蓬莱(ほうらい)山は雲仙
島原港と普賢岳 PHOTO BY TAKEMURA
佐賀県佐賀市に、徐福に関する伝承が残されています。
伝承のある地には、吉野ヶ里遺跡があります。
更に 徐福が逗留したとの伝承が残る佐賀市金立(きんりゅう)山には、徐福が発見したとされる「フロフキ(名前の由来は不老不死か?)」という植物が自生する。
フロフキは、カンアオイ(寒葵)の方言名で、金立地区では、その昔、根や葉を咳止めとして利用していたという。
という伝承があります。
司馬遷の『史記』の巻百十八『淮南衝山列伝』によると、秦の始皇帝に、「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て王となり戻らなかったとの記述がある。
ともあります。
この平原広沢(広い平野と湿地)とは、九州地方を見れば 干潟で有名な、有明海沿岸をもつ、筑紫平野しかありません。
色んな状況証拠があり 地理的に見ても、この地に徐福一族が住み着いたと思われます。
そしてここからが今回の核心です。
徐福は、東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬を捜し求めてきたという話です。
この筑紫平野は、南東を耳納山地・筑肥山地、北西部を脊振山地、北東を古処山、馬見山などに囲まれています。
しかし、これらの山々に霊山の面影はありません。
古代中国で東の海上にある仙人が住むといわれている山。
蓬莱山、蓬莱島、蓬莱仙島。 四霊の一体である霊亀の背中の上に存在するとも言われている。
その山は、ずばり「雲仙」です。
「雲仙」は島原という地にあります。
グーグルの地図で見ればよくわかりますが 亀のような半島に、どんと聳え立つ火山です。
肥前風土記には高来峰として雲仙が登場しています。
高来(こうらい)と蓬莱(ほうらい)
たんに文字が似ているだけではありません。
色んな状況証拠があるんです。
「雲仙」という地名は、徳川時代に文化人がつけたとありますが 「雲仙」という名前には、まさに「道教」のエッセンスが詰まっています。
徐福の不老不死とは「道教」の基本教義です。
ただの絵空事ではなく、その不老不死には、医学が含まれているのです。
「雲仙」の温泉はとても有名です。 温泉は万病に効く命のお湯です。
霊山であり、命の山、それが雲仙なのです。
このことから、色んな謎が解けていきます。
その話は、また次の話で・・。
大変興味深い話に感嘆しました。雲仙市国見町出身の者です。
雲仙の地名に関して私が聞いたところでは、雲仙はもともと「温泉」と書いて「うんぜん」と読んでいたものを、うんぜんおんせんを感じで表記した場合に紛らわしいので「雲仙」と当て字をしたと聞いております。
但し、そのような地名を付けるということは、その土地にそういう概念が存在したからで、古くから雲仙が霊山として崇められていたのは事実でもあります。
私の実家のある国見町には五万長者の伝説があり、古代はこの地で製鉄が盛んで、この五万長者を中心とする勢力が新羅と協力し対馬を責めたという言い伝えもあります。
五万長者があった近くには「宮田」という豪族の私有地などに広く使われたとされる地名もあり、国見町は割と古い歴史のある町なのではと思っております。
文章が長くなってすいません。
コメントありがとうございます。 雲仙はやはり重要な山なのは間違いありません。幻の邪馬台国の舞台が雲仙なのも、おなじ感覚だと思われます。もう少し物的証拠があると信憑性があがるのでしょうが、研究不足で、現在は推論の域を出ていないのも事実です。これからも雲仙を追って生きたいと思います。貴重なご意見ありがとうございました。
こんにちは。
「日月五峰図」の事を自分のブログで載せたく検索していて、こちらにたどり着きました。
五島列島の文字に驚き読ませていただきました。実は、五島は父が単身赴任していた所なんです。
「日月・・・」と「五島」が結びつくなんて思いもよらず、失礼を承知でお願いしようと思います。こちらの文面を私のブログに載させていただきたいのですが?いかがでしょうか?
よろしくお願いいたします。
稚拙なブログですが、お読みいただいてありがとうございます。
掲載に関しては何の問題もありません。
ご自由に掲載して下さい。
ありがとうございます!
「太陽を抱く月」という韓国ドラマでもテーマになっており、〇HKでも放送されるかもしれないと噂されています。
ご好意に甘えて、「日月五峰図」記事全文を掲載させていただきます。