旧石器時代に人間が定住していた福井洞窟
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日本で初めて旧石器時代の土器が発掘されたといわれる福井洞窟にでかける。
ナビが頼りだったが、最初畑のど真ん中に連れて行かれた。
周りを見渡しても、福井洞窟らしきものは発見できない。
もう一度見渡すと、この畑の先の下に道路があった。
たぶん、ここは福井洞窟の真上に違いない。
そう思い車で、ぐるりと回り込むとアスファルトの道路に出た。
そのまま進むと、やはりナビで到着したのは洞窟の真上だったのだ。
利口なのかバカなのか、わからないスマホのナビだ。
稲荷神社がある。
たぶん昔からこの土地には誰かが住んでいたという言い伝えがあったのだと思う。
洞窟というと、映画で出てくる、ずっと奥まで続いている洞穴のイメージがあったが、泉福寺洞窟と同じく結構浅い。
しかし、狩猟生活といわれている旧石器時代の人達が、定住をしていたという事実は衝撃である。
火を使った後もあるし、石を敷き詰めて床を作った後もあったらしい。
石器時代でも、移動して生活するだけではなく、環境さえよければ定住していたのだ。
山内丸山の縄文の遺跡でも、集団で定住している。
旧石器時代や縄文時代でも屋根がある場所を選び、煮炊きをして暮らしていたのではないか。
この事は、石器時代から縄文までの日本人感を大きく変えた方がいいのではないだろうか。
弥生時代に初めて定住したわけではないという証拠である。
この福井洞窟のイベントが2016年の11月5日 アルカス佐世保で行なわれるという。
時間があったら覗いてみたいと思う。
福井洞窟(ふくいどうくつ)は佐世保市吉井町(旧北松浦郡吉井町)にある旧石器時代終末期から縄文時代草創期の遺跡である。国の史跡。
地元の郷土史家・松瀬順一が、稲荷神社の改修工事の際に石器を発見して遺跡の存在を広めた。
長崎県佐世保市にある旧石器時代から縄文時代にかけての国指定史跡「福井洞窟」の発掘調査で、旧石器時代終末期(約1万8000-1万6000年前)の人々が洞窟を生活の場としたことを示す「炉跡」(木などを燃やしたとみられる火の跡)や細石刃文化期の石器の製作場所が見つかった。
これまで土器は縄文時代草創期が最古のものだった。福井第2-4層の土器は、日本で初めて発掘された旧石器時代の土器である。これを機に、土器製造の歴史を遡る調査研究が盛んになった。
また、第2-7層で多種多様な細石核が出土したことから、日本全土で旧石器時代末期に流行した細石器の製造法の変遷が確認された。福井の細石核を基準として、細石器の編年が可能となった。
第7層で初めて黒曜石の使用が始まり、サヌカイトの使用は急激に衰えるが、これは伊万里市の腰岳や佐世保市の針尾島などの黒曜石産地の発見・交流の成果と見られている。