古代長崎の繁栄は岩屋神社と元村郷

岩屋神社の一の鳥居

岩屋神社の一の鳥居

岩屋神社の一の鳥居はここにある。

長崎方面から行けば赤迫を過ぎ、滑石の西友に行く国道のjr線路側の一方通行になっている所に立っている。

岩屋神社の一の鳥居

岩屋神社の一の鳥居

長崎の成り立ちを考えれば、現在の長崎県庁付近に岬があるくらいで、平地はほとんどない。

となれば、まさに寒村であった。


しかし、大村湾に面している時津、長与は、神功皇后の伝説も残っていてかなり古い。


私は、古代長崎つまり開港以前の長崎は、時津港を入り口として岩屋神社、赤迫あたりまでが、長崎の中心地だと考えている。


今回岩屋神社の一の鳥居をみて、確信した。

中園アーケードの恵比寿様の謎
http://artworks-inter.net/ebook/?p=2998

で調べた川の流れが、一の鳥居の前にあったのだ。

一の鳥居

右の岩に六地蔵と釈迦阿弥陀観音を彫刻している。枝岩屋、家数三十五軒。左に岩屋大権現一ノ華表(かひょう、鳥居のこと)前

八町ばかり(873m)引き込んだ岩屋岳の梺(ふもと)に本社がある。平宗川は巾六間(11m)。枝平宗。百姓茂一郎(高谷正蔵.別名茂一郎。この後、時津新茶屋を新築した)宅で小休止。字百合畑(百合野)。時津村字内坂(打坂)。伊能忠敬

時津街道
http://www.geocities.jp/fb4wing/togitu.htm


伊能忠敬の文にもあるが、右の岩に六地蔵と釈迦阿弥陀観音を彫刻してあると書いている。

赤迫の六地蔵である。

なぜ岩に釈迦阿弥陀観音が彫刻されているかというと、岩屋神社の一の鳥居があったからだ。

このあたりは信仰の聖域だと伝えるための観音様だった。

時津

古代長崎は時津港から上陸し、岩屋神社へ参拝するのがメインだった思われる。

そして、赤迫は開発されていない長崎への境目だった。

赤迫の谷を越えると、偏狭、未開の地長崎への辻境だと考えても良いだろう。

つまり、現在とは、まったく逆の情勢だったのだ。


長与、時津には字地名が多い。

現在では長与町だけで339もあるそうだ。

これは江戸時代、時津街道が栄えていた事によると思うが、それ以前にも人がたくさん住んでいたという状況証拠にはなるだろう。


なぜ百合畑があったのか。

改めて伊能忠敬記録の文を読むと、

字百合畑(百合野)という地名がある。

現在の百合野は高田郷にある。

百合野

「ゆりの」という綺麗な名前なので、近年つけられたものと思っていたが、伊能忠敬の時代にもあったとすれば、そこには意味があったと思われる。

百合は長崎でもよく見る花だが、文章には「百合畑」となっている。

つまり、自生している百合の群生ではなく、畑に百合を栽培していたのだ。

ユリの隣茎(球根)は食用になる。しかしそれほどポピュラーではない。

ユリネ(百合根/ゆり根):旬の時期や特徴と主な産地
http://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/vegitable/yurine.htm

ユリネは鬼ユリ(オニユリ)、小オニユリ(コオニユリ)などの隣茎(球根)です。たくさんの燐片が重なっているこの隣茎の形から「百合」の字が当てられたと言われています。古くから食用や薬用として利用されてきました。

ゆり根の主な産地は北海道の真狩で、北海道全体で全国の約95%を生産しています。

ゆり根は正月に限らず、京懐石料理に良く使われたりしています。
「京都の伝統野菜」には含まれていません。とは言っても、京都でも丹波地方などゆり根の生産はされています。

百合根


ここで注目したいのは、薬用という部分である。

百合根は栽培が難しいとある。

この地域はみかん畑などが主で、百合畑は珍しい。

まさか、観賞用に百合を栽培したとは思えない。

これは薬用であろう。

◆古くから和漢の薬用に
ゆり根は中国や日本でも、古くから滋養強壮、利尿、咳どめ、のほか、精神を安定させ、イライラを解消するなどの鎮静作用の薬用として珍重されてきた歴史があります。
http://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/vegitable/yurine3.htm


