邪馬台国は「徐福の道教」の国だったのか?

阿蘇山付近の野焼き

阿蘇山付近の野焼き photo by Takemura

 

僕が追い求めているのは「火の国」で 邪馬台国や卑弥呼ではありませんが どうしても、そのあたりは避けてとおれないようです。  

僕は、考古学を専攻した事もなく、歴史学者でもありませんので 倭人伝や古事記、日本書紀を読み解く力もありません。

ただ、九州は地元ですから色んなところを撮影してきました。

つまり、現場を歩いてきた事があるという自負があります。

それだけが、他の方と違うのでしょう。  

 

大好きな邪馬台国の話の中に、 卑弥呼が鬼道を使うという記述がありました。

「鬼道」というイメージは、シャーマンの妖術という取り方が一般的ですが 魏志倭人伝の人は、鬼道と言う言葉を使いました。

つまり、卑弥呼のやっていることが 自分の国にある道教の「鬼道」という事をわかったのだと思います。

 

道教というのは下記のとおり、中国古来の宗教です。  

ここからが僕の推論です。

卑弥呼は、道教をベースにした宗教体系を持っていたのではないかと思うのです。

一般的には、「鬼道」という言葉から原始的な呪術国家という意見が多いのですが 僕は逆に「道教」をベースにした、精神的な基盤を持つ先進国というイメージを持っています。

 

道教の起源 どのようにして現在のような宗教的思想体系になったのか、ほとんど不明である。

道教の発生は、中国古来の巫術もしくは鬼道の教、不老長生を求める神仙思想を基盤としている。

ウィキペディア

道教

道教

 

道教は古代の原始巫術、秦の神仙学、漢の黄老学の3つを基礎に後漢時代に成立した。

巫術と医術まじないによる病気なおし。

原始巫術は殷時代、盛んに行われていた。

巫術を業とする巫師は、鬼、神の力を借りて、神がかりして占いや医術を行った。 鬼神の祟り、祖先の影響などが災いして病気がおこると考えられていた。 巫師はまた、按摩、鍼灸、漢方薬を使って治療していたことが、文献にある。

このことから古代巫と医は不可分であったことがわかる。

 

道教とは

 

卑弥呼と道教につながりはあるのでしょうか。

邪馬台国の回りにも国はあって男の王様がいるんですが 邪馬台国だけ女王の国です。

男の王様の国は、現実的な武力を持っているということです。

つまり軍事政権ということです。

 

しかし、女王の場合は精神的な、象徴としての代表です。

邪馬台国は大きな国のようです。

その国をまとめるのに 宗教を使ったという事だと思います。

魏志倭人伝に当時の倭人の風俗の記述がありますが

 

長命で、百歳や九十、八十歳の者もいる。

女は慎み深く嫉妬しない。

盗みはなく、訴訟も少ない。

法を犯した場合、軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにする。

宗族には尊卑の序列があり、上のもののいいつけはよく守られる。

 

上記の文は、整然とした規律のある組織である事を示しています。

さらに、何でもかんでも占いを用いるのではなく

「特別なことをする時は骨を焼き、割れ目を見て吉凶を占う。」とあります。

 

つまり、占いは特別の時だけということです。

卜骨

卜骨

さらに「長命で、百歳や九十、八十歳の者もいる。」という文ですが 当時の寿命を考えれば、怪しいのですが 「不老不死」を目指す道教の巫師は、按摩、鍼灸、漢方薬を使って治療しますので 老人医療は進んでいたのだと思われます。

その結果、老人たちも多くいたという事になります。

まるで、医療の進んだ日本のようですね。

 

さて、卑弥呼と「道教」の接点ですが 実は、あの有名な「徐福伝説」が日本にあります。

「徐福」は不老不死の薬を求めて日本にやってきたのです。

そして「道教」の教えをその地域に残していったのです。

この話は、また後で調べてみます。

 

中国道教

コメントを残す