英雄伝説の宝庫 源氏の正体。日本国の構造を考える。

最近の相撲事情でモンゴルに興味を持ち色々読み漁ったのだが、予備知識として元寇とジンギス汗しか知らないことに恥じた。

成吉思汗

歴史的に言えば蒙古襲来以前のモンゴルはあまり日本と関わりが少なかったようだ。

私達日本人は生まれてきた時に蒙古斑という青いアザがお尻についている人が多い。

これはモンゴロイドという人種の証なんだが、モンゴロイドにも新旧が有り、古モンゴロイドは縄文人であり、新モンゴロイドが弥生人と言われている。

調べてみてもこれくらいしかピンとこない。

ただ、モンゴルと言えばジンギス汗。ジンギスカンと言えば源義経である。

牛若丸の『源義経』

この源義経、日本の歴史上の人気者だがいつからか、日本を脱出してジンギス汗になったという伝説が生み出された。

この説はシーボルトが最初に論文を出して唱えたのである。

シーボルトは私の故郷長崎の有名人である。この事を知って非常に驚いた。

私がこの説を馬鹿にしないのは、小説家高木彬光氏の『成吉思汗の秘密』を読んだからである。

読んだのは何十年前の事だが、よく出来た小説で、今でもラストを覚えており感銘を受けた。

これほど荒唐無稽な話を独特な視点で展開させており、最後には源義経イコール成吉思汗が本当に思えたくらいである。

これらに関しては優れた読み物や論文も多く、そちらを参考にしていただきたい。


源氏の伝説

この文章を書くうちに、源氏という一族の方に興味が湧いてきた。

なぜなら源義経以外にもスーパースターがいるからである。

その名は源 為朝(みなもと の ためとも)という。鎮西八郎とも呼ばれ九州には様々な伝説が残っている。

源 為朝

彼のことを書いた小説は『椿説弓張月』(ちんせつ ゆみはりづき)といい、江戸時代のスーパースター曲亭馬琴と葛飾北斎がコンビを組んだ豪華読本である。

椿説弓張月

そして、この本は鎮西八郎の活躍と琉球王朝開闢の秘史を書き大評判となった。

この琉球の話を要約すると、

琉球に渡った為朝が琉球王国を再建(為朝が琉球へ逃れ、その子が初代琉球王舜天になったという伝説を語っている。ウィキペディア

そしてこの話は、沖縄では正史として扱われており、大正11年には為朝上陸の碑が建てられている。

すごい話である。

私の故郷長崎にも矢上の八郎川など鎮西八郎伝説は多く有り、私も調べたことがある。

つまり、日本の北と南に源氏の伝説が作られたのだ。

もう一つ言えば、義経の兄源頼朝は、ご存知鎌倉幕府の初代征夷大将軍である。

頼朝を加えると、南の琉球、日本中央の鎌倉幕府、北のモンゴルの王と、源氏伝説は凄いことになっている。

こんな話が日本にあることが面白くもあり、不思議でもある。

という事で、源氏を調べる意義は十分あると結論を出した。

源氏とは

「源」を氏の名とする氏族。姓(カバネ)は朝臣。日本において皇族が臣下の籍に降りる(臣籍降下)際に名乗る氏の1つで、多数の流派がある。清和天皇の子孫である清和源氏が有名である。ウィキペディア

