縄文人のキス

やはり、一番関心が高いのは、日本古来の縄文人と弥生渡来人と呼ばれる人たちの交代劇があったのかという事である。

最近の学説は、あったという事が確定的だという。

私にも持論はあるが、学説には科学的な裏付けもあり現時点では認めたほうが良さそうである。

アジア人なのに縄文人は何故顔が濃いのか

まず縄文人がどんな人達だったのかというのが問題である。

「私たちはどこから来たのか」~日本列島人の起源に迫る~NHKハイビジョン特集

どの本にも、沖縄とアイヌの人たちが同じ系統だったと書かれている。みんながそう言うのでそうだと理解する。

その縄文人は彫りの深い人達だったらしい。

今の俳優さんでいうと北村一輝さんだろうか。

北村一輝

アイヌの人たちがロシアの北からやって来て彫りが深いのはわかる気がするが、何故南の沖縄の人たちが彫りが深いのは不思議である。

学者の人たちは南から沖縄にやってきたというが、東南アジアや中国南部の人たちは、そんなに鼻筋は通ってないし、イメージで言えばネプチューンの名倉潤さんのような、目が大きく鼻が低いアジア人顔だと思う。

名倉潤


この場合顔は濃いが、彫りが深いとは言わないと思うのだが。

南からやって来た人たちと、北からやって来た人たち、そして朝鮮半島を渡ってきた人たちが入り混じって縄文人というのだが、これだと地域差がかなり有るはずだ。

東北には北村一輝さん風、九州には南方系の名倉潤さんか、女性で言えばアジアンテイストの小西真奈美さん達だろうか。

小西真奈美

ただ縄文時代の人々は海を使っての交流もあったようで、1万年という極端に長い時代の間、日本列島の中の人たちはシャッフルされて、ある程度均一状態になったというのも納得できる。

しかしヨーロッパの学者は、アジアの果の日本に西洋人のような顔をした種族がいたというので、興味津々らしい。

縄文人と弥生人の謎

日本人バイカル湖畔起源説というのがある。

日本民族バイカル湖畔起源説

「DNA分析の結果、シベリアのブリヤート人と遺伝的に最も近いことが判明した」篠田謙一氏

なるほど。

しかし、北の寒い場所の人たちは、その寒さゆえ皮膚が厚くなり、鼻も低く、目が細いエスキモーの人のようになるという。

日本人で言えばウド鈴木さんの感じか。元中国で帰化日本人の石平さんもわかりやすい。つまり中国人はこの傾向があるので大体扁平系である。

ウド鈴木

石平

それなのに、縄文人は何故彫りが深いのだろう。

また、もう一つの縄文系の沖縄の人も、南の人たちなのに彫りが深く、古代、北から降りてきたという説もあるが、沖縄は南方系の人たちがやって来たという説があり、やはり不思議だ。

ただ、顔は個人差が大きいので、科学的な根拠になりにくいという事はわかっているが、見た目が一番ピンとくるので取り上げてみた。


倭人への道(中橋孝博 著)という本の中に、縄文人の歯と体型のことが書かれている。

アメリカ人類学者が書いた論文に、縄文人の歯は弥生系の人たちより歯のサイズが小さいという。

普通近代に近い方の人間のほうが古い時代の人たちより歯のサイズが小さいのが一般的である。

ところが、弥生系の人々の歯のサイズは、縄文人より大きいという報告があったという。

ここから言えることは、弥生系の人々は、日本在住の縄文人より古いタイプの人々で、縄文人は弥生系より新しいという人々かという逆転の結果が出ているのだ。


また、弥生系は胴長短足なのだが、学問の世界から言えば胴長短足は寒冷地の適応系なのである。

ところが、日本はご存知のようにそれほど寒冷地ではなく、九州は比較的温暖だ。

最近、中国の江南地方(台湾より南の沿岸部)の遺跡から発掘された人骨と、北部九州・山口・島根県の日本海沿岸にかけての遺跡から発掘された弥生系と言われる人骨の特徴がよく似ていたという研究成果が発表された。

