金比羅山 謎の天孫降臨伝説を追え(7)

無凡山、祟嶽(たかだけ)と、その名前には深い意味があるのは判明した。しかし、その名前の由来からすれば、年代が新しすぎるのだ。

そこで残ったのが瓊杵山(にぎやま)という名前である。

この名前がかなり古い事は確実である。

瓊杵という名称は、長崎港の古名と関わりがある。

長崎の古い名称は数多く、「瓊杵田津(にぎたづ)」「玉杵名邑(たまきなむら)」「深津江」「瓊浪浦(たまなみのうら)」「深江浦」等が言い伝えられるという。

 

まず、これだけたくさんの名前があるという事自体が不思議である。

これはどんな状況下というと、複数の部族や集団が長崎に存在していたということである。

単一の部族なら、いろんな名前をつける理由がないからだ。まず、この事を頭に入れておく必要がある。

 

名前の由来を考える。

「深津江」「深江浦」は、長崎の港が奥深くまであったのだという事はわかる。

通常の港なら「津」だけでいいのだが、「深」というのは、思っているより、かなり内陸まで海が入り込んだ状況だ。現在平地の所はほとんど海岸だったのだろう。

次の「玉杵名邑(たまきなむら)」「瓊浪浦(たまなみのうら)」という呼び名が謎である。

玉杵、「瓊」も「玉」と読む。玉は今でも使うが、「瓊」はなじみがない。

デジタル大辞泉で「瓊」という文字を調べてみた。

デジタル大辞泉の解説

けい【瓊】[漢字項目] [音]ケイ(漢) [訓]たま に

1 たま。「瓊玉」 2 玉のように美しい。「瓊筵(けいえん)・瓊姿」 [難読]瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) に【×瓊】 玉。特に、赤く美しい玉。 「五百箇(いほつ)の御統(みすまる)の―の綸(を)を」〈神代紀・上〉 ぬ【×瓊】 玉。赤色の玉。 「―な音(と)ももゆらに、天(あめ)の真名井(まなゐ)に振りすすぎて」〈記・上〉

玉のように美しいという意味以外に「赤色の玉」という意味があることがわかった。

あまりにも漠然としているので、古代の赤い玉について調べてみたら下記のページを見つけた。

  http://www.pref.okayama.jp/kyoiku/kodai/saguru2-7.html

島根県花仙山(かせんざん)で産出される緑色の碧玉、赤い瑪瑙、白・透明の水晶を素材として、出雲(島根県東部)系の玉作集団によって創造された玉であり、「勾玉=ヒスイ」「(石製の)玉=緑」いう弥生時代までの伝統・既成概念を打ち破った玉の意識改革が起こります。

なかでも注目したいのが瑪瑙製勾玉であり、赤い玉は画期的と言えます。

「赤」は血や太陽の色で、復活・再生を意味し、縄文時代以降の漆製品や赤色顔料(朱・ベンガラ)にも多用されていました。  

なるほど。赤色の玉と言うのは貴重だったと言うことがわかった。

また、私たちは赤というのはごく当たり前に目にするが、古代赤色顔料は貴重品だったのである。

朱という色は硫化水銀という鉱物から取っていて、辰砂という。

辰砂(しんしゃ、cinnabar)は硫化水銀(II)(HgS)からなる鉱物である。別名に賢者の石、赤色硫化水銀、丹砂、朱砂などがある。日本では古来「丹(に)」と呼ばれた。水銀の重要な鉱石鉱物。

「瓊浪浦(たまなみのうら)」という長崎の古名に使われている「瓊」の文字の意味の中に、赤い玉という意味があった。

そして、この「瓊」という文字は、あの天孫降臨の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)にも使われていた。

更に瓊杵田津(にきたつ)という、長崎港の名前。

その関係がわかれば、天孫降臨伝説の謎が解けるはずである。

金比羅山 謎の天孫降臨伝説を追え(8)

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