「食べ物の神」殺人事件

保食神(うけもちのかみ)という神がいる。

日本神話に登場する神である。

しかし、この神様はどこか引っかかるのだ。

どこが引っかかるかというと、食べ物の神様なのに、天孫族に殺されてしまう。

そしてその殺された神様から、大和は食料を調達したとある。

どう考えても、ただの神話ではない。

そう、殺人事件の匂いがするのだ。

月読命

神話

日本書紀

天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。

月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。

月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。

それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。

天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。

保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。

天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。

この話は意味深長である。

古事記も似たような記述だ。

高天原を追放されたスサノオは、空腹を覚えてオオゲツヒメに食物を求め、オオゲツヒメはおもむろに様々な食物をスサノオに与えた。

それを不審に思ったスサノオが食事の用意をするオオゲツヒメの様子を覗いてみると、オオゲツヒメは鼻や口、尻から食材を取り出し、それを調理していた。

スサノオは、そんな汚い物を食べさせていたのかと怒り、オオゲツヒメを斬り殺してしまった。

すると、オオゲツヒメの頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれた。

 

日本書紀はどこか説明くさい。

太陽と月が分かれた理由など逸話めいている。

 

しかも天熊人(アメノクマヒト)という神様が出てくる。

天熊人とはどんな神様なのかわからないし、説明もない。

通行人A扱いだ。

ただ、熊人という文字から、熊襲という名前が思い浮かぶ。

九州の熊本、鹿児島地方には熊襲、隼人族が住んでいたとされている。

それらの一族の事かもしれない。

または、蚕や稲が東南アジアや長江あたりの南方からやってきて、南九州の人々から日本に広まったということをいっているのかもしれない。

日本書紀も古事記も同じストーリー展開である。

 

食べ物の神様が殺される事件が発生する。

その動機は口や尻から食べ物を出したのを見て、汚いと思って殺されたということである。

なぜ、食べ物の神様は殺されなければならなかったのか。

この殺人事件には深い意味があるはずだ。

 

ガイシャは征服された国々

なぜ食べ物の神様を殺したのかということがポイントだ。

日本は縄文時代より、狩猟採集を続けていた民族である。

そして畑作もやっていた。

東北地方の三内丸山遺跡では、栗を栽培していたという。

九州の吉野ヶ里遺跡にも蚕を育て、織物を織っていた。

吉野ヶ里遺跡から発掘されたのは、稲を加え小麦、アワ、キビ、豆、瓜、ドングリ、クルミである。

国イコール穀物地帯、農作地帯でもある。

古事記によると、九州の日向が大和の故郷とされている。

大和はそこから勢力を伸ばし、東征していく。

つまり、殺された食物の神様は、大和が征服した種族を指していると思われる。

 

食料の豊富な地域を「大和」は侵略し征服していったのだ。

 

犯行の動機

記紀では「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」という理由で殺している。

つまり、野蛮人で汚い事を平気でする奴だったから殺したという意味である。

明らかに殺人(征服)を正当化している。

そして、犯人のスサノウもしくは月夜見尊は身内である。

つまり身内の犯行で、出来レースさながらの展開でもある。

 

天照から、形ばかりの咎めはあるが、その後はうやむやになっている。

さらに記紀では、その殺した神様から色んな食べ物が育ち、天熊人がこれらを全て持ち帰ったとも書いている。

これは明らかに確信犯だ。

もちろん、死から生への食物サイクルの話も匂わせているが、屁理屈に過ぎない。

スサノオ

女神殺し

さらに気になるのは、殺されたオオゲツヒメ(大宜都比売)も保食神(うけもちのかみ)も、共に女神だったということである。

それも、大和の天孫族であるスサノウ、月夜見尊をもてなした後の犯行だったのだ。

かなり卑劣な行為である。

 

大和の勢力拡大の話は、卑劣でだまし討ちのような話が多い。

食物起源神話でありながら、大和臭さがぷんぷんする話でもある。

 

推測だが、ある国に友好を持ちかけて信用させ、敵の懐に入ったとたん難癖をつけその国を奪い取る。

そんな風にもとれる。

まあ大和にすれば、力のない大和がのし上がっていくための、知恵と戦略の英雄譚なのかもしれない。

九州の土蜘蛛の姫たち

九州北部、佐賀、長崎には、女性が酋長と思われる土蜘蛛族がたくさん住んでいたと記録にある。

邪馬台国も女王の国である。

たぶん大和勢が最初勢力を拡大していったのは、九州北部、佐賀、長崎地方で、女神殺しはそのことを明らかにする証拠でもある。

これが食べ物の神様殺人事件の真相だ。

 

伊勢神社の外宮最初の理由

伊勢神宮には内宮、外宮がある。

外宮には豊受(とようけ)大神宮が祭られている。

殺された神様は保食神(うけもちのかみ)である。

豊受大神の(ウケ)と保食神の(ウケ)は同じ意味である。

外宮の鎮座の由来について、『古事記』・『日本書紀』の両書には記載がない。

延暦23年(804年)に編纂された社伝『止由気宮儀式帳』によれば、雄略天皇の夢に天照大御神(内宮祭神)が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せるように」と神託した。

大和は、襲ってくる飢饉の為に豊受大神を祭ったのだと推測される。

つまり外宮は、征服していった国々の怨念を沈める大神宮なのかも知れない。

伊勢神社

伊勢神宮の参拝は「外宮から内宮へ」という古くからの慣わしがある。

その理由として、まず征服していった保食神(うけもちのかみ)の祟りを沈め、その後、天照へ参拝をするということだと推測する。

祟りの国大和らしい神社のあり方の原型がここにあるのだ。

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