ヒンドゥ教と神道。修羅王からスサノオになった

スサノウとは、ご存知、八岐の大蛇を退治した神様である。古代史の中では人気が高く、生い立ちはかなり謎めいている。

私も色々書いているが、未だに興味が尽きない。

今回また書こうとしているには、また疑問が湧いてきたからである。

スサノオ

実は漫画に星野之宣氏が書いた宗像教授異考録という本のがあるらしい。中身は読んでいないのだがこの本には「スサノウ」の内容があると聞いた。

そして、そのマンガ本「宗像教授異考録」にはスサノウが彗星王であると書かれているという。

宗像教授異考録

えっ。彗星王か。

なるほど、これにはまいった。すごいと思った。

確かに、伊奘諾(イザナギ)・伊奘冉(イザナミ)から最後に生まれたのが三貴神、つまり天照大神(日の神)月読命(月の神)須佐之男だ。

天照大神も月読命も太陽と月で馴染みのある星である。

それならば須佐之男も星である可能性は高い。

マンガ「宗像教授異考録」は、ソコを突いている。

スサノウは荒々しく強い。永井豪の漫画では「凄ノ王」である。

凄ノ王

彗星も地球上に届けば大惨事を起こす。

名前も似ているし、スサノオの雰囲気をしっかり表している。

今回は、スサノウが彗星王なのかを考えたい。

おさらいだが、スサノウの表現を改めて抜粋した。

古事記
左の目を洗うと天照大御神が生まれた。右の目を洗うと月読命が生まれた。鼻を洗うと建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)が生まれた。

日本書紀
そして大日霎貴と月弓尊は、ともに性質が明るく麗しかった。そこで天下(あめのした)を照らすようにさせた。素戔嗚尊は残虐な性質だったので降して根国を治めさせたともある。

ウィキペディア

古事記では淡々と書かれているが、日本書紀では結構手厳しい。

伝説だから太陽と月だけでいいと思うのだが、何故か出来の悪い須佐之男が出てくる。

ここが不思議なのだが、日本の古代を語る時、須佐之男は外せない存在だったのは間違いない。

須佐の男

日本書紀では素戔男尊、素戔嗚尊等と書かれているが、古事記では建速須佐之男命、須佐乃袁尊とあり、出雲国風土記では神須佐能袁命、須佐能乎命などと表記されている。

日本書紀は意図的に編集されているので、古事記の須佐の表記が言い伝えに近いのだと思う。

出雲風土記には出雲西部の須佐の地名もあり、須佐之男とは須佐郷の族長を神格化したという説と荒ぶるという意味の凄まじいから来たという説などがある。ウィキペディア

しかし、当然他説がある。

山口県萩市の「須佐」はその一つである。

しかしこの地の須佐は記紀には登場しないのだが、色々と気になる点も多い。

記録には残っていないが、この地域の伝承として残っている。

須佐とスサノオ [山口県]
http://cultural-experience.blogspot.jp/2015/10/blog-post_54.html

須佐の由来
須佐という地名は「須佐之男命(スサノオ)が出雲の国から朝鮮半島に渡る際、神山(高山)の峰に立って航路を定めた」という神話に因んで名づけられたと言われています。

この高山(こうやま)という場所は須佐に実在しており、山腹には中国神話に登場する黄帝(こうてい)を祀る黄帝社や、弘法大師(空海)が開いたと云われる高山八相権現社などがあるんだそうです

スサノウが朝鮮半島出身者ではないかと思わせるような内容である。

こうなってくると、かなりリアルになる。

天照と月読が星で、スサノウはリアルな人間となってしまい、神話としてのバランスが崩れてしまう。

三貴神と言われ、特別扱いされているスサノオが只の乱暴者では神話になっている価値が無い。

もっと違う意味があるのだろうか。

日食を引き起こす神

スサノオは色んな所に絡んでくるが、天岩戸の話が印象的である。

天照はスサノウの乱暴で天の岩戸に隠れてしまう。日食のことである。

つまり、スサノウが原因で日食になったとも言える。

調べてみると日食を引き起こす神がいた。

日食(月食)黄幡神(おうはんじん)である。

日食・月食を引き起こす羅ゴウ星の性質を表したものとされる

黄幡神(おうはんじん)は、九曜の1つである羅ゴウ(らごう)を奉ったもので、集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などにおもに石碑の形態で祀られている。

