金比羅山 謎の天孫降臨伝説を追え(10)

古事記の天孫降臨伝説は事実ではない。

神話である。 宇宙人を信じている人は別だが、一般的に日本人の祖先が天上から降りてきたというのは、事実と言うには無理がありすぎる。

しかし、事実ではないが真実が語られていると信じる。

古事記と神道を教えない学校は間違っている

この古事記は、日本人の古代歴史や成り立ちを書いている、一級の歴史書である。

しかし、古事記の話をし始めると、一部のインテリ共から軽くあしらわれてしまう。

これは世間が間違っている。

学校の歴史の授業では、この神話時代の話が全く出てこない。

何故かと言うと、先生が教えないし、教科書にもタイトルくらいしか出てこないのである。

日本を他の世界各国と比べた時、一番違うのは万世一系の天皇家の存在である。

古事記はこの天皇家の成り立ちを綴っている。

天皇の存在を理解できなければ、日本史はほとんど意味がなくなってしまうのだ。

そして、神道の話も出てこない。

天皇家と神道は、日本の精神のバックボーンであるのにである。

戦前の歴史学習書

じつは戦前までは、古事記をちゃんと教えていた。

ところが戦争に負けてアメリカ進駐軍が日本を占領した時、日本を骨抜きにしようというプログラムが発動されている。

その名をウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP )という。

これは戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画である。

そしてそのプログラムは今も形を変えて教育現場に生き続けている。

詳しい内容はWGIPで検索してほしいのだが、これにより古事記は現代の教科書から抹殺されてしまったのだ。

実に残念である。

 

話をもとに戻す。

古代、日本の各地に祖先神話があったと思う。

長崎の金比羅山もその一つだろう。

古事記の天孫降臨には、さまざまな固有名詞が出てくる。しかし、その固有名詞が天孫降臨伝説の謎になっているのだ。

神話で書かれている固有名詞で長崎と関係があるものを拾っていきたいと思う。

 

まずは瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)という名前である。

この名前は金比羅山の別名である、瓊杵(ニギ)山と重なる。

そして長崎港の古名である瓊の浦(タマノウラ)も「瓊」という字を使っている。

これにより、何らかの関係があると思われる。

それでは解説で瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を調べてみると

『古事記』では天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命、天邇岐志、国邇岐志、天日高日子、『日本書紀』では天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊、天津日高彦瓊瓊杵尊、彦火瓊瓊杵、火瓊瓊杵などと表記され、一般には瓊瓊杵尊や瓊々杵尊、邇邇芸命(ににぎのみこと)と書かれる。ウキペディア

とある。

気になるのは瓊瓊杵尊はさまざまな名前を持っている。

単純に考えれば、いろんな書物で書かれているということなのだが、もしかしたら様々な瓊瓊杵尊が存在していたからではないだろうか。

という事は複数の瓊瓊杵尊がいたと考えた方が自然である。

 

色んな名前の中で気がついたのは、「日」や「火」という文字が使われている事である。

「日」は太陽の事なのでわかるのだが、「火」というの気にかかる。

読みは「ヒ」である。  

長崎、佐賀、熊本は「肥の国」と呼ばれていた。

肥はあとから当てられた漢字で、火ノ国が妥当である。

なぜなら阿蘇山や雲仙など大きな火山がある地域だからだろう。

今でも熊本は火の国というキャッチフレーズを使っているのはいい例である。

火の君文化センターバス停

数あるニニギの名前で「彦火瓊瓊杵」「火瓊瓊杵」という呼び名は、「火の国」にぴったりなのだ。

古事記の中で、下界に降りなさいと指示したのが、天照大御神と高木神(高御産巣日神)となっている。

高木神(高御産巣日神 タカミムスビ)は別天津神の一柱となっている。つまり天孫族とは違う、別系統の偉い神様でニニギのおじいちゃんに当たる。

この高木神(高御産巣日神)を覚えていてほしい。

 

景行天皇九州巡幸の記述に島原に高来津座神がいた。景行天皇の家来の神代直(かみしろのあたい)を遣わすと、素直に降参する。

高来津座神とは雲仙岳に居をしめしている一族の長である。国津神という奴だ。国津神とは地方の豪族の首長のことである。

高木神と高来津座神。「たかき」という読み方が同じである事に注目してほしい。

高皇産霊神の正体

重要人物でありながら、いくら調べても正体不明なのが、この高皇産霊神である。(略) 高天原では天照大神を凌ぐほどの位置にいる。 実質的に高天原最高神と言ってもよいような存在である。

雲仙の「高来津座神」という地方の豪族が、天孫降臨の場面で登場するはずがないと、最初考えていた。

しかし、高木神=高来津座神と推理する人もWEB上では多いようで、考え直した。

 

古事記では、それほど重要ではない風にさらりと流されている雲仙。

景行天皇九州巡幸について、古事記には一切記されていない。

さらに景行天皇の実在性には疑問が出されている。景行天皇はあの有名なヤマトタケルの父である。

九州巡幸には「景行天皇が玉名郡の長緒浜(長洲町)から使者を肥前国高来郡に遣わした」と書かれている。

肥前国高来郡とは雲仙のある島原である。  玉名郡の長緒浜とは熊本である。県が違うのだが

島原から熊本までフェリーで渡っているから断言する。

二つの地域は思っているより近い。

そして、この近さは、熊本も関係しているという証なのだ。

 

金比羅山 謎の天孫降臨伝説を追え(11)

金比羅山 謎の天孫降臨伝説を追え(10)” に対して4件のコメントがあります。

  1. すなめり より:

    以前、熊本に住んでいたのですが、島原(雲仙岳)はお天気よければとてもよく見え、特に長洲の港からは非常に近く見え、存在感があります。

    こちらのHPでは、熊本方面からの島原(雲仙岳)の写真が紹介されています↓

    雲仙岳百景 http://kyushu.env.go.jp/nature/mat/unzen/point/kumamoto/index.html

  2. artworks より:

    コメントありがとうございます。文章では島原の港から熊本は見えないと書きましたが、後日島原に行った際、高台から熊本がはっきり見えました。当たり前ですよね。熊本からの雲仙も素晴らしい眺望だと、ご指摘で気づきました。再度調べなおしています。ありがとうございました。

  3. (*^^*) より:

    興味深く記事を拝見しました。
    島原からは熊本市内が、国見(旧南高来郡)からは長洲が、深江からは天草が、天気が特別良くなくても見えますよ。

    ちなみに、こちら島原半島では普賢さんは女山、阿蘇山を男山と昔から言います。
    岩戸神社という神社もひっそりとあります。国見にあったお城は鶴亀神社。島原半島も地名も面白いのが多いですよ。(城下(島原市内)にはあまり残っていません)
    なんだか神話の世界に繋がりそうですね。

  4. artworks より:

    コメントありがとうございます。ご指摘ありがとうございます。以前フェリーで熊本に行った折、船から熊本がなかなか見えず遠いというイメージを抱いたのが文章の真意でした。島原は古代九州の中心地だったと信じています。遺跡が見つかれば一番いいんですが。

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