免の外 女の都住吉神社

女の都は丘陵地を切り開いて造成された新興住宅地で、昭和40年代後半から開発が行われた場所である。
 

女の都

女の都という名前が珍しく、全国的に知られている町だが、旧名は乳母(めのと)と書かれている。
 

女の都住吉神社

境内を見ても由緒書きがなく、ネットで調べても何にも出てこなかった。
 

女の都住吉神社

女の都住吉神社

女の都住吉神社

神社は見ての通り、普通で立派な鳥居もあり、そこそこの神社である。神社の人に聞けばわかるのだろうが、今回は外観の撮影だけにとどめる。

住吉神社

住吉神社と呼ばれるものはたくさん存在し、長崎にも複数ある。
 
住吉神社は住吉三神(すみよしさんじん)を祭神にしており、底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)という3柱の神を祀っている。さらに、息長帯姫命(神功皇后)を合わせて祀ることも多い。
 
この底筒男命、中筒男命、表筒男命だが、謎が多い。
 
その生まれは、伊邪那岐命が黄泉国の汚穢を洗い清める禊を行った際、三神が生まれたとされている。
 
日本書紀には、神功皇后が神がかりし「我ら三神を祀れば新羅も熊襲も平伏する」とのお告げを受けたという話がある。
 
この事からも、住吉三神がただモノではない事がわかる。
 
一般的には海上の守護神として信仰されているが、日本国中に広がっているうちに、様々なご利益がついてまわっている。

乳母(めのと)

乳母地区は、江戸時代は西浦上村川平郷に属し「免の外」と解釈され、山あいの集落だった。
 
町名の由来は地区に女の都という字名があったところから女の都団地と命名されていたもので、「めのと」を「免」の「外」と解釈すると、「○○免」というう集落の外れたところとか、「免」が年貢などが免除されるくらい山あいの集落だったとか解釈ができます。
広助の『丸山歴史散歩』
 
なるほど、「免」の「外」から「めのと」という説もうなづける。
 
「大村郷村記」という江戸時代の文献の中に、「乳母」と書かれた箇所が存在するらしいので、信ぴょう性がある。
 
それ以外にも、平家の落人説や、日当たりの良い南向きの傾斜地を老婆の懐(ばばのいくら)と言っていたからという説があるが、私も色々考えて自説を書いている。
「女の都」の謎。乳母とはマリヤ様の事だった
https://artworks-inter.net/ebook/?p=139
 
よろしかったらどうぞ。
 
この神社の整然とした作り方や、参道がないことを考えれば、宅地開発の際に、どこからか移転されたと考えたほうがよさそうである。
 

女の都住吉神社

女の都住吉神社

女の都住吉神社

女の都住吉神社

女の都

女の都住吉神社

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