成し遂げたのだ。
その後勢力を増した大和朝廷は、進化していく。
仏教を取り入れ、古墳も大型化していく。
そして変形していき、当初の目的は影を潜めていったのだろう。
私の推理はここまでである。
不明な部分も当然あるが、今後の課題としたい。