金比羅山 謎の天孫降臨伝説を追え(10)

古事記の天孫降臨伝説は事実ではない。

神話である。 宇宙人を信じている人は別だが、一般的に日本人の祖先が天上から降りてきたというのは、事実と言うには無理がありすぎる。

しかし、事実ではないが真実が語られていると信じる。

古代、日本の各地に祖先神話があったと思う。

長崎の金比羅山もその一つだろう。

古事記の天孫降臨には、さまざまな固有名詞が出てくる。

しかし、その固有名詞が天孫降臨伝説の謎になっているのだ。

神話で書かれている固有名詞で長崎と関係があるものを拾っていきたいと思う。

まずは瓊瓊杵尊という名前である。

瓊杵山と重なる。

『古事記』では天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命、天邇岐志、国邇岐志、天日高日子、『日本書紀』では天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊、天津日高彦瓊瓊杵尊、彦火瓊瓊杵、火瓊瓊杵などと表記され、一般には瓊瓊杵尊や瓊々杵尊、邇邇芸命(ににぎのみこと)と書かれる。ウキペディア

瓊瓊杵尊はさまざまな名前を付けられている。

という事は複数の瓊瓊杵尊がいたと考えた方が自然ではないだろうか。

色んな名前の中で気がついたのは、「日」や「火」という文字が使われている事である。

「日」は太陽の事なのでわかるのだが、「火」というの気にかかる。

読みは「ヒ」である。  

長崎、佐賀、熊本は「肥の国」と呼ばれていた。

肥はあとから当てられた漢字で、火ノ国が妥当である。

今でも熊本は火の国というキャッチフレーズを使っている。

阿蘇山や雲仙など大きな火山がある地域だからだろう。

「彦火瓊瓊杵」「火瓊瓊杵」という呼び名は、「火の国」にぴったりなのだ。

古事記の中で、下界に降りなさいと指示したのが、天照大御神と高木神(高御産巣日神)となっている。

高木神(高御産巣日神)だが、長崎ではなく島原の伝説がある。

景行天皇九州巡幸の記述に島原に高来津座神がいたとある。

景行天皇の家来の神代直(かみしろのあたい)を遣わすと、素直に降参したとある。

高来津座神とは雲仙岳に居をしめしている一族の長である。

国津神という奴だ。

景行天皇の話しは、当然神話の時代よりもかなり後の話であるが、神話は現実の事実を、何らかの形で繁栄されていると思う。  

高木神と高来津座神。

「たかき」という音が同じである。

高皇産霊神の正体

http://www.geocities.jp/mb1527/N3-09-9takamimusubi.html

高皇産霊神の正体 高木神(高皇産霊神)は古事記の中では重要人物であるが、記述が少なく、古代史の復元に於いて、おもな人物の出自はほとんど判明した。

しかし、重要人物でありながら、いくら調べても正体不明なのが、この高皇産霊神である。

古代史を復元する過程で、素盞嗚尊が北九州を統一する時にいきなり登場してくるのである。

北九州の豪族の一人ではあると思うが、高天原では天照大神を凌ぐほどの位置にいる。 実質的に高天原最高神と言ってもよいような存在である。

地方の神社にもよく祭られているが、その実態はなかなかわからない。

古事記では天御中主神・神皇産霊神と共に造化三神を形成している。

ここでは、この高皇産霊神の正体をわかる範囲で推定してみる。

この人の説によると「徐福」がその正体ではないかといっている。

雲仙の「高来津座神」という地方の豪族が、天孫降臨の場面で登場するはずがないと、最初考えていた。

しかし、高木神=高来津座神と推理する人もWEB上では多いようで、考え直した。

僕は長崎市内生れなので、島原は田舎という感覚がその心理にあったのだろう。

島原には何度も行っているが、有明海沿線の海をみながらのドライブである。

地元が重要な場所だったという我田引水の理論は、一番避けたいとこだ。

もう少し冷静にクールに謎解きに入るとする。

古事記では、それほど重要ではない風にさらりと流されている雲仙。

重要な事実がある。

景行天皇九州巡幸について、古事記には一切記されていない。

さらに景行天皇の実在性には疑問が出されている。

景行天皇はあの有名なヤマトタケルの父という事だ。

それから逆算すると、景行天皇が存在していたのは4世紀前半だと仮定できる。

「景行天皇が玉名郡の長緒浜(長洲町)から使者を肥前国高来郡に遣わした」そう書かれている。

肥前国高来郡とは雲仙のある島原である。  

雲仙の温泉神社の資料。 神代の鎮座と称す。

歳月不明なれども来歴頗る古し。

肥前風土記に昔者纏向の日代宮御宇天皇(景行天皇12年能襲御親征の時)肥後国玉名郡長渚浜之行宮に在りて、此の郡の山を覧て日く。

「彼の山之形、別島に似たり。陸に属るの山か、別在の島か、朕之を知らまく欲りす。

「仍て神大野宿禰に勅して遣はして之を看せしむ。往いて此の郡に致れば媛に人有り迎来りて日く「僕者此の山の神、名は高来津座、天皇の使の来るを聞き迎え奉る而巳」因って高来の郡と曰ふ。筑紫国魂神社記に是国魂の神、高来津坐神作り而現耳。  

難しいが、書いている事はなんとなくわかる。

しかし、ここではっきり言うと、島原から熊本は見えない。

島原から熊本までフェリーで渡っているから断言する。

二つの地域は意外と遠い。

(これは、港からである。もちろん高所(山頂)から天気の良い日に見渡せば、見えるだろう。

熊本から島原をみて、あれは何だという件がおかしいという事である。

もちろん総てが事実だとは思ってはいないが、作り話にしてももう少しうまく作っても良いのではないかという疑問だ)

という事は、景行天皇九州巡幸に書かれている事はでたらめか適当だという事になる。

これを記録した人物は、現地をみた事がないのだ。

もう一つ可能性がある。  

大昔は、島原と熊本はもっと近かったという事だ。    

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コメント

  1. すなめり より:

    以前、熊本に住んでいたのですが、島原(雲仙岳)はお天気よければとてもよく見え、特に長洲の港からは非常に近く見え、存在感があります。

    こちらのHPでは、熊本方面からの島原(雲仙岳)の写真が紹介されています↓

    雲仙岳百景 http://kyushu.env.go.jp/nature/mat/unzen/point/kumamoto/index.html

  2. artworks より:

    コメントありがとうございます。文章では島原の港から熊本は見えないと書きましたが、後日島原に行った際、高台から熊本がはっきり見えました。当たり前ですよね。熊本からの雲仙も素晴らしい眺望だと、ご指摘で気づきました。再度調べなおしています。ありがとうございました。

  3. (*^^*) より:

    興味深く記事を拝見しました。
    島原からは熊本市内が、国見(旧南高来郡)からは長洲が、深江からは天草が、天気が特別良くなくても見えますよ。

    ちなみに、こちら島原半島では普賢さんは女山、阿蘇山を男山と昔から言います。
    岩戸神社という神社もひっそりとあります。国見にあったお城は鶴亀神社。島原半島も地名も面白いのが多いですよ。(城下(島原市内)にはあまり残っていません)
    なんだか神話の世界に繋がりそうですね。

  4. artworks より:

    コメントありがとうございます。ご指摘ありがとうございます。以前フェリーで熊本に行った折、船から熊本がなかなか見えず遠いというイメージを抱いたのが文章の真意でした。島原は古代九州の中心地だったと信じています。遺跡が見つかれば一番いいんですが。