飛魚をなぜ「あご」というのか
五島弁「あっぱよ」は漢字だった
http://artworks-inter.net/ebook/?p=2855
以前五島弁について書いた方言推理の第2弾である。
今回は飛び魚の「あご」である。
長崎にいると「あご出汁」というのをよく聞く。
世間でも人気のようだが、最近人気に陰りが出たという記事を読み憂慮している。
さてこの「あご」。長崎だけの方言ではない。
大雑把に言って九州や日本海側ではアゴの別名で呼ばれている。
まあ、魚の名前はかなり地域差があり、私も釣りをするのである程度わかる。
私が好んで釣る「クロ」は各地で呼び名が異なり、一般的な呼び名は「メジナ」という。
まだまだたくさんあるが、これも又方言と言っても良いのだろう。
まず一般的な解説を挙げる。
顎(あご)が落ちるほど美味しい
食べる時、硬いので顎を使う
飛魚を前から見ると、アゴが出ている
五島列島 情報発信ブログ
http://gotokanko510.blog.jp/archives/%E4%BA%94%E5%B3%B6%E5%BC%81.html
うーん
そのままで、ひねりもなにもない。「顎(あご)が落ちるほど美味しい」なんて聞いた事も言った事もない。
ネットを探していたら、もう一つ面白い説があった。
昔平戸の宣教師が、飛魚を見て「・・・agoo!」と叫んだ、から「アゴ」となったというものである。
飛魚の学名が「cypseluruns agoo agoo」という事から間違いないとおっしゃる方が多い。
まあ、西洋人が驚いて「agoo」というかどうかは不明である。
「オーマイゴッド」と言うかもしれないが「アゴー」とは言わないと思う。
この宣教師絶叫説には反対が多く、長崎で飛び魚をアゴというのをシーボルトが記録していて、学名に使ったというのが正解のようだ。
シーボルトがあじさいの学名に「お滝さん」から「オタクサ」と付けたのは超有名。
シーボルトは偉い学者かもしれないが、日本に愛人を娶り、置いてけぼりにして本国に帰ってしまうのは、私とすれば問題が多いと思うのだが。
やはり、方言のアゴのほうが先で学術名は後のようだ。
それでは本格的に謎の追求に入る。
といっても、まずはネットを検索するしか方法がない。
日本書紀や万葉集に阿児、阿古、安胡、網児とさまざまな表記がなされている。日本地名ルーツ辞典は「漁夫のことをアゴということから呼ばれたと考えられる」と説明していた。
産経WEST
https://www.sankei.com/west/news/130425/wst1304250086-n1.html
日本書紀や万葉集に出ているとなれば、そのルーツは思ったより古い。
万葉集時代という事は、漢字そのものに意味はなく、音読みを漢字に当てはめた万葉仮名の時代だ。
漁夫のことをアゴと古代読んでいたとすれば、網子(アゴ)から来ていると思われる。
網子(あみこ)とは、網元(網主)に従属してその指揮下にて漁業に携わる人。ウィキペディア
これは、家主と店子みたいな言い方と同じだ。親分、子分も同類だ。
しかし網子は江戸時代あたりの制度のようで、漁夫を阿児といっていた万葉時代と時代がかなり違うことが気にかかる。
まあ、古代漁夫をアゴとよんでいたのはわかったが、飛魚がアゴと呼ばれたとは書いていない。
漁夫=アゴ=トビウオのつながりが不明瞭なのだ。
様々な説
ネットを探すとけっこう説が有ることを発見した。
1.あごの話
http://www.kaiseiken.or.jp/column/index07.html
夏に大挙して沿岸にやってくるので、刺し網や定置網にトビウオが多数刺さった状態で網上げされることが多いので、これを「網の子」、「網子」、「あご」になったと言う説である。2.新説 なぜトビウオのことをアゴと呼ぶのか?
