金比羅山 謎の天孫降臨伝説を追え(11)

長崎の金比羅山の話から、だいぶ地域が移動しているが、ここの話しはとても重要だという気がしているので、調査を続ける。

 

熊本県玉名と長崎県島原の話である。

昔から疑問があったのが、肥前肥後という言い方である。

肥前(長崎・佐賀) 肥後(熊本)は有明海を挟んでいる。

この距離は地図で見れば一目瞭然で、肥前肥後の間に筑紫平野が入っている。

肥前と肥後は、別の地域と考えた方が自然ではないか。

分断しているのにかかわらず、肥前肥後は一つの肥国として捉えられているのは何故だろうか。

 

ウィキペディアでは火国・肥国(ひのくに)は、令制国以前に存在した国の一つと書いている。ひのくにの文字を火国・肥国と二つ書いているのは、どちらか判らないからである。

古事記の国産み神話では、

次生、筑紫島。此島亦、身一而、有面四。面毎有名。故、筑紫国謂、白日別。豊国、言、豊日別。肥国、言、建日向日豊久士比泥別。熊曾国、言、建日別。

とある。

ここには肥国は「建日向日豊久士比泥別」と書かれている。

正確な判読は難しいが、建日向日と書かれている部分を推測すれば、建日という場所が一つ、向日という場所が一つある。どちらかが肥前で、どちらかが肥後なのである。

その次は豊久士比泥別だある。

この文字は天孫降臨で降りた場所にも、同じように記されている。

瓊瓊杵尊は「筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)に天降った」という。

この「久士」だが「奇し」と訳される場合が多い。不思議なという意味だろう。

とすれば、豊久士比泥別は、豊かな不思議な泥で分けられてると解釈される。

豊かな不思議な泥とは干潟のことだろう。

となれば、肥前肥後の肥は、干潟の干であろう。

つまり古代では干国だったのだ。

 

この「干」という文字だが、現代では

■ほす、かわかす(水分・湿気を取り除くために、日光・風などにあてる)
■「ひる(かわく)」(同意語:乾)(例:干潮、干物)
■「岸」、「みぎわ(海・湖などの水の、陸地と接している所)」

という意味だが、本来は象形文字で、「先がふたまたになっている武器」の象形から、「おかす」、「ふせぐ」を意味する「干」という漢字が成り立ったという。

なので、さからう、そむく(目上の人の考え・命令などに従わずに反抗したり反対したりする)(例:干犯)や「防ぐ」「たて」(同意語:盾)(例:干戈)でも使われている。

となれば、隠されている意味で、肥前は土蜘蛛、肥後は熊襲、隼人の地域なので、反抗している地域としていたのかも知れない。

建日、向日は干潟で分けられている場所なのだ。

干潟は海なのだが、潮が引けば、まるで地続きのように思えたのかも知れない。

1-8b

もしかしたら、昔は島原と熊本、玉名は潮が引いた時、つながっていたのかも知れないと思う。

有明

「有明海」という呼称は実は明治も終わり頃からのもの(中略)

陰暦16日以後「月が空に残っていながら夜が明けること」、「広く夜明けを言う」とあり、満月の時に月が空に残りながら夜が明ける、つまりは夜が明けている状態を「有明」と呼ぶ

雄大で、素晴らしい名前である。太陽と月が空に同席している不思議な光景を言い表しているのだ。

そして、太陽と月となれば、古事記にある、天照大御神と月読(つきよみ、つくよみ)命が登場している事になるのである。

「ちくし」はその昔「つくし」と呼ばれていたとある。

つくしとは月読命の事ではないか。

「つくし」と「つくよみ」 語呂合わせだといわれればそれまでだが、筑紫の両サイドにあるのが肥の国である。

肥の国は火の国である。そして日の国でもある。

日は天照の事だ。 ここに太陽と月がいる。有明とはそんな光景をも言い表している。

 

長崎の雲仙と熊本の阿蘇山は大噴火をたびたび起こしている。  

阿蘇山の噴火の規模は大きく、9万年前の巨大カルデラ噴火による噴出物は600km3(ほぼ富士山の山体全部の大きさ)以上に達し、火砕流は九州の半分を覆ったと推定されている、とある。 さらに主に中岳を中心に6世紀ころから頻繁な活動が記録されており、日常的に土砂噴出、赤熱現象、噴火が観測されている。

「日本書紀」の天武七年(六七九)十二月の条によると、この月、筑紫の国に大地震があり、幅六メートル、長さ九キロメートルにわたり地割 れが発生し、山崩れにより多くの家屋が倒壊したと記述されている。

ここでいう筑紫とは古代九州の筑前・筑後をさすものである。

記録に残っている大噴火以外にも多数の噴火があった事は皆さんも了解していただけるだろう。

この二つの火山活動で、有明の海は形を変えていったのは事実である。

 

まあ具体的な島や陸地で繋がっていなくても、古代の人たちは、肥前肥後を1つの塊と考えていた事は間違いない。

ひとつの集団が、有明海を挟んで支配していたのは間違いないだろう。

なんだか、真相の核心の姿が見えてきたような気がする。

 

金比羅山 謎の天孫降臨伝説を追え(12)

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