ひながなとカタカナ 二つの表意文字の謎

日本には、表意文字が二つある。

よくよく考えれば、一つしかいらないのだ。

こんな単純な疑問に今さらながら気づいてしまった。

ひながな
平安時代初期の名僧である空海が平仮名を創作したという伝承があるが、これは現在では俗説であると考えられている。ウィキペディア

カタカナ
吉備真備(695-775年)が片仮名を作ったという説があるが、これは俗説に過ぎない。ウィキペディア

こんな説明が載っている。

雄略天皇

古代の事なので疑いもしないが、明石散人氏の著書には、ひらがなは雄略天皇の時代にすでにあったといっている。

雄略天皇は「倭の五王」中の倭王武に比定されている天皇である。457年から479年の在位とされている。

『万葉集』や『日本霊異記』の冒頭に雄略天皇が掲げられているので、大和王権が確立された天皇ともいわれている。

明石散人氏が言うには大江匡房(平安時代後期の公卿)も吉田兼とも(吉田神道(唯一神道)の事実上の創始者)も記録に残していると、書かれているがネットでは確認できなかった。

確かに、万葉集の最初の歌は、雄略天皇の歌である。

先にも書いたが、もし本当に雄略天皇の歌としても、200年間の間どうやって伝わったのだろうか。

万葉集は759年に完成したとされている。

万葉集という題名は、「万の言の葉」とするのが通説である。

そして、特徴は万葉かなという文字の使い方である。

全文が漢字で書かれており、漢文の体裁をなしているが、歌は日本語の語順で書かれている点にある。

万葉集のトップに雄略天皇がある理由について、奈良時代の人々においても雄略天皇が特別な天皇として意識されていたことを示すとある。

確かに、歴史書を見れば勇猛果敢で、朝鮮半島にも進出している。

百済と密度の高い外交関係を持ったり、高句麗を糾弾する上表文を南宋に送ったりと、並みの大王ではなかった。

また、呉国(宋)から手工業者・漢織(あやはとり)・呉織(くれはとり)らを招き、また、分散していた秦民(秦氏の民)の統率を強化して養蚕業を奨励したとの記述がある。

これらの事を考えれば、雄略天皇の時代(5世紀半ば)に、まったく文字がなかったとは考えにくい。

漢字の普及は、一般的には、5世紀から6世紀頃といわれているが、政治の場では早くから、中国の漢字の読み書きは出来たと思われる。

だからこそ、雄略天皇の歌が残っていたのだ。

神代文字

歴史では、日本古来の文字はなかった事になっているが、神代文字(じんだいもじ)の存在は、議論され続けている。

神代文字とは、漢字伝来以前に古代日本で使用されたと紹介された多様な文字、文字様のものの総称である。

ほとんどが偽物だという評価だが、現在も神社の御神体や石碑や施設に記載されたり、神事などに使われている。

荒神山の御札。左側にあるのが神代文字

日本に古代文字がなかった根拠として、「隋書」(636年)に、

「無文字 唯刻木結繩 敬佛法 於百濟求得佛經 始有文字」

の記述がある。

文では、刻木・結縄という、記録手段はあるが、文字は百済が仏教を伝えてから初めて文字が知ったという意味だと取れる。

また、日本に独自の文字が存在したならば、漢字を輸入し仮名を創作する必要はないとする主張がある。

確かに言われてみればそうだが、当然反論もある。

漢字が仏教伝来とともにやって来たというのは間違いで、稲荷山古墳出土鉄剣、隅田八幡神社人物画像鏡など漢字を使っている物が出土している。

稲荷山古墳出土鉄剣銘

稲荷山古墳出土鉄剣は、一般的に471年といわれている。

国宝の隅田人物画像鏡

隅田八幡神社人物画像鏡のほうは時代が不明だが、443年という説がある。

さらに

『日本書紀』(720年)に「帝王本紀多有古字」(訳:「帝王本紀多に古字あり」)

「丙午、命境部連石積等、更肇俾造新字一部卅四卷」(訳:「丙午、境部石積等に命じて、新字一部四十四巻を作らしむ」)

とあり、古代日本文字があった事を記している。

日本書紀にも日本文字がある事が書かれていることを見過ごしてはいけない。

漢字は卑弥呼の時代にも、遣隋使を何度も送り、大陸との交流を深めているので、この時代にはすでに読み書き自体は出来た事は間違いないが、正式に漢字を、日本国で使用しようと決めたのは、やはり6世紀7世紀の頃だと思われる。

そこで疑問が出てくる。

漢字に関して、古代ある程度普及していたので、そのまま使えばいいと思うのだが、正式に日本国が、国の行政に漢字を使ったのは、やはり聖徳太子だった。

聖徳太子は、これまでの日本のあり方を全て変えようとした。

そして律令政治と仏教の導入を実行している。

それに伴い、漢字を国策の記述に正式に使ったのだ。

という事は、それまで日本には独自の文字があったが、それを廃止してと文字の統一をしたと思われる。

「帝王本紀多有古字」にあるとおり、独自の文字がいろんな地域で使われていて、国内では統一できていなかったのが、その時代の文字事情ではなかったのか。

だからこそ、国字として漢字の全面導入に踏み込んだのだ。

日本の古い字といえば神代文字というのが在る。

明らかにうそ臭いものもあるが、神社関係では遣われていた形跡のあるものも多い。

例えば、阿比留草文字(あひるくさもじ)がある。

各地の神社において神璽や守符に用いられ阿伎留神社には神符の発行に用いられた版木が残されている。伊勢神宮に奉納された神代文字によ奉納文の中では、最も多く用いられている。 ウィキペディア

