ここが原点 唐人屋敷
唐人屋敷 アートワークスの版権フリー写真素材
中華街を山手の方に歩くと、広馬場と書かれた大きな門がある。
この地域の地名である。
観光用に作られた物だが、さらに登っていくと唐人屋敷の門がある。
これもまた新しい物だ。
唐人屋敷は歴史あるものなんだが、どうも演出用の建造物が多すぎて、じげもんの私も苦笑いする。
観光のために作っていて悪いことではないんだが、なんだか微妙だ。
1688年長崎郊外にある十善寺郷に幕府が所有する御薬園の土地で唐人屋敷の建設に着手し、翌年完成した。広さは約9,400坪に及び、2,000人程度の収容能力をもつ。現在の長崎市館内町の地である。
周囲は塀と堀で囲まれ、大門の脇には番所が設けられ、出入りを監視した。
ただ出島のオランダ人が厳重に監視されたのに比べ、中国人は比較的自由に出入りが許された。
土人堂
古い市場の先に土人堂がある。
小さな建物だが、まさに中国文化の遺跡である。
土神とは土地や家を守り、豊作の神様として古くから中国で信仰されてきた神様である。
長崎の墓にはこの土神が必ず祀られている。
中国人の影響だろう。
天后堂
天后堂航海安全の神様・天后聖母(媽祖)と財神護国救民の神・関帝を併祀するお堂である。
天后聖母(媽祖)と関帝は中国のお堂の定番である。
順風耳、千里眼の像
関帝の像
中国の文化は、長崎人の文化のベースになっている。精霊流しも中国の行事から来ている。
ペーロンもそうである。
ちゃんぽんも皿うどんも、その影響は大だ。
国籍は違っても、ともに暮らしてきた証である。
観光とすればボリュームはないが、時間があったら尋ねて欲しい。