ヤマトの異国人たち
日本国は色んな人達の遺伝子が混じり合って、出来ている国である。
縄文、弥生と日本に記録がない時代からでも、私達が想像する以上に、現代の私達とかけ離れた生活様式と風貌を持った人が記録に残っている。
その中でも「蜂子皇子」は、その容貌の奇抜さでは際立っていると思える。
もちろん写真はないので、肖像画と像なのだが、明らかにアジア人ではないと思われる。
日本の古代の歴史にさまざまな人々がかかわっているのは当然である。
しかし、私たちはなんとなく、定義のあやふやの「日本人」という枠で日本を考えようとしている。
中国出身の日本人や朝鮮半島出身の日本人がいて当然なのだ。
間違ったナショナリズムを持つことがないよう、気をつけなければいけないと思う。
蜂子皇子
蜂子皇子(はちこのおうじ、波知乃子王)は飛鳥時代の皇族。崇峻天皇の第三皇子。ウィキペディア
そして崇峻天皇(すしゅんてんのう)は大臣の蘇我馬子によって推薦され即位した第32代天皇である。
蘇我馬子
蘇我馬子は敏達天皇のとき大臣に就き、 以降、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の4代に仕え、54年にわたり権勢を振るい、蘇我氏の全盛時代を築いた政治家である。
蘇我馬子の父は蘇我稲目という。
蘇我稲目は古墳時代の豪族であり、娘3人を天皇に嫁がせ、天皇家を影で操る黒幕である。
親子2代に渡って天皇家と深く結びついていた一族だ。
この蘇我稲目の墓とされる都塚古墳(金鶏塚古墳)は、、2014年、明日香村教育委員会と関西大学の調査チームによって、一辺が40メートルで石が積み上げられた階段上の巨大な方墳であることが確認された。当時の大王に匹敵する規模の古墳であることから、稲目の墓である可能性が指摘されている。
驚きの発見! 都塚古墳はピラミッド形の大型方墳だった
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-11/2014_08_14.htm
【参考】8月13日午後7時のNHKニュース番組、8月14日付け奈良新聞、読売新聞、他
蘇我稲目の墓とされたのが、日本に類例のほとんどない「階段ピラミッド」形状を持つ古墳だった。
この古墳のルーツを辿れば、大陸から朝鮮半島にかけて勢力を誇った高句麗の王族の石積み塚古墳に突き当たる。
蘇我一族が高句麗出身だったのは歴史的事実といえる。
しかし、今回の蜂子皇子はアジア系ではないと思えるので、違う民族の遺伝子の可能性を探ってみる。
崇峻天皇の容貌に特別な記述はないのでアジア人だと思える。
蜂子皇子の母親は小手子(こてこ)という。
当然曾我一族である。
小手子が天皇の寵愛が衰えたことを恨み、蘇我馬子に密告し崇峻天皇暗殺事件に発展した。
しかし、小手子の子供である蜂子皇子は厩戸皇子(聖徳太子)の計らいで京を逃れ、、山形県鶴岡市の出羽三山の開祖となったと伝えられる。
ここで聖徳太子が出てくるのだが、聖徳太子も曾我一族と深いつながりがあるとされている。
色々調べてみたが
結局、蜂子皇子の周りに、アジア人以外の人物の匂いはなかった。
とすれば、私の推測は的外れだったのだろうか。
国際色豊かな平安時代
平安時代は国際色豊かな中国の思想・文化が流入した時代である。
あの平家の平清盛が作った厳島神社に、舞楽「抜頭(ばとう)」がある。
抜頭とは、厳島神社の有名な舞楽であり、厳島神社に古くから伝わる中国風の唐面を装着して舞う舞楽です。
その物語とは「西域の胡人(ペルシャ人)が猛獣に父をかみ殺されたので、山に入りその猛獣を見つけて復讐をする」というものです。
http://厳島神社-御朱印.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/広島県宮島・厳島神社と聖徳太子・ペルシャ人と/広島県宮島・厳島神社-歴史-聖徳太子とペルシャ人/.html
http://gagaku-dvd.net/vol4.htm
こんな所にもペルシャ人の痕跡が色濃く残っている。
また蜂子皇子をかくまった聖徳太子もアジア人離れした容貌の記述がある。
「先代旧事本記」に聖徳太子の容貌に書かれた箇所があり、
「身長が七尺二寸(約2メートル16センチ)。容貌は至って巌(おごそ)かであり、人柄は、気高く、黒目の部分は杜若(かきつばた)のように紫である。耳の縁は豊かで、眉から口元まで届き、歯は、白玉のようである。
天皇家一族も宮崎出身であり、外人とされる隼人とのつながりがかなり深い。
こう考えると、日本はかなりインターナショナルといえる。
遺伝子でもチベット人と親戚だといわれている。
D系統(古モンゴロイド)はほとんど大陸では滅び、わずかに険しい山岳部(チベット)と海に隔てられた島嶼部(日本)にのみ生き残ったということです。
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20121101/1351744208
世間ではやっている「ユダヤ人の影響」を考えなくても、中近東やインド、中国地方の奥地、シベリアなどさまざまな人たちが、日本とかかわっていることは事実である。
しかし、さまざまな文化は交じり合い、島国日本の中で熟成して「日本独自」の文化を作り上げたのだ。
日本の国技、大相撲の横綱はすべてモンゴル国出身である。
プロ野球の王選手は台湾国籍。
プロレスの力道山は朝鮮出身。
そして、これらのヒーローたちは日本で大成功をしている。
日本人は外人たちに距離を置いているといわれているが、実は国籍にこだわらない、おおらかさを持っている民族である。
それは古代から日本に住む民族が持ちえた、奇跡の特性だと思う。
そういう意味で、日本人は特別な存在だと思う。
蜂子皇子の母で崇峻天皇の妃の小手子は由緒正しい大伴氏の出ですよ。大伴氏は朝鮮半島に将軍として出向くことが多かったので、現地の女性が大伴氏の妾となってその娘が小手子である、と考えるのが最もしっくりくると思います