補陀落渡海と精霊船

明日からお盆が始まる。

そして8月15日は精霊流しだ。

家族の初盆の時の行事なのだが、私の家でも40年ほど前、婆さんの精霊船を出したことがあった。

今でもその時加勢をしてくれた友人たちと話をする事がある。爆竹をどれだけ鳴らしたかとか、途中でみよしが燃えたとか、担いでるやつの一人が海岸で海に落ちそうになったとかだ。
酒の席でその話が出れば、大爆笑になるのである。

精霊流し


例えば博多の山笠はみんなで担ぐことが博多っ子の思い出というが、長崎人は精霊流しを仲間と引いたことが思い出である。

そう思えば精霊流しはお祭りと同じなんだと思う。

2年ほど前精霊流しについて書いた文章がある。興味のある方はお読みください。

精霊流しの謎。「聖者の行進」はこうして始まった

精霊流しの謎。「聖者の行進」はこうして始まった
8月15日は精霊流しが行なわれる。長崎市を始め、長崎県内各地でお盆に行われる伝統行事である(ただし、県内でも海から遠い波佐見町等にはこの風習...

例えば一番先頭についてる「みよし」。「み‐よし」は「水-押し」で船首の事をいう。

ラッパ状のみよしの正式名が、カガミというのである。ガガイモがなまって、カガミになったとある。ガガイモの形状がラッパ状なのである。

精霊流しの原型は、長崎在住の中国人達が行った「彩舟流し」が原型と書いた。

そして1700年後半から、長崎で流行したらしい。

長崎にはおくんちがある。時代で言えば最初の始まりは1600年前半だと記録に残っている。そしておくんちはキリスト教徒を鎮圧するために長崎奉行・榊原飛騨守の肝煎りで始められたという。

私の推理だが、精霊流しも対キリスト教で意図的にはやらせた匂いがするのだ。

まあ、始まりはそうでも、長崎人の中には「精霊流し」が染み付いてしまった。

補陀落渡海

補陀落渡海(ふだらくとかい)という宗教的行為がある。

那智補陀洛山寺の補陀洛渡海舟

補陀落渡海(ふだらくとかい)は、日本の中世において行われた、自発的な捨身を行って民衆を先導する捨身行の形態である。

これは海に出て死にに行く行(ぎょう)なのである。

この行為の基本的な形態は、南方に臨む海岸から行者が渡海船に乗り込み、そのまま沖に出るというものである。その後、伴走船が沖まで曳航し、綱を切って見送る。場合によってはさらに108の石を身体に巻き付けて、行者の生還を防止する。

ただし江戸時代には、既に死んでいる人物の遺体(補陀洛山寺の住職の事例が知られている)を渡海船に乗せて水葬で葬るという形に変化する。最も有名なものは紀伊(和歌山県)の那智勝浦である。


補陀落(ふだらく)の原語は、チベット・ラサのポタラ宮の名の由来である古代サンスクリット語の「ポータラカ」である。

そして補陀落は華厳経によれば、観自在菩薩(観音菩薩)の浄土であるという。


精霊船の行き先は西方浄土(阿弥陀浄土)である。

補陀落渡海の行き先は「ポータラカ」で南方の浄土とされている。

ここで、海に向かう死者の船という点で補陀落渡海と精霊流しがリンクする。


補陀落渡海が有名な場所は紀伊(和歌山県)である。紀伊には日本の信仰の原点とも云われる熊野がある。

長崎の野母崎には「熊野から流れ着いた漁民が住み着いた」という伝説があり行者山もある。

長崎の野母崎と和歌山県の熊野はここで再びリンクしていく。


紀伊の国の本当の名前は「木国」であり、その由来は古代日本神話に登場するスサノオが関係している。

高天原を追い出されたスサノオは朝鮮半島に降り立つが、この地は違うといい日本に戻ってくる。

その際、スサノオと一緒に日本に来た息子の五十猛(イソタケル)は持っていた樹木の種を日本中に植えたとされている。そして林業が盛んな紀伊の国に祀られている。

さて長崎だが、島原の古名は五十猛(イソタケル)島という。

さらに長崎は別名「彼杵(そのき)」である。これは、彼方(遥か遠く)の木の国ともとれる。

長崎は山岳信仰が盛んで、山伏が沢山いたといわれている。

修験道とキリシタン 根井 浄 (著)という本があり、長崎でのキリスト教の布教と旧来の修験道の衝突が書いている。

これが第3,4のリンクだ。

海への祈り

いずれにしても、日本の信仰は神道だけでなく仏教や土着の宗教が入り混じっているということがわかるし、海の彼方に極楽浄土があると思われている。

ちなみに私の二人の父も海で死んでいる。

船に乗ったまま帰らぬ人となってしまった。

残された家族は、消えていった肉親が居るであろう海に向かって手を合わせるのだ。

海の国日本では、ただの迷信ではなく海に流されていった肉親の霊を弔う現実の悲しみが多く存在している。

補陀落渡海と精霊船を無理に謎にしようとしたのではない。

海に臨む地域では多分どこにでもある信仰である。

華やかな爆竹を鳴らしながら行われる精霊流しの季節になると、海に住んでいる肉親のことを思い出す。

漁村の墓は海の方を向けて建てられている。

長崎の墓

やはり海の彼方に極楽があるのだ。いやあると信じたほうが心が休まるのである。

8月は悲しみと諦めの季節である。そして秋の豊穣を望むのである。

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