https://blogs.yahoo.co.jp/aima99hide/68442798.html1 もともとアゴとはトビウオの精子を指していた。
2 この地方の漁に参加した他地域の漁師が、「アゴが出た」「アゴだ」というのを聞いて、トビウオのことをアゴと呼ぶのだと勘違いした。
3 彼らが地元である長崎などに帰り、そこでトビウオをアゴと呼び始めた。3.トビウオのことを「あご」という由来を知りたい。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000230977参考資料2『日本料理由来事典 中』 p.197「とびうお(飛魚)」の説明中、
「九州ではアゴとも呼び、口が小さく、両あごがすこぶる短いところから、これはアゴナシの略称とみられる。」とある。
いずれも一理ある内容である。
「1.あごの話 網の子」は、無理のない説明のような気がするが、ユーチューブでアゴ漁のムービーを何本か見ても「刺し網や定置網にトビウオが多数刺さった状態で網上げされる」状態ではなかった。
アジやイワシと同じように、見事に水揚げされていて、トビウオが網の目に刺さっている状況を確認できなかった。
現代と古代では、網の種類も違うのでなんとも言えないが、アゴが「子供」という点には注意したい。
漁夫のことをアゴという
日本書紀や万葉集に阿児、阿古、安胡、網児とあり「漁夫のことをアゴという」とある。
調べてみると確かにあった。
おほみやの内うちまで聞きこゆ網引(あびきす)と網子(あご)ととのふる海人(あま)の呼よび声ごゑ 〔巻三・二三八〕 長意吉麻呂
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
網子(あご)とルビが振っている。地引網なのだろう。
地引網なら子どもたちも参加していただろう。
しかし、万葉集には漁夫をすべてアゴと詠んだ訳ではない。
1303 潜(かず)きする海人(あま)は告(の)れども海神(わたつみ)の心を得ねば見ゆといはなくに
潜水漁をする漁夫は呪文のことばを唱えるが 海神(わたつみ)許してくれぬので見えるわけにいかないよ
ここでは海人(あま)となっている。
もう一つ
7 1167;雑歌
朝入為等 礒尓吾見之 莫告藻乎 誰嶋之 白水郎可将苅
あさりすと 礒に我が見し なのりそを いづれの島の 海人か刈りけむ
この句では白水郎となっている。白水郎の「白水」は中国の地名で水にもぐることのじょうずな者がいたというところから漁師、海人(あま)の事を言う。
肥前国風土記には長崎五島の漁夫を白水郎と書いている。
「彼の白水郎は、馬・牛に富めり。(中略)此の嶋の白水郎は、容貌、隼人に似て、恆に騎射(つねにうまゆみ)を好み、其の言語は俗人(くにひと)に異なり。」
つまり、漁夫を常にアゴとは呼んでいなかったということだ。
地引網を引いている時の漁夫を(網子)アゴと呼んだのだろう。
「3.、口が小さく、両あごがすこぶる短いところから、これはアゴナシの略称とみられる」だが、トビウオは科学的に分類するとダツ目であり、ダツ亜目にはサンマ・トビウオ・サヨリなどいる。
みんな尖っている魚で、当然口も小さい。
ウィキペディアによると上下の顎は比較的短く、同じ長さであるが、稚魚期には下顎が突出している、という。
まず魚のアゴをじっと見たことがないし、アゴが短いと感じたこともない。
なのでこれは判断のしようがない。保留というところか。
さて「2.新説 アゴとはトビウオの精子」という説に引っかかった。
アゴを表記する漢字に、吾子、阿児、網児等がある。
これは、子供を表す。
しかも中国風である。特に頭につく阿の場合、「・・・ちゃん」という使い方をする。
いずれにしても、アゴは子供という可能性が高い。
なのでトビウオの精子をアゴと呼ぶのは正しい。