つまり、天皇家の子孫が増えたので、臣籍降下を行い、いろんな氏族が出来た一つということになる。

本来は源氏姓のスタートは嵯峨天皇だったが、清和天皇の子孫が武家として発展して、源頼朝の代に鎌倉幕府を開き武家政権を確立したとされる。

だから、源氏といえば清和源氏という事なのである。


源氏の発祥

清和源氏の大元は清和天皇である。

清和天皇は850年生まれで、母親は藤原氏のお姫様。

藤原氏は渡来系氏といわれ、その時代の天皇に娘を嫁がせる政略で、日本の影のドンだった。

その影響力で清和天皇は9歳で天皇になっている。しかし藤原氏の傀儡となるのを疎み、なんと27歳で譲位してしまう。

この天皇の第六皇子貞純親王の子供が源経基と名乗ったのが始まりとされる。ただこれには違う説もある。

源経基の名跡を継いだのが源満仲という。かれは兵庫県を本拠地にして源氏武士団を作り上げている。

源満仲の長男、源頼光は酒呑童子を退治したという伝説がある。

彼から何代か後に、今回の義経と鎮西八郎が誕生している。


ざっくり調べても、特に変わった点はない。源氏という武闘派集団は次第にのし上がっていく話である。

沖縄王の伝説がある鎮西八郎は1139年生まれ、源義経は1159年で同時代を共有している。

この時代の源氏は頂点を極めてしまう。

そんな勢いのある源氏一族が、この時期にいろんなスーパースター(伝説)を生み出していったのは当然と推理される。

八幡神社

今回の話はこれまでかと思ったが、源氏一族の信奉する神は八幡神社であることが少し引っかかった。

源氏一族の中に八幡太郎義家という名前がある。本名は源 義家(みなもとのよしいえ)という。

1039年生まれで鎌倉幕府を開いた源頼朝、室町幕府を開いた足利尊氏の祖先である。

なぜ八幡太郎というのかというと七歳の春に、山城国の石清水八幡宮で元服したことに由来する。

石清水八幡宮

歴史書によれば彼が源氏を武家の棟梁にしていくという。

しかし、この流れがドラマチックなのだ。

平安末期,奥羽(東北)で行われた二大戦役、前九年・後三年の役(戦い)がある。

これに勝利した義家だが、諸事情により朝廷から疎まれ、恩賞もなく役職を奪われてしまう。

これから源氏は停滞期に入る。

しかし、この東北での戦いで、源義家に従った関東武士(主に関東平氏)達に私費で恩賞を与える。そしてその事に関東武士は感銘を受け
強い主従の関係が生まれた。

ここから、武士という組織の基礎が出来るのだ。


義家の三兄弟

まさにドラマ、源義家の男気がすべての始まりだったのである。

映画ロッキーのように、どん底の境遇から友情に支えられ、鎌倉幕府という政権をついに作り上げてしまう。

この事で源義家を神格化していくのもわかる。

陸奥話記には「将軍の長男義家、驍勇絶倫にして、騎射すること神の如し。白刀を冒し、重圍を突き、賊の左右 に出でて、大鏃の箭を以て、頻りに賊の師を射る。矢空しく発たず。中たる所必ず斃れぬ。雷の如く奔り、風の如く飛び、神武命世なり」とある。

まさに超人のスーパースターである。

更に兄弟の義綱、義光も神格化が加えられた。

次男義綱は京都の賀茂神社で元服したので賀茂次郎、三男義光は近江の新羅明神で元服したので新羅三郎と称していたとある。

三兄弟の話の中に、石清水八幡宮、賀茂神社、新羅明神という神社が出てくる。

ここに注目した。神社で元服をするということは、自分の守護神をその神社に求める行為だからである。

3兄弟の元服神社

石清水八幡宮は京都府八幡市にある神社である。この神社の元は八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)だ。

