長崎の弥生時代 諫早の前方後円墳

長崎にも古代の人達が生きていた。当たり前だけど、その事をどんなに熱く語っても、興味を示してくれる人たちは一握りだ。

縄文、弥生などオタクか変な人しか興味を持たないと思われるのも癪だが、周りが長崎の歴史をあまりにも知らない事を思えば、じげもんのおじさんとすれば悲しくなる。

そういっても長崎は歴史の街である。

観光資源になっている出島やキリスト教関連資産などたくさんある。

最近登録になった長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産は江戸時代の初期。

軍艦島などの産業革命遺産は幕末から明治にかけてである。

たくさんの逸話も資料も残っていて確かに素晴らしい文化遺産である。

しかし江戸時代前の話になってくるととたんに資料不足となる。若い人たちに「江戸時代の前は何時代?」と聞いても、ちゃんと答えられる人は少ない。

一応日本の歴史の流れを書けば、

旧石器時代 縄文時代 弥生時代 古墳時代(大和 飛鳥)時代 奈良時代 平安時代 鎌倉時代 室町時代(南北朝 戦国) 安土桃山時代 そして江戸時代となる。

学校で習ったというだろうけど、学校を卒業するとすっかり忘れてしまうのが常のようだ。

 

まあ、歴史は面白い。どんな時代だろうと先人たちの振る舞いは、今私達に繋がっている。

そして、現在はネットの有るグローバル社会である。

他の国の人と付き合うには、その国の歴史を知ることは重要だ。

現在、ネット社会になったおかけで国境を飛び越え色んな人達と付き合うる。

そんな色んな人達とうまくやっていくには、その人の住んでいた歴史を知るのが一番いい。

というわけで、「ぼーっと生きてんじゃないよ!!」と一人思うのです。

守山大塚古墳

長崎にも前方後円墳が有る。守山大塚古墳という。

大体4世紀頃、日本に大和朝廷が出来上がり、大和がシンボルとして前方後円墳を作った。

地方は大和に追従するために、同じような古墳を作り大和への忠誠の証にしたのである。

という事になれば、長崎にも大和朝廷に追従していた国(一族)があったということになる。

表題で諫早に有ると書いたが番地は島原である。しかし、諫早干拓潮受け堤防の近くにあるのでほぼ諫早である。

守山大塚古墳を上空から見た写真 雲仙市

この前方後円墳の発掘の手がかりになった人は、あの宮崎康平氏である。

宮崎康平氏といえば、島原鉄道を作ったり島原の子守唄の作詞をした人である。

藤圭子 島原の子守唄
https://youtu.be/OFJzefn0mPg

この歌は、貧しい農家のことをうたっているのだが、貧しいがゆえに中国や東南アジアへ、娼婦として売られた行った娘の悲しさを唄っている。

海外に売られていった娘を「からゆき」さんという。そのからゆきさんの多くは、島原、天草の娘だったと言われ、その数は30万人ともいわれている。

唐行きさん 写真daiki55.com

この「からゆきさん」は、キリスト教で洗脳されポルトガル・スペインの奴隷商人に売られたという事実もある。

そして、最近登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に深く関わっている。

こんな歴史も長崎人なら知っておく必要がある。

まぼろしの邪馬台国

話が飛んだが、日本中に邪馬台国論争を巻き起こした「まぼろしの邪馬台国」の著者である。

まぼろしの邪馬台国

この話は映画にもなったので知っている方も多いとは思うが、この「まぼろしの邪馬台国」の本の中に、守山大塚古墳の事が書いている。

「必ずこのあたりに古墳があるはずだ」と盲目の宮崎氏は言い続け、ついに発見された前方後円墳である。

守山大塚古墳

この古墳、長崎では最大級の大きさだが、実際に行ってみるとびっくりする。

前方後円墳の上に、たくさんのお墓が立っているのだ。

これじゃ、わからなかっただろうと思う。

宮崎氏は「卑弥呼の墓」だと言っているが、その真偽は不明である。

しかし、この地に古代大和朝廷につながる一族がいたことは間違いない。

しかも、かなり大きい一族であったことは、この墓の大きさでもわかる。

いろいろ考えると、考えるただけでワクワクしてくる古墳である。

興味のある人はどうぞ。

きっとびっくりしますよ。

守山大塚古墳の写真素材 アートワークスフリーフォ
http://freephoto.artworks-inter.net/moriyamaootuka/kaisetu.html

 

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