隣の県のことは何にも知らない 長崎と佐賀の稲佐

最近好きな番組に、「秘密のケンミンショー」があります。

思いも寄らない、県民性や食習慣にびっくりしてしまうんです。

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今から20年ほど前、「いなさの謎」という文章を書きました。

http://freephoto.artworks-inter.net/book/novel/inasa/index.html

 

その頃は、パソコンもそれほど普及していなくて 当然インターネットも初期の段階でした。  

若い頃から、歴史が好きで、長崎市の稲佐に住んでいた僕は 「稲佐」を散々調べました。

当然図書館の本が頼りの調査です。

そして、得意満面で、「いなさの謎」というのを書き上げたのです。

ところが、このブログを書き始めて、再度いろいろ調べてみると 佐賀県に「稲佐」を見つけてびっくりしました。  

それもかなり有名らしく、知らなかったのは僕だけだったかもしれません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E4%BD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE ウィキペディアにもちゃんと載っていたんです。

長崎市の「稲佐」は新長埼年表(長埼文献社)によれば

貞観三年(861)この記録として「肥前国正六位稲佐神に従五位下を授けられる(三代実録)

「肥前古跡記によれば稲佐神の祭神は百済国聖明太子、

空海人唐の折、稲佐山に上って怪異あり寺を創して海蔵庵と号す」とあります。

ウィキペディアに載っている佐賀県杵島郡白石町(旧有明町)の稲佐神社(いなさじんじゃ)は

創祀年代は不詳であるが、社伝によると天地開闢の頃に五十猛命を祀ったという。

飛鳥時代に百済より阿佐王子が来朝し、この地に留まり居を定め、

稲佐大神とともに両親を合祀した。

阿佐王子が亡くなった後、阿佐王子も合祀された。

平安時代に入り、空海により稲佐泰平寺が開かれ、

その鎮守神として稲佐大明神が位置づけられ、

真言寺十六坊と呼ばれる一大霊所となった。

貞観3年(861年)8月24日、従五位下の神階を賜り、

仁和元年(885年)2月10日に従五位上に昇った(『三代実録』)。

長崎県の記述と、佐賀県の記述はそっくりです。

しかし、微妙に違うんですね。

もっと詳しく載っているページもありました。

 

稲佐神社 http://kamnavi.jp/it/tukusi/inasa.htm

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テレビと一緒で、僕たちは自分の県の事しか 知らないんだなーと 改めて思い知った出来事でした。  

長崎の稲佐と佐賀の稲佐。

五十猛命を祀った

稲佐大神とともに両親を合祀

阿佐王子も合祀された

稲佐大明神

固有名詞は佐賀のほうがしっかり書かれています。

長崎には稲佐神社というものは残っていません。  

さて、また調べることがふえました。  

 

Inasa-jinja

佐賀県杵島郡白石町辺田 稲佐神社        

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