現在は道祖神の様に村の守り神として信仰されているが、元々はインド神話に登場するラーフと呼ばれる蛇神であり災害をもたらす神として恐れられた。日本に伝来してからは、日食を引き起こした神であるスサノオと習合した。ウィキペディア

黄幡神

あんまり馴染みはないが、民間信仰の一つだろう。

日本での影響は平安時代の神仏習合の際、日食を起こす神と言うことでスサノオと同一視されたようだ。

インドの神様とスサノウがつながりがあるのか不思議でもある。

もう少し詳しく調べてみる。

インドと古代日本

日本人はインドからやってきた!?
http://chaichai.campur.com/chaiyadefile/indiajapan.html

多くのインド人が古代日本に来航し、言語や風習にまで大きな影響与えたというのは間違いなさそうだ。

「日本語の起源」では、カミ(神)やアメ(天)、マツル(祭る)などといった宗教用語が実はタミル語起源なのだと説明される。ということは、神道の起源はヒンドゥー教ということになってしまう。

日本の言語については他説が有り、断定はできないが、タミル語もその一つということである。

タミル語

タミル語自体知らないし、見たこともない。

しかし研究している人もいる。

弥生文明と南インド 作者: 大野晋

弥生文明と南インド

日本の弥生時代に、南インドの巨石文化が海上の道を通って日本にもたらされ、文化と一緒に言葉も入ってきて、それまで使っていた言語にタミル語という新しい言語が流入したことが説かれています。

注目したいのは、単に言葉の類似だけでなく、食べ物から金属器、機織、お墓の形態など生活風習という点で共通するものが多いということと、その平行性がほぼ同時期に見られるというところです。

「日本語はどこからきたのか ことばと文明のつながりを考える」大野晋 中公文庫

日本語はどこからきたのか

本の内容を解説しているHPからの抜粋

タミル語入門1 これほど日本語に近いとは知らなかった
https://blogs.yahoo.co.jp/nakamushyh/29272859.html

■日本語の構造とタミル語は同じ。
■助詞は、日本語と完全に対応し、細かい言い回しも同じである。

確かに、似ている部分も多く、傾聴に値すると思う。

ウィキペディアにもクレオールタミル語説として詳しく載っているので、学問的にもちゃんとした説である。

日本人の南方起源説や縄文人とチベットは同じD2(Y遺伝子)を持っていることを考えれば、チベット→インド→東南アジアのルートは十分考えられる。

インダス文明

エローラのジャイナ教遺跡(Ellora 32窟 インド)

インダス文明は、紀元前2,600年から紀元前1,800年の間を指すとある。

日本の縄文は紀元前13,100から約2,300年前である。当然縄文時代が古い。

数字だけ見れば縄文から弥生に移っていく時代に、インダス文明は誕生した。

インダス文明で育まれた文化を持っている人たちが日本列島に来たことは否定できないし、当然あったと考えるほうが正しい。

どこの文明でも似通った箇所はあるし、あんまり根掘り葉掘り比べるのは主旨が違うと思うが、原始宗教などの類似点は注目すべきである。

インドの宗教

インドの宗教はたくさんあるが、ヒンドゥー教がインドやネパールで多数派を占める民族宗教である。

ヒンドゥー教は、バラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら徐々に形成されてきた多神教である。

実は仏教もヒンドゥー教の一派とされている。

ヒンドゥー教は様々なものを含んでいるので、私ごときが解説するのは不可能である。

そこで色んなページから抜粋して考える。

何を考えるかというと、ヒンドゥー教と日本の神話についてである。

日本の神話

日本には古来より神道がある。しかし、神道の形式が完成されたのはかなり新しい時代といえる。

開祖・教義はなく、この島国の古代人が、例えば『地面にある岩に奇異を感じて、畏れを覚えればすぐに、そのまわりを清め、みだりに足を踏み入れて穢さぬようにした。』これが神道だった。むろん、初期の頃は社殿などなく、後世に仏教が伝来して、はじめて、それをまねて社殿ができた。
「司馬遼太郎 この国のかたち 5 (文春文庫)」

