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くんちの真実 白ドッポの正体

異説か真実か!誰も触れなかった真の長崎の姿を検証する。NO,10

くんち

くんちの事を悪くいうわけではないがくんちの時期が近づくと憂鬱になる。

それはあまりにも諏訪神社の「くんち」をマスコミが美化しすぎるからだ。

「長崎人の心意気」とか「日本三大祭りの1つ」などとテレビ、ラジオ、新聞が一斉に騒ぎだすのも、眉唾物の雰囲気がしてどこか胡散臭く感じられるのは僕だけだろうか。

くんち賛美の言葉は飛び交うが、批判めいた意見がどこからも出てこない。

これ自体が普通ではない。

お祭りだから細かいことに目くじらを立てることでもないのかもしれないが、僕が仕事でくんちの撮影をしていた時だ。

朝早くから始まった奉納踊りは中盤にさしかかり日差しが強くなっていた。

10月といえども秋という風情はなく夏を思わせる日差しだった。

桟敷の前列に高齢のご夫婦が照りつける日差しにたまりかねて、ハンカチを頭に乗せて日差しを避けようとした。

その時である。

白ドッポと呼ばれる連中がいきなり高齢のご夫婦を怒鳴りつけたりである。

「神前だ。ハンカチとれ」と。

老人夫婦は最初なにがあったのかわからなかったらしく、きょとんとした様子だったが口汚いののしりが自分に向けられていることをしり、そしてハンカチをかぶっていることがその原因であるということをわかったらしく、急いでハンカチをとったのだ。

その 白ドッポは、さも当然という傲慢な態度で周りの桟敷席をにらみつけていた。

その時に僕は激しい怒りを感じたのだ。

僕も生粋の長崎人である。

白ドッポが何者であるか位は知っている。

その時までは、遊び人を気取った、お祭りの狂言回しぐらいしか思っていなかった。

しかし、間近でその無礼さを知った時、はっきりとこのお祭りの胡散臭さを感じ取ったのだった。

白ドッポ組の語源はとっぽ袖を着ていた連中のことなのだが、この「とっぽ」といのは、 こんな意味がある。

とっぽ・い 形口 1頓智があり利を見るに敏だ、抜け目がないなどの意でいう、盗人・てきや仲間の隠語。
2すばしこい、大きい、生意気だなどの意でいう、不良仲間の隠語。
3ずるい、図々しいなどの意でいう俗語。
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) Shogakukan 1988.国語大辞典(新装版)小学館 1988

白ドッポについて調べてみると、元々彼ら達は無宿無頼の連中であった。

お祭りにかこつけて悪さをする嫌われ者だったのだ。

1865年に奉行所から「諏訪神事に舞妓を裸体をなすを禁ず。」のおふれが出された。

慶応元年の事で幕府解体の時期である。

当時の奉納踊りは町家の娘さんが主だった。

その踊りを冷やかし「裸になれ」と面白がっていったのだ。

あまりの無礼さに奉行所が逮捕命令を出したのだった。

これはてきめんだったらしい。

まだある。

くんちの踊りの伴奏をつとめる地方(じかた)は、石畳の上で直にすわる。

このことを長崎人は伝統とか神前に対する畏敬の念だとか、自慢げに話すが これは伝統ではない。

これも白ドッポの嫌がらせだったのだ。

しかし、よく考えてほしい。なぜ町民の祭りに奉行所がおふれを出さなくてはならなかったのか。
祭りを取り仕切る諏訪神社も、祭りの実行委員会である世話役達も白ドッポたちに何も言わなかったのであろうか。

最大の原因は諏訪神社の成り立ちにある。

実は諏訪神社のくんちはキリシタン禁止政策の一環として、長崎奉行が諏訪の神事を長崎一般の神事と認定した。

つまり、それまでは町の氏子の人たちのお祭りだったのが、政府公認で盛大にやらなければならなかった。

つまり諏訪神社は市民の自発的な尊敬や敬慕の念で長崎の中心になったのではなく、国策の一環としてその地位を築いたのだ。

そしてこの祭りは、元々が派手にやることを命令されていたのだ。

ここにすべての源があった。

幕府の政策である「おくんち」は、お祭りの根本精神である敬神崇祖の精神よりも対キリシタン政策という側面が強く、更にもうひとつ日本唯一の貿易港としての外国に対しての、外交的な見栄の部分もあり、また幕府のお墨付きを守るために、盛大に、なおかつ無事にお祭りを遂行しなければならなかったのだ。

そこに白ドッポにつけ込まれる要因があった。

多少の無理難題は目をつむるのも、白ドッポと祭り中に騒ぎを起こしたくなかったのだろう。

過去の長崎において、白ドッポ組と商店の店主達の図式は、今で言う企業と総会屋の関係にあったのではないかと憶測されるのだ。

最初書いたように「眉唾物の雰囲気がしてどこか胡散臭く感じられる」原因は、お祭りの基本姿勢が神事ではなく、イベント型であった事にあった。

つまり「祓いたまえ、清めたまえ」がなかったのだ。

これなら現在のシステムである桟敷と称して枡席を作り有料で観客席を作っていることも理解できる。

長坂を無料開放しているというが、実際は白ドッポ組の専用座席であったとも思われる。

お祭りの根本は敬神崇祖の精神だという僕の先入観が様々のくんちのあり方とズレを生じていたのだ。

現在のくんちも長崎県が観光資源として活用していく方針ならば、マスコミが一役買うのも理解できる。

だが僕みたいに思う人間もいることだけは忘れないでほしい。

祭りの基本は敬神にあるのが正しい。
諏訪神社にまつられている神々はどう思っているのだろうか。

きっと苦々しく思っているのではなかろうか。


著 竹村倉二
■新長崎伝説 長崎のミニコミ月刊誌「ながさきプレス」連載の短編

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