朝日小学校
この小学校は古い。
大正6.10.2 朝日尋常小学校として創立とある。
原子爆弾により、職員数名負傷。14教室,宿直室及び小使室倒壊,新築木造2階建6教室大破,鉄筋校舎内部施設大破。
9月の始業式に集まった児童100名と記録されている。ここにも戦争の爪痕があったわけである。
校歌は覚えているし最後まで歌える。
「たまのうらわにそそりたつ 稲佐の山のゆるぎなき
雄々しき姿あおぎみて 学びの道に勇むかな」
人間の記憶というのは不思議なもので、最近だから覚えているというわけではないらしい。
先日後輩と飲んでいたら、「たくしま」さんという文房具店の話になった。
確かに酒屋さんの手前にあった。たしかショウウィンドウに顕微鏡があったようで、その影響で小学生の時にほしかったものの一つが顕微鏡だった。
もう一つ欲しかったのが天体望遠鏡だ。これは大人になって、子供たちのために買った。セットして子供たちに月を見せたのだが、あんまり感動しなくてがっかりした覚えがある。
この酒屋さんは昔からあった。
表札だけは昔と同じようだ。
当時の教室での写真。たしか小学校4年生くらいか。
木の机や壁の絵。こんな感じだったんだと改めて思う。
最近児童数が少なくなったのでなくなってしまうという話を聞いた。
稲佐地区の再開発は伊藤一長市長が生きていたら、もっと真剣にやってくれたんではないかと、今でも思う。
稲佐を含め対岸地区は、市の中心部にとても近い。斜面で道が狭いという旧住宅地特有の欠点があるが、地の利を活かした再開発だけが、朝日小学校の児童を増やせる方法である。
一つ提案がある。
長崎の対岸地区は、ロシア人、中国人などの外人さん達で賑わった場所である。
平戸小屋という地名も、江戸時代、平戸藩の侍たちが住んでいたから付いた町名だ。
なので、今後長崎で移民政策が進んできた場合、東南アジア系の人たちの居住区にしてはどうだろうか。
古い家が多いので、安価な家賃が望めるし、まとまって住んでもらえたら治安維持にも都合がいい。
若い人たちが多いので、階段もそれほど苦にならないだろう。
街の中心にも近いし、何より眺望がいい。
ぜひとも、市議、市長にこ、の再開発を真剣に考えてほしいと切に願っている。