司馬遼太郎 この国のかたち

こういう事らしい。

なので現在知っている神道は、形式を持った仏教が日本に入ってきてから、神道の形式が固められたと考えて良さそうだ。

しかし、神道には仏教にないものがたくさんある。

その根源が、実はヒンドゥー教とそっくりだという指摘がある。

東南アジアにヒンドゥー教が入ったのは2世紀頃だという。

日本の原始宗教に、ヒンドゥー教の考え方が影響したことは間違いないようである。

類似点を上げているHPがあったので要約してみる。

インドのヒンドゥー教と日本の神道、5つの共通点とは?
http://yukashikisekai.com/?p=33922

1、民族宗教である。

2、開祖がいない。

3、多神教

4、特定の経典を持っていない。

5、罪とケガレ、祓いの考え方

特に、罪とケガレに関しては十分納得がいく。もちろんその罪の内容は全く違うが、穢れを祓うという行動は同じである。

ガンガー(ガンジス川)という川で沐浴するのは、穢れを祓う儀式なのだ。

日本の神道が曖昧だった頃に、ヒンドゥー教の影響を受けて少しづつ宗教という形式を取り始めたというのが正解だろう。

だから、内容はヒンドゥー教と違うのだが、形はよく似ているのだ。

この事は古事記を読めば納得いく。

調べて驚いたのだが、かなり似ている箇所がある。

国産み神話

イザナギとイザナミの二柱の神は天の橋にたち矛で混沌をかき混ぜ島をつくる。ウィキペディア

と書かれている。

ヒンドゥー教には乳海攪拌(にゅうかいかくはん)という天地創造神話がある。

この内容は込み入っているのだが、かいつまんで言うとこうである。

不老不死の霊薬「アムリタ」を作るため、多種多様の植物や種を乳海に入れた。

山を回転させると、海がかき混ぜられた。

1000年間攪拌が続き、乳海からはさまざまなものが生じた。

まあ、こういう事である。

古事記の国産み神話とそっくりである。

天地を創造する方法が、混沌をかき混ぜるという方法を取っているというのが、大きな影響を受けている証拠である。

中国では盤古というものが天を押し上げて地と離して作ったとされている。

朝鮮半島には天地創造の神話は見当たらない。

日本の神話が中国大陸の影響を受けていないのは明らかである。

もう一つ三貴神の話だ。

日本神話では数多くの神々がいるが、特別扱いされているのは天照大神(日の神)月読命(月の神)須佐之男の三貴神である。

ヒンドゥー教も多くの神がいるが、やはり重要な神が3人いる。

ヒンズー教

ブラフマー 創造の神、ビシュヌ 維持の神、シヴァ 破壊の神である。

まあ3人というのは日本とインドだけではないので、それほど強く言わないけれど、その役割がよく似ている。

ブラフマー(創造の神)は天照であろう。天照は太陽神である。太陽はすべての生き物を育てる力がある。

ビシュヌ(維持の神)は月読である。日本神話の月に当たる神格なのだが、読という文字が当てられている。

当然月を読むとは、カレンダーなどのように月日を数える意味合いがある。つまり時間を意味していると思われる。

微妙にずれるのだが、維持をするのも、月を読むのも、時間という概念から成り立っている。

そして最後のシヴァ(破壊の神)はスサノオだ。

この組み合わせの同一性は偶然ではない。

余談だが、創造 Generate、維持 Operate、破壊 Destroyの英語の頭文字を合わせるとGOD、つまり神になる。

シヴァ(破壊の神)

破壊と創造の神シヴァ

過去、シヴァ(破壊の神)がスサノオではないかという文章を書いたことがある。

確かに、性格的にはよく似ている。だが微妙にスサノウと違うものも多く感じていた。

シヴァ(破壊の神)は日本で言えば大黒天(だいこくてん)又は大国主命である。

ここで重要なのは、ヒンドゥー教の中身が日本神話に影響を与えたのではなく、形式が影響を与えたということである。

なのでブラフマー(創造の神)を真似て天照が誕生したのではなく、創造、維持、破壊という三要素で世界が成り立っているという形式に日本神話が整えられたということなのだ。

