護国神社
城栄町の小高い丘の上に、清廉な護国神社が神社がある。
護国(ごこく)神社は、国家のために殉難した人の霊(英霊)を祀るための神社である。戦争関係者だけではなく、自衛官・警察官・消防士等の公務殉職者を主祭神とする。
この「死んで神になる」という考えは神道独特の考え方だろう。これは、人間の魂は神から頂いた、神の分け霊、分霊と考えるからだ。神の分霊なんだから死んで霊界に帰れば神に戻ると考える訳である。なので、キリスト教などの神とは意味が違う「御霊」となるという事である。
靖国神社
戦争の英霊を祀る神社は靖国神社が有名である。
この靖国神社を日本の軍国主義の象徴と見る人も多く、総理大臣が参拝するだけで、中国、韓国は大騒ぎをして、日本の左翼もはしゃぎまわるといったニュースが多い。
しかし、これは朝日新聞や毎日新聞などの日本のマスコミが、騒ぎ立てた結果であり、政治的な色彩が濃いプロパガンダである。
戦没者を祀るのに、いろんな難癖をつけるほうがおかしいのであり、日本人の心情を無視する日本の左翼に腹が立つ。
神社本庁指定神社
日清・日露戦争、満州事変、支那事変(日中戦争)が勃発すると、各地で戦没者の霊を郷土で祀りたいという要望が各地で高まった。
そこで、私設の神社と区別するため、昭和14年、一部の例外を除いて各道府県に1社のみ創立を許可することとし、今まで招魂社と呼んでいたのを護國神社と改称することとした。
長崎縣護國神社も指定神社だが、長崎県には壱岐市壱岐神社・壱岐護國神社があり、例外である。
国のために死ぬという事
護国神社で祀られている人たちはこれらの人たちである。戦後学校教育はこの考えを否定し続けていた。
フォークシンガーの加川良氏の教訓という歌がある。
命はひとつ 人生は一回 だから命をすてないようにネ
あわてるとついフラフラと御国のためなのと言われるとネ
青くなってしりごみなさい にげなさい かくれなさい
実は、この歌詞は、児童文学作家の上野暸の著作からの「引用」がもとになっている。
私達昭和30年代生まれは、この反戦フォークソングの洗礼を受けている。
そして実を言うと、私はこの歌が好きである。
この時代ベトナムでアメリカ軍が戦争を行っていて、アメリカから反戦ソングが伝わってきて、日本で広がっていったという経緯がある。
戦争は絶対悪であるという考えが私達世代に広まっていたと思う。
そして、もし戦争が起こったら、逃げようという歌が、あの時代のタブーを打ち破っていった思いがあり、痛快だったからである。
今思えば、若いので、家族を守るとか国を守るという概念がなかったからだと思う。
今はどうかと言うと、護国神社で素直に頭を垂れることが出来る。それは結婚し子供ができたからである。子供に危害を加えるような事態になれば、迷わず戦えると即座に言える。
戦争は絶対悪か
どんな戦争も悪だと平和愛好家の人々から言われる。正しそうな言葉だが、やらなければいけない戦いもあるはずである。
北朝鮮や中国が日本に侵略してきたら、誰だって戦うと思う。
平和愛好家の人たちはその時どうするのだろうか。加川良の歌ように逃げ出すのだろうか。一人で逃げるのは良いけど、残された子どもたちは誰が守るのだろうか。
夢想家からリアリストになることは必然なのである。
くらいど丸の碑
戦時徴用船くらいど丸の碑がある。
内容は、昭和20年1月20日歩兵四六連隊第二大隊を乗せ、くらいど丸は門司を出港、台湾基隆へ向かったのだが、台湾海峡にてアメリカの潜水艦の雷撃により沈没、の戦死者及び海没死亡者の合計1107人である。
そして、碑文の中に
軍人として(略)その志半ばにして 敵に一撃だに報ゆるに至らず 身を荒海の底に没す 無念の心情 誠に察するに余りあり
とある。
そんな無念を読み取っての記念碑設立である。戦争の犠牲者には、当然父母兄弟、あるいは嫁、子供がいる。そんなあとに残された人たちの心情を、神社は癒そうとしていると思う。
賽銭箱には皇室の菊の紋がはっきりと描かれている。
それは日本の歴史そのものである。
日の丸が嫌い、皇室が嫌い。そんな人間がいても良いが、日本が好きという部分で、敵対しないようにしたいものだ。
共産党の国は宗教がないし神も否定している。また、左翼の人と話しても、絶対意見を曲げないので、話し合いにならない。
和の国日本である。
死んだ方たちを非難したり、けなしたりする事だけはやめて欲しいと思うのである。