これだろう。

時津街道は、昔から道の尾温泉が有名だ。

道の尾という名前は、時津街道の道の終わり辺りという意味だろう(長崎港が開かれると延長され、浦上街道とつながったのではないか)

古代長崎に来る目的は、岩屋神社参りだと思える。

弘法大師がここで護摩の法を修してより寺門大いに栄え、支院三十六。その盛名は崇嶽(金比羅山)の神宮寺と並び称され、表裏をなして共に西国有数の巨刹(大きい寺)であったという。

岩屋神社

今では面影も無いが、九州でも有名だったのだ。

一の鳥居から山のふもとにある岩屋神社の間には、支院三十六が立ち並んでいたのだろう。

神社と寺が同居している神宮寺のスタイルは、6世紀末に日本に登場する。

仏教伝来以前も巨岩信仰はあり、古代神道とも言うべき山岳信仰に、仏教の行脚や道教の入山修行に影響され、独自の修験道もこの山にあったと思われる。

岩屋神社に行くとわかるが、鬼の足跡と呼ばれる岩窟があり、さらに様々な神が渾然一体となり、祀られている。

鬼の窟

二の鳥居には六部堂もあり、霊場めぐりの人たちも来ていた。

六部堂

六部堂 
六十六部の略 六十六回写経した法華経を持って六十六箇所の霊場をめぐり、一部ずつ奉納して回る巡礼僧のこと。

もう一つ道教の影響もある。

道教は仙人思想を生んだ教えでもあるが、その中に医学的なものも含まれている。


温泉場での保養や治療の為に百合根は栽培されたのではないだろうか。

そして、その名は後世、現代まで続いたと思われる。

元村郷

百合野がある地域を高田郷、その隣は時津のメイン元村郷という。

元村の地名の由来は不明だが、本村の読み替えともされている。

元村という苗字もあり、全国でおよそ3,800人いるらしい。

熊本県、福岡県、長崎県に住んでいるらしいが、この苗字はの起源はこの元村郷である。
現佐賀県と長崎県である肥前国彼杵郡時津村元村郷が起源(ルーツ)である。近年、九州北部に多数みられる。 「村」は村(邑)を表す。

モトムラ 元村 熊本県、福岡県、長崎県。①地形。本村の異形。②長崎県西彼杵郡時津町元村郷発祥。記録時代不詳の地名。同地に分布あり。
https://myoji-yurai.net/myojiPrefectureRanking.htm?myojiKanji=%E5%85%83%E6%9D%91

名前由来ネット

ここまでしかわからなかったが、意外と重要な地であったのかも知れない。

元村の元という字は はじめ. 頭。長。君主「元」の形が「冠をつけた人」の形に似ていたことから、「かしら」の意味で使われ始めた。とある。

元の字

元気の元である。

元気とは活動のもとになる気力。また、それがあふれている感じであることとある。

道ノ尾温泉で保養して、岩屋神社に参拝し、元村郷で薬効のある百合根を食べて元気になる。

そんな風にもとれる。

古代、長崎の開港以前、時津港から岩屋神社まで神仏の参拝などで賑わったのだ。

しかし、長崎開港と共にその賑わいは長崎の岬に移った。

それでも、時津街道は長崎の岬への近道として繁栄を続けたのだ。

時津港

時津という地名を使った文字に時津風というのがあり、時津風とは良い時に吹く風のことをいう。

相撲にも時津風部屋があり、駆逐艦にも時津風という名前が付いていた。

良い名前なのだ。

時津という名前も、元村という地名も、百合野という字もそれぞれ意味があったのだ。


古代の記録は無いが、岩屋神社の一の鳥居をみてそう思った。

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コメント

  1. ふららん より:

    アトーワークス様。記事をみつけ、拝読させていただき本当に感激しました!
    私は東京在住ですが、新潟(北陸)辺りにも「元村」が多く存在しているようで、
    嫁がれた女性からルーツがわからないと訊ねられたことがありました。
    全国の「元村」がまた先祖が喜んでいることでしょう。(涙)
    時間をつくって時津港〜岩屋神社〜元村郷を巡ってみます。本当にありがとうございました。

  2. artworks より:

    コメントありがとうございます。長崎の郷土の歴史は記録が残っていないものも多く、憶測の域を出ていないのが現状です。地元をこつこつ回り古代の長崎を探索していきたいと思います。