だから、逆にシヴァ(破壊の神)はスサノウではないという事がはっきりしてくる。

スサノオは須佐の王なのだ。

今回はその音も探ろうと思う。

アスラ

日食と月食の食に深く関係する人物は誰かというとアスラである。

アスラ

アスラはインド神話・バラモン教・ヒンドゥー教に出てくる。

古代インドにおいてアスラは悪役的な要素はあまりなく、デーヴァ神族の王インドラに敵対することもある天空神・司法神ヴァルナとその眷属を指していた。

時代が下った古代インドではアスラを魔族として扱うようになった。「アスラはア(a=非)・スラ(sura=生)である」という俗語源説も、この転回を支持するものだった。

インド神話がバラモン教からヒンドゥー教へと発展し、シヴァ・ヴィシュヌが新しく主神となると、アスラはヴァルナの眷属であるという設定はなくなり、神々の敵対者となる。

アスラとスサノオは似た所もあるが違う所も多い。細かいことを言えばまったく違うかもしれない。

しかし、アスラの性格が不特定という部分が、スサノオに似ている。

シヴァ(破壊の神)は絶対神でありスーパースターすぎるのだ。

スサノオというのは、それほどの魔王ではなく、たまには正義の味方であったりする。

またスサノオの多重人格性は人間らしい。そうするとシヴァ(破壊の神)では不適合である。

日本の文化の特質は、文化を直接取り入れるのでなくてフィルターを掛けて、独自の形にしてしまうという事である。

そうなるとアスラ=スサノオとなる可能性が高いのだ。

「アスラはア(a=非)・スラ(sura=生)である」という言葉の由来がインドにはある。

その後アスラが仏教に取り込まれてそれが中国に伝わると、漢字を当てて「阿修羅」と表記されるようになった。

阿修羅

中国において「阿」の文字が「なんとかちゃん」に該当するので「阿」をとって「修羅」とも呼ばれた。

つまりスラ(シュラ)である。

日本に来れば王になる。

「阿修羅」はスラオウなのだ。

スラオウとスサノオ。

つまりここで須佐之男が誕生したのだ。

「スラ」という名前を持つ神が、太陽と月を隠すというヒンドゥー教の概略を、日本神話にも当てはめたのかもしれない。

又は日本に流れ着いたインドの人たちが、自らの伝説を日本の民間伝承に当てはめたのかもしれない。

日本の地名にある「須佐」と「スラ」が混合したのかもしれない。

天照は天という文字が入っているし、月読には「月」という文字が入っている。

ところが須佐之男は、その名前の由来が不明だった。

今回の推理で「須佐之男」の元は「修羅王」という結論が導き出されたのだ。

証拠などは一切ないがこの推理には満足している。

彗星王の件

今回は彗星王がスサノウではないかという説から始まっている。

黄幡神

アスラは日本に伝わった時、黄幡神(おうはんじん)とも呼ばれている。

黄幡神(おうはんじん)は、元々はインド神話に登場するラーフと呼ばれる蛇神であり災害をもたらす神として恐れられた。

ラーフは、インド神話に登場する、4本の腕と1本の尾をもつアスラである。

そして、日食を引き起こした日本の神であるスサノオと習合したと言われている。

つまり、アスラとスサノオは民間伝承で同じと思われていたのだ。

そしてアスラは古事記の編纂時に須佐之男として登場することになる。

黄幡神(おうはんじん)はインド天文学やインド占星術が扱う9つの天体とそれらを神格化した神である。

つまり星なのである。

インド神話では月の交点(黄道と白道の交点)のうち昇交点がラーフ、降交点がケートゥである。

つまり、ラーフとケートゥは同じアスラであり、とくにケートゥは彗星や流星ともされている。

須佐之男=アスラ=ラーフとケートゥ(アスラ)=彗星となる。

奇しくも、彗星王と須佐之男はつながってしまったのである。

やはり「彗星王」という発想はすごかったのだ。

スポンサーリンク