天狗の住む愛宕神社「上宮」

 

 
長崎市内に愛宕山という山がある。標高224mの小ぶりの山である。
 
ここに愛宕神社の「上宮」がある。「上宮」があるという事は「下宮」もある。
 
「下宮」は小島から浜町への近道の昔の道の途中にあり、現在は大きなマンションの裏手になる。
 
今回は上宮の話である。
 

愛宕神社への道

愛宕神社 一宮

長崎市の山々は、昔大きな火山があって、爆発した後に出来た山々で、大きな岩がごろごろしている。
 

愛宕神社

愛宕山もそうで、頂上の大岩がご神体である。まあ、長崎のほとんどの山の神社は、ご神体が岩で、巨石信仰の町といってもいいと思う。
 

愛宕神社

愛宕神社

愛宕神社

愛宕神社

この愛宕神社の祭神は火産霊(ほむすび)命、伊邪那美(いざなみ)命である。二つの神様の関係は親子である。
 
古事記の話だが、伊邪那岐命・伊邪那美命が神産み(かみうみ)をしていて、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)つまり火の神様を生む。
 
火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)は、火の神であったために、出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、これがもとでイザナミは死んでしまう。
 
そして、怒ったイザナギに十拳剣「天之尾羽張(アメノオハバリ)」で殺されてしまう。 亡くなった伊邪那美(いざなみ)は黄泉の国に行き、彼女を追って、夫、伊邪那岐命は黄泉の国に行くというストーリーである。
 
つまり、ともに死んでしまった神様なのである。
 
その神様たちを祀るのは不思議だと思うが、なにか意味があるのだろう。
 
 
愛宕神社の前身は、1624年に作られた愛宕山大光院願成寺である。
 
そして愛宕神社になったのは明治元年である。山頂の愛宕神社には、お寺の面影はない。
 
そのかわり、本体の裏側には、もう一つの神様が祀られていて、その名は太郎坊神社である。
 

太郎坊神社

太郎坊神社

太郎坊天狗

ご神体は天狗だ。
 
滋賀県に阿賀神社(あがじんじゃ)というのがあり、別名、太郎坊宮(たろうぼうぐう)と呼ぶ。
 
この神社の由緒を読むと、成願寺も天狗の太郎坊も出てくる。
 
延暦18年(799年)、阿賀神社の神徳に感じ入った最澄が薬師如来を本尊とする成願寺を阿賀神社の神宮寺として麓に建立した。その際、修験道の大成者である役行者の兄弟子であり、赤神山に住んでいた天狗の太郎坊が(弟の次郎坊は京都の愛宕山に住む)山上に現れて、この地に一宇を建立するように最澄に告げ、山の守護神としてその建立を手助けしたという。

阿賀神社

 
 
愛宕山という地名も、この由来より、つけられたと思う。
 
この「アタゴ」の意味は「高所」「険所」など諸説あるが、なぜ「あたご」と読むのか、はっきりとはわからない。
 
『国史大辞典』の「愛宕信仰」の項目に、愛宕の名は、その祭神迦具土(かぐつち)が生まれるにあたって母神(いざなみ)尊を焼き死なしめた仇子であったことにちなむと俗説されているが、むしろもとは側面・背面を意味するアテに由来し、その神は境を守る神であったのではないかともいわれ、京都では王城鎮護のためにその西北の山上にまつられたものと考えられる。」と記載あり。また、火産霊(ほむすび)命なので、熱い子から来ているとも。
 

太郎坊神社の脇のお地蔵様

愛宕山からの眺め

愛宕神社への道

愛宕山の位置を見れば、現在はたくさんの家が周りに立ち並ぶが、上るのに困難なので、下宮ができたという説明もあり、町と山の境目にあったと思われる。
 
また、長崎の山々には山伏も多く、その事も併せて愛宕山になったのではないかと推測できる。
 

山伏 https://takahashi126.com/archives/115

余談だが、長崎がキリシタンの町になった時、とても嫌われたのが、山伏たちである。かなり小競り合いもあったとある。まあ、山伏の格好を見れば、サタンに見えてしまうかも。
 
「愛宕」を社名につける神社は43都道府県に約1000社あるという。
 
全国的にも有名な「愛宕」である。長崎にあっても何の不思議はない。
 
神社には石仏も多く、信仰の山であったのは間違いないが、現在は荒れ果てて、上るのも大変である。
 
なので大きな天狗像でも立てて、観光名所にすれば密に思っている。
 
そうすれば、もう少し整備されるに違いない。
 

愛宕神社

 

コメントを残す