日本人の縄文思想と稲作のルーツより引用

中国の南部は謎の多い地域である。現在でも少数民族の宝庫であり、分類されている民族は55もある。

また、日本人とよく似ていると言われているミャオ族(苗族)も中国南部、ベトナム、ラオス、タイなどの山岳内陸部にいるし、これらの人たちが日本に流れ着いたというのも納得できる。

苗(ミャオ)族の住む地域

中国南部でもなくても、長江付近の三星堆遺跡(さんせいたいいせき)も、かなり変わった文化を持っているし、謎だらけといってもいいアジア大陸南部は今後目を離せないだろう。

三星堆遺跡:四川省成都の長江文明  Copyright © Torikai Yukihiro, Japan. 2007. All Rights Reserved.

ハプログループ

さらに不思議な事はまだある。

ミトコンドリアDNAのハプログループの頻度が、日本、朝鮮半島、中国東北部でよく似ているというのは皆さん方もよく知っていることだと思う。

ところが、Y染色体DNAのハプログループを調べると、日本は朝鮮半島、中国とは違うグループであるという事が判明した。


ミトコンドリアDNAのハプログループは母の分布

Y染色体DNAのハプログループは父の分布である。

つまり、日本人の遺伝子を持つ女性の集団は日本、朝鮮半島、中国東北部に広がっているが、父の遺伝子を調べると、日本は他の地域とは関わりなく、独立して存在しているという事になる。

さてこの事は何を意味するのか。

渡来系弥生人の男女比

弥生時代、大量(あるいは少し)の渡来人が他所の地域からやって来たという推論が今の日本の主流の学説である。

それは了解するとして、その渡来人は男だったのか、女だったのかという事が大切になってくる。

男女とも均等に日本にやってきたとすれば、上記のような偏りは出にくいはずだ。

大量に弥生時代に日本にやってきたとされるが、日本は島国である。

当然船に乗ってやって来たのだが、そんなに簡単にやってこられるとは思えない。

実際に当時のわら船で大陸から日本に航海するという実験があったが、困難な様子が報道されていた。

つまり、日本にやってくるというのは肉体的に大変な事だったと言える。


推理

1.弥生系渡来人は男性主体で日本にやってきた場合。

まず子孫を増やすため、北九州に住んでいる縄文系の女性やそれ以外の倭人女性と結婚しただろう。

余談

縄文時代の人口だが縄文後期は16万人、縄文晩期は7万6千人まで減少したらしい。その理由として気候変動が挙げられるのだが、他にも病気等の理由がありそうだ。

そして水田が始まった弥生時代から徐々に人口が増えだした。その増えた人口は学者により様々であり100万人渡来説(埴原和郎氏)が有名だ。しかし現在では年平均50人から100人という数字が多数派である。

