仁王を描く

仁王

京都仁和寺の山門の仁王像である。世界遺産でもあり、真言宗御室派総本山寺だ。

正式には金剛力士像である。

仏教の守護神である天部の一つ。サンスクリットでは「ヴァジュラダラ」と言い、「金剛杵(こんごうしょ、仏敵を退散させる武器)を持つもの」を意味する。開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体を一対として、寺院の表門などに安置することが多い。ウィキペディア

天部とは、仏教において天界に住む者の総称で、インドの古来の神が仏教に取り入れられた神々たちが住むと言われているる

梵天、帝釈天、吉祥天、弁才天、伎芸天、鬼子母神、大黒天、四天王、竜王、夜叉、聖天、金剛力士、韋駄天、天龍八部衆、十二神将、二十八部衆などの天部があるとされている。

天部を仏教の位で言えば、如来、菩薩、明王、天となり、4番目の位としている。ちなみに、NHKのテレビで放映されているの韋駄天も天部の住人である。

 

仁王は寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神なのですごい形相をしている。

仁王像はアート的に言えば彫刻である。その作家集団は運慶、快慶、定覚、湛慶(運慶の子)が特に有名で、その完成度は素晴らしい。

架空の神様を想像で作ってしまう技は、人間だけの神業である。

写真を使って絵を書くことの是非

写真を下絵にしてトレースをし、その後写真を見ながら色を塗る。これはデジタルだからこそ簡単にできるやり方である。

しかし、その事を友人に話すと、「塗り絵と一緒」と言われる。

確かに、絵を描くといえば、現場でものを見ながらスケッチをすることから始める。この時のスケッチのデッサンが一番難しい。

写真をトレースする方法は、絵を真剣に描く人たちからすれば邪道である。

しかし、写真を参考にするのは昔からやっていることでもある。

有名な画家も「カメラ・オブスキュラ」という投影機を使ったとされている。レオナルド・ダ・ヴィンチは写生に利用、フェルメールも使っていたのだ。

カメラ・オブスキュラ

もともと天才的な画力のある人間が、「カメラ・オブスキュラ」を使って書き上げる絵は、それなりの理由と信念があり、「ずるい」という感覚は全くなくなる。

どんな方法を使っても、天才はその作品の素晴らしさで、才能を証明してしまう。

しかし、一般的に絵を書くために写真をなぞるのは、インスタントの方法で悪とされている。

うん。

それは、何のために絵を書いているかによるだろう。

しかし、写真をトレースして書いた絵を、トレースしなかったような顔をしているのが、ずるいと思われている所以だと思う。

それは人物の写真をわからないように修正して、本物のように思わせる商業主義的写真にも言えるかも。

さらに、インスタントの料理の素を使って、料理をする事にも通じるかもしれない。

やはり、なにもない所から、作り上げることがベストの方法だと思うのだ。

なので、いろいろ屁理屈を付けて写真トレースを正当化するのではなく、絵に写真とレースと一応書くようにすれば、問題ないかもしれない。

ちなみに私の絵は写真トレースである。

それなら、もっとうまくても良いんじゃないかと言われそうだが、そうならないのは技量が駄目だからある。

お粗末様。

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