本河内の水神神社
立派な鳥居があり、社殿もきれいな神社である。
由緒には、寛永に出来大工町に水神を建立したのが始まりであると書かれている。
寛永といえば、徳川家光の治世である。その後、炉粕町に移転、さらに銭座川に移転し、大正時代になり、この本河内水道に近い場所に移転したとある。
長崎の水不足
昭和の時代、長崎はしょっちゅう断水になっていた。
長崎市は周りは山ばかりで、自然豊かに思えるのだが、山から海までの距離が近く、水をためる力が弱かったのである。
それに加えて、人口の増加で長崎の水不足は深刻だった。
本河内水源地、西山貯水池、西山高部浄水場、小ヶ倉ダム、道ノ尾浄水場、外海町神浦ダム、これだけの水源を次々に作っていき、現在、やっと安定している。
なので水神様も大切にされたと思う。
普通水神様といえば、龍を思い浮かべるが、この神社の祭神は、弥都波能売神(みつはのめのかみ)である。
あまりなじみのない神様だが、伊邪那岐、伊邪那美の神生みの最後に生まれた神様である。
となれば、かなり力の入った神社といえるだろう。
この神社には河童石(どんく石)というのがある。
詳しい言い伝えはこちら
http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken0901/index1.html
どんくとはカエルの事で、河童などの話も楽しい。
この神社が愛されていた証なのであろう。