中国と日本 (4) 悪の根源 西洋の侵略

日本の戦国時代から徳川までの時代は、中国は明(1644年まで)、清(しん)は、1616年から1912年である。
 
清(しん)は、1616年に満洲において建国され、中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。
 
満州族は、北朝鮮の北部地域にある国で、少数派の異民族である。その少数民族が、中国文明圏で圧倒的大多数を占める漢民族が受け入れた背景には、清が武力によって明の皇室に取って代わったとの姿勢をとらず、あくまで明を継ぐ正当(正統)な中華帝国であることを前面に出していたからだと言われている。
 
「眠れる獅子」と言われた清。
 

18世紀における清の領土

 
海禁令により閉じこもった清だが、国内経済システムの補強に貢献したと言われている。
 
この鎖国と言われる制度の長所は、国内の秩序を安定させるのだが、当然短所があり、西洋の飛躍的な発展に、完全に後れを取ってしまった。
 
これは、日本も同じだった。しかし鎖国中であったが、オランダと清とだけは長崎で貿易が行われていた。
 
長崎で清という言葉が出てくるのは「明清楽」という音楽がある。長崎文化に根付いた代表的な歌曲の一つで九連環(きゅうれんかん)がある。
 

長崎の明清楽

 
つまり国交がなくても、民間では交流があったという証拠である。ジャンケンも、清から日本に伝わったものである。
 
アジアの各国は、内情は別にして、比較的争いが少なかった。
 
特に日本は島国であり、日本を攻めようと思ったのは、近くの朝鮮半島の国と、強大な元だけだった。そして、それらに対して、日本は強力な軍事力ではねのけている。
 

すべての悪の根源 西洋の侵略

このアジアに西洋が、武力を武器にして乗り込んでくる。ここからアジアの状況は一変してくる。
 
17世紀では、西洋の力は強くない。この時点ではアジアの方が国力は上だった。
 
しかし、ヨーロッパでおこった産業革命により、製鉄業の成長、蒸気機関の発展で18世紀、19世紀では西洋の力が強大になってくる。
 
そして最悪の選択を西洋は思いつく。それがアジア侵略である。
 
有名なのがイギリスの悪行である。
 
インドを直接の支配下に置き、植民地にする。このやり方がひどい。あまりひどいので書かない事にする。
 
17世紀には、フィリピンがスペイン領、インドネシアはオランダ領。
19世紀には、ベトナム・カンボジア・ラオスがフランス領に、ビルマ・マレーシアがイギリス領になっている。
 
この植民地政策に強固に反対する日本は、第2次世界大戦に引きずり込まれてしまうのだ。
 
この流れを忘れてはいけない。
 

清の滅亡

眠れる獅子と恐れられていたのを、イギリスが化けの皮をはいだ。
 

1841年8月26日、厦門で清軍を蹴散らす第18近衛アイルランド連隊。

 
イギリスはインド人に作らせたアヘンを中国に持ち込み、巨額の利益を得ていた。このせいで清国ではアヘン中毒に大勢がなり、清がアヘンの全面禁輸を断行した結果、イギリスと戦争になった。これが1840年の阿片戦争である。
 
清国の扉を、武力でこじ開けて、不平等条約を無理やり締結させられてしまう。
 
これを見たアメリカとフランスもイギリスに見習い、清国を食い物にして行く。そして清国は大きく衰退してしまう。
 
半死状態の清国は、様々な手を打つが、半植民地化された状態では、国が保つわけもなく、1912年1月1日、中国の南京で中華民国が樹立される。
 
ここに清は276年の歴史に幕を閉じ、完全に滅亡した。
 

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