茂木の町から細い道を上り、小さな山を越えると、北浦町木場にある。
 
ここには若菜川が流れており、農業用ハウスがある静かな場所である。
 

大山祇神社

ただ、この神社の入り口が林と同化しているように見え、探し出すのにかなり迷った。しかし、見つけてみれば道沿いにあり、苦笑いをする。
 
参道横にはヤマモモとクスノキの大木があり、古来ゆかしさが漂う。
 

大山祇神社

ヤマモモの木

ヤマモモといっても、私達が食べる桃とは違う。和名の由来は、山に生えモモのような果実をつけることからとある。
 
果実は甘酸っぱく生で食べられるとあるが、私は食べたことがない。別名として山桜桃、火実などがあり、古代から和歌などにも詠まれていたらしい。
 
由緒
 
寛永3(1626)年、当時の領主である島原藩松倉豊後守重政の時に勧請されたが、それ以前は不明である。愛媛県今治市の大三島にある大山祇神社の分社である。
 
祭神は大山積神(おおやまづみのかみ、おおやまつみのかみ)である。別名「三島大明神」という。
 
 

大山祇神社

大山祇神社

大山祇神社

大山祇神社

大山積神(おおやまづみのかみ)

大山積神は伊弉諾尊と伊弉冉尊の間の子で、磐長姫命と木花開耶姫命(瓊瓊杵尊の妃)の父となっている。
 
日本書紀では、イザナギが火之迦具土神(カグツチ)を斬った際に生まれたとしている。
 
火之迦具土神(カグツチ)とは火の神で、出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、これがもとでイザナミは死んでしまう。その後、怒ったイザナギに十拳剣「天之
 
尾羽張(アメノオハバリ)」で殺された。
 
そのカグツチの血から、大山積(大山祇)神が生まれたとされる。

大いなる山の神

大山祇神とは大いなる山の神という意味だ。
 
大山祇神社は全国にあり、山の神・海の神・戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めたとされている。
 
日本にしっかり根差した神様なのだが、謎も多い。
 
「やまつみ(山神)」は「わたつみ(海神)」に対応するしている。
 
『伊予国風土記』逸文によれば、大山積神は仁徳天皇の時代に顕れ、百済国から渡来し津国の御島(みしま)に居られたが、のち伊予の御島(大三島)に遷座されたとある。
 
仁徳天皇陵の世界遺産登録が確実となった仁徳天皇は、日本の第16代天皇で4世紀末から5世紀前半に実在したと見られる天皇である。
 
つまり、大山積神は4世紀末に百済国から渡来した神様なのである。
 
しかし、大山積神は日本の伊弉諾尊と伊弉冉尊の間の子となっているので、古来は百済国も日本だったという事になる。
 
百済国からやってきた人物といえば、王仁(和邇吉師)がいて、日本に『千字文』と『論語』を伝えたとされる。
 
それ以外にも、特に技術者や中国の知識を持ったものが多く帰化している。
 
となれば、大山積神も技術者だったと思われる。
 
山の神という事になれば、林業や鉱山関係者だった可能性がある。
 

北浦の俵(とうら)かたげ及び獅子踊(ししおどり)

北浦町(きたうら)は茂木町の北隣で、南西部は茂木地区の中心部や茂木港の一部で、山側はビワ・ミカン・ポンカンを生産している。
 
それほど産業が盛んだったとは思えないが、古代は林業などが盛んだったのかもしれない。
 
茂木地区北浦町に伝わるものに、北浦の俵(とうら)かたげ及び獅子踊(ししおどり)がある。
 
俵かたげは、 庄屋1・帳面方1・チキリ方1・先ぶれ1・幼児及び児童の踊り方50名・囃子方15名計65名で構成されている 。 ハッピ・前垂れ・テッコウ・脚絆(きゃはん)・ワラジばきの姿で俵をかつぎ、円形をつくりながら俵を山と積み上げ庄屋の検問を受ける場面をユーモラスに表現している。
獅子踊りは17名で構成され、 氏神様の祭礼などの時に奉納されてきた芸能である。 踊りに使用される鉦(かね)には、享保3年(1718)の刻銘があり現存する。
この両芸能は、 五穀豊穣と悪疫退散祈願の奉納踊りとして現在に受けつがれてきたものである。
 
そして市指定無形民俗文化財になっている。指定年月日 昭和50年12月5日
https://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/192001/p000556.html
 
 
結構大人数で行う祭りだったらしいが、写真がちゃんと残っていないので、どんなものなのかが、よくわからない。
 
市指定無形民俗文化財になっているので、市には写真があるのだろうが、ネットには出てきていないのが残念である。
 

元木場古墳群

この神社の境内後方の山林尾根頂上に今から約1700年前の弥生中期、竪穴式直径10mの円墳があり、長崎市では珍しいとある。
 
この古墳もネット上にはなく、内容が不明である。
 
ただ、大和政権が日本をまとめる前、茂木には人々が住んでいたのである。
 
この事が、大山祇神社がこの場所に出来た、大きな理由なんだろうと思う。
 

大山祇神社