縄文時代は女性が多かったわけではない。男女の比率は今と変わらないはずだ。

となれば、もし渡来系男子が日本在住の女性たちと結婚したなら、縄文男性があぶれるはずだ。

普通なら女性の奪い合いが起こりそうだが、遺跡を見ても大きな争いはなかったようなので、平和的にそれは進行したのだろうか。

ここがまず不思議である。あぶれた縄文男性は一生独身だったのか。

それと、日本以外に男性のY染色体DNAグループがないということなので、渡来系男子は、地元で死に絶えたという事になる。

ここにも矛盾がある。

弥生時代、ある地域の男性が、大量にほとんど日本にやって来たとなれば、前住んでいた地域には男性の遺伝子は残らないので、現在の研究成果と一致する。

ところが、年間少しずつやって来たというのが正しいとされているので、もといた地域の男性のY染色体DNAグループはその地域に残っているはずだ。

長い間に少しづつやってくるのだから、何処かに痕跡があるはずだ。ところがその痕跡がないのである。

弥生系渡来人は男性主体で日本にやってきたというのは、一番信憑性がありそうなのだが、実はこの説は無理が多く受け入れがたいのだ。


2.弥生系渡来人達が、男女と同数でやって来た場合。

男女となれば夫婦か子連れだろう。何度もいうが日本にやってくるには海を渡らなければならない危険な旅である。

小さなわら船なら一度に4から5人乗るのが精一杯だろう。そんな冒険家族が沢山いたというのには無理がある。

ただ若い男女なら一か八かの冒険はするかもしれないので、ここはカップルでやって来たと仮定しよう。

そして日本に住み着いて、水田を作り暮らし始めた。まあ無理のない推論だが、ここでも男性のY染色体DNAグループが問題になってくる。

もといた場所に男性のY染色体DNAグループがなくならなければ、説に合わなくなってくる。

つまり、弥生時代にやってきた渡来人たちはある地域から根こそぎやって来たか、残っているその人々は、自然に滅んで死に絶えたか、皆殺しにあったということになる。

まあ、これから調査が進みアジアの何処かに、日本人と同じY染色体DNAグループが発見されれば、話は違ってくるのだが・・

実は、日本オリジナルY染色体DNAグループはわずかに確認されている場所がある。

それはチベット人や中近東の人たちである。

ただ、これは全く同じかというと親戚みたいなもので、遥か昔日本にやって来た集団が、チベットや中近東で枝分かれしたとされている。

さて、これらの事を含めて、矛盾のないただ一つの推論がある。

3.日本にやって来たのは、女性が殆どだった。

突拍子もない推理だが、実はこれが一番無理のない推理なのだ。

弥生時代、日本にドンドン女性だけがやって来たか、大陸に散らばった倭人たちが、その地域の女性を連れて根こそぎ日本にやったきたかも。

弥生系の人たちは中国大陸の戦火に追われて日本にやって来たという説が一般的なので、大陸で戦った倭人男性は、戦争でほとんど死に絶え、残った女性たちが、必死で日本にやって来た。

そうすれば、九州に女性が溢れかえった時代があるかもしれない。


九州は女性の国である。

邪馬台国の卑弥呼、トヨを始め、肥前肥後に存在していた土蜘蛛という種族の首長はほとんど女性である。

中国に梁書(りょうしょ)という歴史書に倭国の不思議な女人国のことが書かれている。

茨城県取手市にある縄文時代後期から晩期にかけての貝塚に100体以上の人骨を埋葬した土坑が発見された。この人骨を調べると男女比が2対1で女性が多かった。

福岡県の新町遺跡には、弥生系の墓と言われる支石墓に埋葬されていたのは縄文人だった。

日本の最高神は天照大神。女性である。


縄文人のキス

縄文の時代、他所の国から多くの船に乗った女性達が、日本にやって来た。

様子を見れば傷だらけで、戦火を逃れてやって来たという。

縄文の男性たちは、その女性を助け出し介抱する。

女性たちは、その静かな優しさに惹かれ異国の地、日本に住むことを決意する。

「もう心配しなくてもよい。ここは戦争もない平和な国だから」

北村一輝風の縄文の男性は、やって来た小西真奈美さん風の女性を抱きしめると、女性も縄文の人たちに身を委ねた。

そして、優しくキスをする。

その後、女性たちは一生懸命働き、水田を作り子孫を増やしていった・・・。


よく引用するのだがここでも言いたい。

「不可能なことがらを消去していくと、よしんばいかにあり得そうになくても、残ったものこそが真実である」白面の兵士より

シャーロック・ホームズ


参考文献
日本人は何処から来たのか
海部陽介 著 文藝春秋

倭人への道
中橋孝博 著 吉川弘文館

日本人になった祖先たち
DNAから解明するその多元的構造
篠田謙一 著 NHKブックス

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