アマテラスの性別
天照大神が天岩戸に隠れて世の中が闇になる話がある。
天岩戸伝説である。
その話しを調べていると、ちょっと引っかかる文章に出会った。
アマテラスがスサノウの乱暴にたいして、天岩戸に引き篭ったくだりである。
なぜアマテラスが天岩戸に引きこもったのだろうか。
●スサノウの乱暴を恐れたから
●弟のバカさ加減に腹を立てたから
この二つの推理が頭に浮かぶ。
太陽神であるアマテラスがしかり飛ばし、性根をたたき直してやればいいと思うのだが、日本神話では、アマテラスにはそんな神の能力はない様である。
アマテラスは世界を照す事が役目で、それ以外の「唯一絶対神」みたいな力はないようである。
この件を読むと、女性らしい性格を感じる。
その後天岩戸に引きこもったアマテラスを引き出すために、神々は宴会をひらく。
天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。
すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った。
そのバカ騒ぎに岩戸を少し開ける。
そのスキを狙ってアメノタヂカラオが、がっちり岩戸を開く。
この話の流れに不思議なことはないようだが、少し引っかかる。
天宇受賣命の裸踊りである。
他の神様に受けようと思って素っ裸になったと思うのだが、アマテラスが見目麗しい女神にたいするやり方というより、男性の神に対して行なう事のように思えるのだ。
ストリップは男性が大好きだからである。
何気ない疑問は、ずっと心にあったのだが女神らしい表現も多く、日本書紀には
女神となっているので、疑問は収まっていた。
伊勢神宮
最近伊勢神宮へお参りに行った。
西の果て長崎在住なので死ぬ前に、一度は「お伊勢まいり」をしようと思ったからである。
その時に、このアマテラス男性説が不意に浮上した。
版権フリーフォト 伊勢神宮
http://freephoto.artworks-inter.net/2015kouyaise/ise/index.html
伊勢神宮には斎王というものがある。
伊勢神宮に使える皇女のことをいう。その務めは10年ほどだったようで、若い少女時代からスタートして約10年巫女としてアマテラスに仕えるという。
これは明らかに、男神に対する儀式じゃないのか。
更にアマテラスが祀られている内宮の千木(屋根にあるつきだしている部分)も一般的な様式とは違う。
伊勢神宮の場合、内宮の祭神天照坐皇大御神・外宮の祭神豊受大御神とともに主祭神が女神であるにもかかわらず、内宮では千木・鰹木が内削ぎ10本、外宮は外削ぎ9本である。ウィキペディア
うーん。
斎王システムにしても、巫女が女性だから男神というのは、短絡的かもしれないし、千木の様式でも伊勢神宮は特別なのかもしれない。
アマテラスが女性だとする理由をウィキペディアでも書いている。
●『日本書紀』ではスサノヲが姉と呼んでいる
●アマテラスとスサノオの誓約において武装する前に髪を解き角髪に結び直す、つまり平素には男性の髪型をしていなかったこと
●機織り部屋で仕事をすること
●アマテラスの別名は「オホヒルメノムチ」の「オホ」は尊称、「ムチ」は「高貴な者」、「ヒルメ」は「日の女神」を表す。
●中世には仏と同一視されたり、男神とする説も広まったが、『日本書紀上』日本古典文学大系は男神説を明確に否定している。
なるほど。
天照大神男神説も書いている。
●太陽は陽で、月は陰であり、太陽神である天照大神は、男神であったとされる。
●平安時代、すでに大江匡房は『江家次第』で伊勢神宮に奉納する天照大神の装束一式が男性用の衣装である事を言及しており、江戸時代の伊勢外宮の神官度会延経は「之ヲ見レバ、天照大神ハ実ハ男神ノコト明ラカナリ」と記している。
●京都祇園祭の岩戸山の御神体は伊弉諾命・手力男命・天照大神であるが、いずれも男性の姿である。
●天照大神の像は「眉目秀麗の美男子で白蜀江花菱綾織袴で浅沓を穿く。直径十二センチ程の円鏡を頸にかけ笏を持つ。」と岩戸山町で伝えられるとおりの姿である。
中世に編纂された『日諱貴本紀』には両性具有神としてかかれているらしい。
神話の役目
私は、このブログに
「二人の天照の謎 「アマテラス」と「あまてる」」という文章を書いた。
坐天照御魂と皇祖神となった天照である。
古事記等が書かれる以前から、自然神「あまてる」は存在していた。
http://artworks-inter.net/ebook/?p=1521
自然神に性別はないはずである。
風や海に性別がないように、神は姿形をもたない。
神道は昔からそうだったはずだ。
それがいつの間にかギリシャ神話のように、性別や性格を持つようになった。
古事記や日本書紀などの書物の表現のせいである。
男と書けば男になり、女と書けば女になる。
まさに言霊といえよう。
天照が皇祖神になった理由は、地上に降りた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に「地上はお前の子孫がずっと支配していくのです」と告げたからだ。
それが大和朝廷、天皇家が日本の主になった理由である。
天照大御神が男性であろうと女性であろうと、神話の中の話しなので、どちらでもいいのかもしれない。
古事記では一貫して天照大御神(あまてらすおおみかみ)である。
日本書紀では天照大神(あまてらすおおかみ、あまてらすおおみかみ)
別名、大日霊貴神(おおひるめのむちのかみ)。
神社によっては大日女尊(おおひるめのみこと)、大日霊(おおひるめ)、大日女(おおひめ)とされている。
伊勢神宮においては、通常は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、あるいは皇大御神(すめおおみかみ)と言い、神職が神前にて名を唱えるときは天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)と言う。
大和朝廷は、神々の系譜が必要だったのである。
それは権力の為なのだが、大和を一つの国にまとめるためにも必要なことだったのかもしれない。
作り話
そう言ってしまえば身もふたもない。
そう考えれば、大和一族にとって天照は男か女か、どちらの方がよかったのかということになる。
日本書紀の文章こそが大和の神話として正当である。
日本書紀では天照は女神である。
だから天照は女神なのだ。
結論である。
皇祖神
もう一つ考えなければならないことがある。
神話では日本国を作ったのは、イザナギ、イザナミである。
つまり天照の両親である。
とすれば、格から言えばイザナミイザナギが上である。
しかしイザナギ・イザナミを皇祖神にしなかったのは、大和族の事情があった。
天照には兄弟がいる。
月読命、スサノウである。
天照とスサノウは誓約によりうまれた五男三女神は大和の重要な役目を背負う。
イザナギ・イザナミは天照、月読命、スサノウ以外にも大勢の神を生んでいる。
大和が自国の神話を作る際、大和族以外の勢力が加わっている事を無視できなかった。
特にスサノウは、宗像の3女神や出雲の大国主の始祖となっている。
九州勢、宗像族、出雲族を取り込んだとはいえ、協力体制で大和は作られている。
その為にイザナギイザナミを皇祖神に出来なかったといえる。
天照を皇祖神にすることでスサノウの子孫も、イザナギ夫婦の前では同じ子供となり、大和の神話の中でバランスをとったと思う。
天照大御神は卑弥呼や神功皇后の影をしっかり残す為にも、女神の方が都合よかったのかもしれない。
政治のために女性にさせられた天照。
だが「太陽」に性別などあるはずがない。