宇佐神宮

私は一度行ったことがあるが、鮮やかな朱色の神殿は見事である。通常神社はこんなに派手ではない。やはり渡来系種族の特別な神社であることは間違いない。

主神は応神天皇(誉田別命)で、比売神、応神天皇の母である神功皇后を共に祀っている。

誉田別命(ホムタワケ)のワケには特別な意味がある。

4世紀前後にヤマト皇族から分かれ、地方に領地を得た者およびその一族にワケが使われた。ウィキペディア

つまり、ヤマト政権作りに参加はしたが、ヤマト皇族ではない一族のことをいうのだろう。

応神天皇の母、神功皇后は三韓征伐を指揮した事で有名なワンダーウーマンだ。

比売神は宗像三女神のことをいう。

最近世界遺産になった宗像大社で祀られており、天照大神とスサノウの子であり、海上を守る神様である。

宇佐神宮の主神の応神天皇は八幡神と同一視されている。

八幡神とは

まずは八幡太郎義家の八幡神を調べる。

八幡太郎義家

八幡神の名前は、今から1300年ほど前の歴史書に突如として現れる。

八幡神を応神天皇とした記述は『古事記』・『日本書紀』・『続日本紀』にはみられず、八幡神の由来は応神天皇とは無関係であった。

「八幡」の文字が初めて出てくるのは『続日本紀』であり、その記述は天平9年(737年)の部分にみられる。ウィキペディア

という事は日本の神代時代の伝承には八幡神という神様はいなかったのである。

748年(天平20)9月1日、八幡神は出自に関して「古へ吾れは震旦国の霊神なりしが、今は日域(日本国)鎮守の大神なり」(『宇佐託宣集』巻二、巻六)と託宣している。

震旦国とはどこなのか今でもわからないらしい。

辞書では、振旦,真丹とも書く。中国の古称。古代インド人が中国を秦の土地 (チーナスターナ) と呼んだことに基づくと書いている。


色々諸説があるが、振旦は中国というのが大半で、琉球という人もいる。

いずれにしても、外来神という事になる。

その八幡さまを祀る宇佐神宮は、秦氏の本拠地ということもあり、秦氏の氏神である。


まあ、武士の信仰する八幡神がヤマト系ではない神様であるのは間違いないが、平安時代の八幡太郎義家が、ヤマト系ではないと言いはるのは無理がある。

八幡太郎義家という名は、武神の生まれ変わりであるといった所だろう。


加茂神社と新羅明神

次男の賀茂神社だが、加茂神社と同じである。

賀茂別雷神社

古代の賀茂氏の氏神を祀る神社で、古くは賀茂大神とも呼称した。

賀茂氏(かもうじ)はスサノウの11世の孫の大鴨積命を祖とする出雲国の古代の氏族とされるとある。

さらに八咫烏に化身して神武天皇を導いたとされる賀茂建角身命を始祖とする天神系氏族とある。

三男の新羅明神は、園城寺(おんじょうじ)の守護神である。園城寺は、滋賀県大津市園城寺町にある、天台寺門宗の総本山である。

大津市園城寺町に鎮座する新羅善神堂

園城寺はお寺である。本尊は弥勒菩薩。なぜお寺の守護神が新羅明神という神様なのか意味がよくわからない。

新羅明神(しんらみょうじん)は、園城寺の守護神。円珍(智証大師)が唐から帰国に際し搭乗船の船首に出現し自らを新羅国明神と称してたことによる。 元来は朝鮮半島からの渡来神ともこの地域の地主神であったともいう。ウィキペディア


朝鮮半島の新羅神

新羅明神を祀る神社は意外と多い。

例えば能登半島は朝鮮半島に近いので渡来系といわれる人々が多く住みついていた。特に新羅系の秦氏が多かったと言われている。

朝鮮半島にある新羅という国は、前57年から935年まであったが、内乱や飢饉で国力を弱体化させ、高麗に降伏して滅亡した国である。

新羅

新羅の王族である朴氏・昔氏・金氏の三始祖のうち昔氏の始祖脱解の出生については倭国東北1千里(当時の1里はおよそ500m)という。ウィキペディア

距離を計算すると、500キロとなるがかなり遠い。その当時倭国といえば、北九州か近畿地方である。そこから東北といえば能登半島あたりか、越の国新潟となる。

また建国時倭人が新羅にやって来て「朴」という姓を名乗り、新羅の王になったという記録が残っている。

いずれにしても、日本人が新羅の建国に大きく携わっていたとされている。

結局、新羅明神は名前の通り朝鮮半島の新羅からの渡来神だと思われる。

そしてその神体はスサノオノミコトである。


武神スサノオ

須佐之男尊

宇佐は九州の大分県、加茂神社は出雲、新羅明神は大陸(新羅)。

この3つに共通する神様が、あのスサノウだった。

宇佐神宮の祭神の一体が宗像三女神であり、スサノウの娘である。

出雲の祭神は大国主だが、過去スサノウが祀られていた時代があった。

新羅明神の新羅だが、天から追放されたスサノウは、新羅の曽尸茂梨(そしもり)に降りたが、「この地、吾居ること欲さず」(「乃興言曰 此地吾不欲居」)と言った、とある。