阿比留草文字の一例

それ以外にも此れだけある。

阿波文字 – 阿波国名東郡の神社で発見された。

阿波文字


出雲文字 – 出雲国の書島(ふみしま)で見つかったとされる。

出雲文字

琉球古字 – 琉球で占いに使われたという文字。

また、記号な様な絵文字もある。

北海道異体文字 – 北海道で発見された。
筑紫文字 – 筑後国の重定古墳にある壁画を文字とする見解。

これらの事を考えれば、古代文字というものがまったく存在しなかったという、学者の意見のほうが間違いだと思われる。

ただ、一般に流通していたかというと語弊がある。

地域の方言や神事で主に使われていたのだろう。

梵語

現在使われている「あいうえお」の50音表を作る際に参考にしたのが、悉曇学と反切といわれている。

悉曇(しったん)学とはサンスクリットの音韻学である。

サンスクリット語は古代インドで使われた標準的文章語である。

この言語は仏教だけではなく、ヴェーダ聖典、ヒンドゥー教、ジャイナ教などの教典でも使われている。

あいうえお表の音の並びが、がこのサンスクリット文字からきていることに注目したい。

そして、それはサンスクリット語を学んだ天台宗の僧侶の業績である。

つまり、宗教と文字は常に深い関係を持っていたという事なのだ。

日本での仏教伝来は、6世紀半ばの欽明天皇期、百済から古代日本(大和朝廷)への仏教公伝のことを指すのが一般的だ。

此れには異論はない。

しかし、大陸の宗教が古代日本で行われた事は記録に残っている。

邪馬台国の卑弥呼の鬼道である。

先にも書いたが宗教と文字は深くかかわっている。

鬼道が道教である事は、多くの学者も述べているところであり、骨を焼く占いも導入している。

漢字の発祥も、最初は占い時の骨のひび割れからである。

古代日本に、まったく文字が存在しなかったというのは、やはり無理があるのだ。

しかし、それでは邪馬台国に、一般に使用されていた文字があったかというと、それはないだろう。

文字は宗教の要素だからだ。

一般では、木に記号を彫ったり、縄の結び目で十分だったからである。

しかし、文字の元は確実に古代日本の宗教に流れていたのである。

結縄(けつじょう)文字

ひらがなは平安時代、漢字を崩して作られたとされている。

カタカナは漢文を読むときの方法として、漢字の一部を使って記号のようなものを作り、それが定着したとされている。

カタカナの出自ははっきりしているが、ひらがなははっきりとした出自はない。

ただ、借字(万葉仮名)を起源として成立し、普及した事は間違いない。

漢字を崩して書くのを草書体という。

この書体は、中国では3世紀に一般化している。

この技法も、同時代倭国へ流れてきた事は間違いない。

この技法が、日本の神道に影響を与えたのだろう。

それで形を作っていたのが神代文字だと推測される。

ひらがなは「女手(女文字)」と呼ばれていた。

なぜかというと、宮中の女性が主に使っていたからである。

誰が発明したという事もないが、様々な人の手によって整えられていった。

女性しか使ってはいけない文字

何故女性が主に使っていたかというと、女性しか使ってはいけない文字であった可能性がある。

ひらがなは古代より女性が伝えていったものだからである。

神道で重要な位置を占めるのは、巫女である。

巫女は、神とつながり神託を聞く唯一の存在である。

そして、その神託を記す。

それが神代文字と呼ばれていたのだ。

阿比留草文字等を見れば、ひらがなの原型ともいえる。

また、インドで生まれた梵字も雰囲気はひらがなに近い。

現在のひらがなは対応する漢字があり、わかりやすくなっているが、平安時代の発音は不明であり、現在より多くの発音があったとされている。

その発音とは上代(じょうだい)日本語と呼ばれ、現在は5つしかない母音が8個もあったとされている。

そんな発音を書き留めておくには、50音だけでは到底足りていなかった。

となれば、現在に残っていないひらがなも沢山あったのだ。

そんな発音のひらがなの中に神代文字は混じっていったのではないだろうか。

そして、神の声を記したひらがなは、巫女から巫女へ受け継がれていき、政の場、つまり宮中の中へ広がっていったのではないかと推測する。

卑弥呼

古代より、巫女たちは独自の文字を持っていた可能性がある。

その文字は受け継がれていき、女性の霊的な教養となったのである。

巫女

神代文字がそのまま「ひらがな」になったとは思わないが、神代文字の書き手が、漢字をアレンジしていった過程は推測される。

この話は明石散人氏の「ひらがなは神代文字だった」という一文の説を元に進めていったのだが、明石散人氏はサンスクリット語とひらがなの関係を、強く言っている。

しかし、私は梵字が伝わるはるか以前より、巫女という女性が受け継いできた文字だと推測している。

こう考えると、国字となった漢字に対して、便宜上作られて普及していったのがカタカナで、神の言葉が元になったひらがなは神聖な特別の文字だったといえるのだ。

便利さで国字となった漢字に、日本特有のフィルターがかけられ、表意文字が二つ存在する事は、まことに日本らしいと思う。

文字を言霊として、恐れ敬う感覚は、やはりひらがなの神性から発してきたのである。

スポンサーリンク