生目八幡宮
稲佐橋をくぐり、宝町方面に行く道の突き当りの丘の上に天神町がある。
ここには旧浦上街道があった。長崎と時津を結ぶ、この浦上街道は江戸時代の中頃まで大いに利用されていたと言う。
この道に面した場所に生目八幡宮がある。
八幡宮
八幡宮とは八幡神を祭神とする神社で、大分県宇佐市の宇佐神宮を総本社とする。
八幡とは応神天皇の神霊である。父は仲哀天皇、母は神功皇后で、胎中天皇という異名が示す通り生まれながらの君主であり、これに抵抗した異母兄たちが叛乱を起こしたものの神功皇后によって鎮圧された。
応神天皇が即位していた時期、朝鮮・中国から渡来して技術を移入する者が多く、大和朝廷の勢力が大いに発展したという。
日ユ同祖論
ネットでは、応神天皇=八幡神=秦氏=ユダヤ人という内容の文章が多い。
「日本人とユダヤ人」というイザヤ・ベンダサン著の本があった。今から50年ほど前の本なのだが、この本の影響力はすごく、未だに色んな説が流布している。
さらに日ユ同祖論があり、日本人(大和民族)の祖先が2700年前にアッシリア人に追放されたイスラエルの失われた十支族の一つとする説である。
この説は明治期に来日したスコットランド人のニコラス・マクラウドが世界で最初に日ユ同祖論を提唱、体系化したものだ。
特に皇室神道とユダヤ教の類似が盛んに唱えられ、古代ユダヤの聖櫃(アーク)と日本の神輿(みこし)は、良く似ているなどが有名である。
私はこの説は受け入れられない。
世間的にも学術的にも反論が多く、色んな意味でトンデモ説である。
まあ、信じる分には問題もなく、楽しい説なので面白いのだが、日本の歴史にユダヤ人が大きく関わったとすると、本来の正しい歴史が歪められる可能性があるので要注意である。
生目八幡宮
生目八幡宮の中に宮崎市の生目神社御由緒の神が貼っている。
やはり宮崎県の生目神社(いきめじんじゃ)が本社で、ここはその末社だという事になる。
本社は神社で、長崎は八幡宮となっているのが不思議である。
ここに生目八幡宮がある理由だが、宮崎の生目本社の信仰に湧く清水で水を掬って目を濯ぐ習わしがあるという。多分ここの岩場にも水が湧いていたのだろう。
浦上街道は沢山の旅人の往来があったというので、宮崎市の生目神社の信仰がある人が、この天神町に神社を作ったと想像できる。
八幡宮と言う名前がついている理由だが、天神町は福岡の天神さまから来ている。
天神町の馬込(銭座)天満宮はキリスト教鎮圧のために作られた神社なので、この生目神社も、武家の信仰になっている八幡様を勝手に持ってきたのではないかと想像する。
神社内にも稲荷さんや天霊神(天照大神)様も祀られている。さらに生目八幡宮の下には地蔵堂もある。
その事を考えれば、いろんなご利益のある神様を寄せ集めているのだと思う。
目の神様は珍しく、拝殿の壁には、目という文字をいっぱい書いた張り紙が多くあった。
言霊信仰なのだが昔の人の民間信仰はすべからく、こんなだったろうと思われる。
信仰を無知の証と捉える人もいるが、とりあえず信じようという前向きな姿勢だと私は思う。
また信仰は生活の道徳のバックボーンにもなっている。例えば、悪いことをすれば天から罰が当たるとかである。
日本国が治安の良い理由の一つに、民間信仰がしっかりあったせいだと言えるからだ。