つまり源氏が元服した神社は、すべて渡来系倭人によって作られた神社であり、スサノウが大きく絡んでいたのだ。

これは驚いた。

偶然か意図的なものかを調べたい。

源義家=八幡太郎義家
源義綱=賀茂二郎義綱
源義光=新羅三郎義光

この3人特別な仲が良かったわけではない。特に次男は兄と仲が悪かったとされている。

また、賀茂二郎義綱、新羅三郎義光と本名ではなく通り名を通常使うことも当たり前だった。(本名を呼ぶ時は、呪詛の時)

時代は平安末期の人物なので特別神話に絡むことはない。

ただ、渡来系倭人には武力があり、それらが兵となった事は十分納得できる。

偶然と言うより、日本の国の成り立ちの原型と言っていいだろう。


渡来人の捉え方

秦氏など渡来系の氏を、すぐ現代の韓国、中国に置き換えて書く人が多いが、それは間違いである。

韓国など昔は存在しなかったし、一口に中国と言っているが、古代から多民族の王朝がいくつもたてられ、滅んでいった経緯がある。

もし日本に、中国語を話す地域があったり、韓国語を話す地域があれば、帰化人の影響というものが存在すると思うが、日本には日本語を話す民族しかいないので、渡来系の氏の影響というのは考えものである。

例えばフィリッピン地域に住んでいた人が、弥生時代に日本に移住したとする。

初代はフィリッピン語を話したのかもしれないが、二世三世となれば、日本語をネイティブに話し、日本人と結婚していれば、まるっきり日本人になってしまう。

たとえ秦氏の祖先が、中国大陸の秦王国であろうと新羅系、百済系、チベット系民族であろうと、日本後に来て世代を重ねていけば日本人なのである。

何世代にも渡り、秦氏が大陸とつながりを持っていたり、大陸や他の言葉を話せたりしたら、大陸との影響もあったと思うが、世代がすぎれば出身地と縁が切れてしまうのが常である。

だから、日本の政治に大きく影響を与えたのは日本以外を出身地に持つ日本人だったのである。

その事ははっきりと言わなければならない事である。


歴史は繰り返す

古代大和朝廷が出来あがるまでに、天孫族と呼ばれた人たちだけの力でなかったのは明らかである。(ここで言う天孫族とは、天孫降臨の伝説を持つ種族のことを言う)

天孫族の大和朝廷を助けたのが秦氏であった。

それから何百年も建ち、日本は武士という存在が大きく関わりだしてきた。

そして武家政権が誕生する。

それは何百年前の天孫族とそれ以外の部族の関係に似ていて、天皇を補佐する軍団が誕生する。

そしてその誕生の要になったのが、八幡の神を信奉する源氏だったというわけである。

源氏の前に栄えていた平氏の氏神は、厳島神社の宗像三女神と言われている。宗像三女神もアマテラスとスサノオの娘であり、神話にも登場する関係は、天孫系とそれ以外の種族だったと思われる。

古事記では、スサノオも天孫系と書かれているが、疑ったほうが筋が通る。

普通に読めば、日本は武力を持たない天照を祖先と崇める天孫系天皇の集団と、武力を持つスサノオという他種族の結合体だったのである。

そういうふうに解釈すれば、源氏一族の英雄伝説も理解できるのである。

ちなみに外国の学者が関東の武士たちの骨を調べた結果、縄文人の骨格によく似ていたという。弥生時代の大和朝廷と、縄文人の武士団が揶揄されている気がする。

また、源氏は源平合戦の時、白地に天皇家を表す赤丸をつけて戦ったのが、国旗の由来とされている。

日の丸


様々な言い伝えが、日本という国の基本が二重構造だったということを指し示していて面白い。

スポンサーリンク