中川と蛍茶屋の電停のあいだ、日見のほうから見れば、新大工へ抜ける道の手前の歩道に一の鳥居がある。
 

中川八幡神社

中川八幡神社

小ぶりだが、ちゃんとした神社である。
 

中川八幡神社

 
由緒に、正保3年(1647年)、幕府の命でキリシタンの弾圧のために長崎に滞在していた豊後府内領主・日根野吉明が風頭山の麓の晧台寺敷地に自国の柞原八幡宮を勧請した、とある。
 
 
豊後とは大分県である。最初は晧台寺敷地に八幡大神を勧進し、1789年にこの地に移転したとある。
 
晧台寺も、1608年に佐世保市相浦町の洪徳寺の七世であった亀翁良鶴により創建されたとある。
 
1600年前半のキリシタン禁教例の発令により、長崎を我が物顔に占領していたキリシタンにも、勢力のかげりが見え始めたのがきっかけで、宗派を問わず、神仏の社を建立したのである。
 

中川八幡神社

中川八幡神社もその一つだろう。
 

中川八幡神社

八幡神社の総本社は大分県宇佐市の宇佐神宮である。八幡様は全国の武家から武運の神として信仰されている。
 
長崎に勧進したのが、豊後府内領主という武家なので納得だ。
 
祭神は八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)なのだが、いつの間にか誉田別命(応神天皇、息長足姫命の息子)と同一視されてしまった。八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)ともいう。
 

中川八幡神社

長崎には八幡神社は少ない。なので長崎唯一、最古の八幡神社となっている。
 
もしかすると、長崎の神功皇后伝説の発祥元が、この中川八幡神社かもしれないと想像する。
 
八幡神は天皇家を祀る神社なので格式は高いので、この神社のつくりもしっかりしているのだろう。
 

中川八幡神社

長崎五社

長崎五社のうちの一社となっているとある。
 
諏訪神社、伊勢宮神社、松森天満宮、水神神社、中川八幡神社らしい。
 
これらは祭神も様々だし、1600年前半に建てられた神社というだけだと思う。
 
参道は、旧長崎街道に面しており、旧市街の玄関口に当たっていた。なのでたぶん人通りも多かったのだろう。
 

旧長崎街道

中川八幡神社

古いながらも地域に根差していて、いろんな行事もやっているようだ。
 

中川八幡神社

境内社に明徳稲荷神社がある。明徳(めいとく)とは日本の元号の一つで、南北朝の時代の元号である。
 
 
この稲荷神社の名前とは無関係だと思うが、文字の意味が「正しく公明な徳」なので、明徳稲荷神社はいろんな所にある。
 
余談だが、稲荷神社の総本山である伏見稲荷だが、これは、もともと京都に住み着いた秦氏の氏神様である。
 

中川八幡神社

その前は、秦氏の一族の辛島氏が宇佐神宮を建てている。なので、秦氏→宇佐神宮→八幡様→稲荷という関係になるのだ。
 
明徳稲荷神社は商売繁盛の神として、文化7年(1810年)から当社に祀られている。昭和59年(1984年)7月の社殿改築の折、現神である白蛇と青蛇が生息していることが確認されたという。
 
 
この話は微笑ましくもある。まあ、こんな伝説が残るのも、地域の信仰の厚さが前提にあるのだろう。
 

中川八幡神社

中川八幡神社

中川八幡神社