キリシタン神社

世界に3つしかないもののうち2つが長崎にある。

キリシタン神社と呼ばれるものである。


神社は神道の神様を祀るものだ。

当たり前である。

しかし、神様以外の人を祀る場合もある。

祟り神というものだ。


牛頭天王、八岐大蛇などの悪役を神として祀ることで、その力を得ようとする仕組みである。

人間も例外ではない。

皆さんの知っている、菅原道真の天神様や平将門。

すべて神様になっている。

平将門

平将門

神社システム


これは日本人の考え出した「神社」というシステムの成果でもある。

この「神社システム」は、ある意味凄いシステムである。

日本人の「カミ」という概念は宗教を超越している。

「神社システム」は、日本人の遺伝子の中に染みこんでいて世界でも希な独特さを生み出した。

この感覚は現代でも発揮されていて

日本の若者は、スマホのゲームさえも「カミ」扱いをする。

その内「スマホ神社」が出来るかもしれない。

そして、それを誰も奇異に思わないだろう。

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枯松神社

キリシタン神社とは、キリスト教の信者を「カミ」として神社に祀っている。

背景は、日本の禁教にある。

枯松神社 撮影アートワークス

枯松神社 撮影アートワークス


その中の一つが「枯松神社」である。

長崎のキリスト教は、貧しい人々に浸透していった。

長崎に外海(ソトメ)という地域がある。

過去は極貧の村の集まりであった。

遠藤周作という作家の本に「沈黙」というのがある。

極貧で救いを求め続ける信者に対して「沈黙」しつづける神の存在を書いた本である。
(素晴らしい本なので一読をお勧めする)

そして禁教キリシタンのサン・ジワン神父を祀ったのが枯松神社である。

国道沿いの脇に登り口がある。

枯松神社 撮影アートワークス

枯松神社 撮影アートワークス

藪を払い、道を上るとひっそりと建物が見えてくる。

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祈りの岩 撮影アートワークス

枯松神社

枯松神社

私が撮影したのは20年以上も昔の事で、当時は荒れ果てていた。

最近、整備が進み催事も行なわれている。

長崎の教会 枯松神社 アートワークスフリーフォト
http://freephoto.artworks-inter.net/photo/data/nagasaki/church/shu/index.html

桑姫

もう一つは長崎市内淵神社の桑姫(くわひめ)大明神である。

桑姫はキリシタン大名で有名である豊後の大友宗麟の孫にあたる。

桑姫は桑を植えて蚕を飼い、地元の女性たちに糸の紡ぎ方を教えたという女性で、マキゼンシャ(キリシタン名)という。

淵神社 撮影アートワークス

淵神社 撮影アートワークス

ここには稲佐山へのぼるロープウエイの発着場所がある。

無料の駐車場(神社用)があるほうの鳥居。

淵神社 撮影アートワークス

淵神社 撮影アートワークス

桑姫社

桑姫社

桑姫社

桑姫社

淵神社は長崎の古い神社の一つで、過去取材して写真を撮っている。



最後の一つは伊豆大島のオタイネ大明神らしい。
(秀吉の朝鮮出兵の際に日本に連れてこられ、キリシタン大名小西行長のもとで信仰をもち、後に駿府城で家康の侍女となる、おたあ・ジュリアを祀ったもの)。

オタイネ明神

オタイネ明神

https://www.wander-dept.net/article/11_oshima/oshima_b.html


実は長崎の諏訪神社では3社の神を祀っているが、その中の一つの松森神社はキリシタンの冥福を祈る神社という話しもある。

マリヤ観音というものもある。

キリシタン神社は世界遺産でも何でもない神社というか祠のようなものだ。

その中には、その人達の「カミサマ」が祀られている。

宗教を超えた宗教。

キリシタン神社は郵便局のようなものである。

「沈黙」をつづける神々へ、純粋な祈りを書き綴った手紙を

神社へ投函し続ける。

いつか、カミの使いが回収にきて届けてくれる。

信じるというより、もっと淡い祈り。

愚直と呼ぶにはあまりにも悲しい。


そんなものは世界遺産になりようがないけど

大切なものだと思う。

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