ここでトビウオの精子の話が出てくるかというと、トビウオの習性と漁に関係してくる。
現在は網で囲い込む漁が主流なのだが、検索で探すと「トビウオを網ですくって大興奮!」というページに出会う。
漁船の集魚灯に集まって飛び跳ねるトビウオを網ですくうという漁法である。
これをイベント化している地方は実に多い。
トビウオはすばしっこい魚で、いくら集魚灯をたいてもそう簡単に取れるわけではない。
これはトビウオが産卵のために岸によってくる季節限定で行われている。
トビウオの産卵
産卵期が近づいてくると、トビウオのオスとメスは別々の異なる環境で生活を送ります。
オスはメスより先に成熟して岸辺の藻が生い茂っている産卵場に到着して、メスが来るのを待ちます。
そして成熟したメスは、日没時に順次産卵場へやって来て産卵を行い、終わった個体は沖合に帰ってゆきます。
屋久島、種子島周辺は日本で有数なトビウオの産卵場で、産卵期はトビウオが大量に押し寄せ、周辺数十メートルの海は精液で白くなっています。屋久島周辺のトビウオミステリー
https://blog.sakama.tokyo/archives/1310
この事から、トビウオが網ですくえるほど集まるのは受精のためである。
つまり子供のために集まってくるのがトビウオなのである。
言い換えれば「アゴ」と「トビウオ」は、漁の時はワンセットだったのである。
つまり「トビウオ」といえば「アゴ」の時期だったという事になる。
古代、大々的な網漁が出来なかっので、トビウオを捕る時は「アゴ」の時期、つまり「トビウオ」=「アゴ」という関係がきっちり出来ているのだ。
これで謎は解けたと思うのだが、どうしても一つ引っかかるものがある。
それはアゴと呼ぶ地域が偏っていることだ。
アゴという地域
トビウオをアゴと呼ぶのは、日本海沿岸である。
長崎・福岡・島根・鳥取・能登あたりがトビウオをアゴと呼んでいる。
それ以外の地域は様々だ。
トビ(関西)、ウズ(三重)、ツバクロ(石川)、フルセン(紀州)、タチョ(富山)、マイオ(焼津) などである。
この地域差はなんだろう。
この地域とアゴの関係を推理する。
古代、万葉集の時代、朝鮮半島は大きく揺れ動いていた。さらに大和は中国を手本として一皮むけようとした時代である。
長崎(五島)・福岡・島根・鳥取・能登に共通しているものは渡来人である。
その時代、韓国はまだ形になっていない。時代で言えば新羅が台頭している時代である。
新羅は百済や伽椰と言葉が違っていたと言われている。
新羅語(しらぎご)は朝鮮語の直系の祖先であると推測される。ウィキペディア
その新羅人は日本海沿岸にやって来ている。
つまり、アゴという言葉は朝鮮系の新羅人と絡んでいる、と思う。
朝鮮人が驚いた時「アイゴー」と言う。
新羅人と中国は同盟を組んだ。
中国人は子供のことを阿子「アゴ」という。
どこでどう関係ができたのか推測できないが、実に怪しい。
これ以上、書けばとんでもない展開をしそうなので止めておく。
しかし、実に怪しいことは事実である。
忍者漁法に新羅人もびっくり
ちなみに中国語ではトビウオの事をフェイユィ、韓国語ではナルチというらしい。
全くアゴとは関係ない。
トビウオ漁は、刺網と定置網が水揚げ量の大部分を占める。伝統的漁法として、トビウオならではのものとして、飛翔するトビウオに対し皿を手裏剣のように投擲し、海に落ちたものを拾い集めるものがあるが、現代ではほとんど行われる事は無い。ウィキペディア
まさかこんな漁があったとは知らなかった。
大和人が海を飛んでいるトビウオを、皿を手裏剣のように叩き落とすのを新羅人が見た時、多分叫んだと思う。
「アイゴー!!!」
「アゴー!!!」
「アゴ」
大和人は、「アゴ」「アゴ」とお大騒ぎする新羅人をみて、新羅人はトビウオを「アゴ」と言うんだなと思っただろう。
さて真実はどれだろうか。